忍者ブログ
ADMIN]  [WRITE
成人女性を対象とした自作小説を置いています。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


 片としてはやや大ぶりだが、たいした積雪にはならなそうだった。ひらひらと舞い落ちる雪の中を、三人で歩いた。広い庭の、雑木の間を抜けてゆく。夫と少年が横並びで歩き、早は一歩下がってふたりの会話に耳を澄ませながら、二人の男の背中を眺めた。
 夫の質問に、少年はぽつぽつと答えた。何に興味があるかと訊かれた時は、特に何もと答えたし、何が嫌いかと訊かれれば、別に、と言う。それでも夫は質問をやめなかったし、少年も回答を拒んだりはしなかった。
 この家はどうだと聞かれた時、少年は「どう?」と質問の意図を尋ね返した。
「なんでもいいよ。この家やぼくらに思っていることがあれば、言ってごらん」
「怒らないですか?」
「怒られるのは怖い?」
「……」
 少年は黙る。しばらく考えてから「姉ちゃんはずっと怒ってた」と答えた。
「お姉さんが怖い?」
「怖いです」
「会いたいとは思わない?」
 少年の姉は高校を卒業して、当時は専門学校に通っていた。一人で暮らし、奨学金などの助成金の制度を利用しながらではあったが、生活費・学費を全て自力のアルバイトで賄っていた。援助を申し出ても「それは弟に」と言うだけで、かたくなに受け入れてはもらえなかった。
 その姉に対し、少年は「思わない」と答えた。「怒ってるから」
「分かった。じゃあいまこの場できみが言うことに関して、ぼくは絶対に怒らないと約束する。だからなんでも言って。不満、希望、なんでも」
 早はそれを聞いて、結婚したばかりの頃のことを思い出した。一緒に暮らし始めて数か月が経ったころ、夫は早に同じことを言った。なんでも言って。怒らず聞くから。
 少年は「惣先生は顔が怖いです」と言い、夫は苦笑した。「なるほど」
「早先生のご飯はいつも美味しいけど、たまにはカップラーメンが食べたい」
「カップラーメンはぼくもたまに無性に食べたくなるよ。だからそういう時は大学生協に行ったり、学生にこっそり分けてもらってる」
 それを聞いて早は後ろで思わず笑ってしまった。本当はジャンクなものが好きで、どこかで食べているんだろうなというのはなんとなく気付いていた。少年が振り向き、それから夫に「こっそりがばれちゃったよ」と言う。夫は「そうだね」と頭を掻く。
「……この家には本がたくさんあるけど、本に興味はないです。だから、……ごめんなさい」
「謝ることじゃない」
「家は、好きです。……庭が広くて走れるし、自分の部屋があるし」
「それは嬉しい」
 少年の声は少し掠れていて、これから声変わりの予感があった。身長もぐんぐんと伸びるだろう。早の背を追い越し、夫の背を追い越す。ふと少年の華奢な背に、少年の父親が成長期だった頃の背中が滲んだ。
 家の外をぐるりと一周して、玄関の前まで戻ってきた。そして夫は少年の肩に手を置き、「きみはこれからしなきゃいけないことがたくさんある」と言った。
「まず、健康に育つこと。それにはよく食べてよく動いてよく寝ることだ」
「寝るのも食べるのも動くのも、好きです」
「じゃあきっと大丈夫。これはクリアできる」
 それから、と夫は僅かに天を仰ぎ、また少年の顔を正面から見た。
「生きる技術を身に着けよう」
「……勉強、ってこと、」
「それももちろんある。でも学校へ行けと言うわけじゃないよ。行きたくなかったら行かなくていいんだ。と、こんなことを言ったら早先生には叱られるかな」
 と、夫は早の顔を茶目っ気ある瞳で振り向いた。早は微笑みながら首を横に振る。夫は「大丈夫みたいだ」と少年に言う。
「これまでの学校の成績から判断すると、きみはどうやら算数と国語が得意だね。算数なんか、通知表の全部の項目が二重丸で驚いた。算数は、好きかな?」
「好きです。気持ちがいい。問題を見たときに頭の中が走り出す感じがするっていうのか……次々に数字が浮かんで来ます。答えを書く手の方が遅いから、もどかしい」
「すごい答えだ」
 夫は心底嬉しそうに早の顔を見た。
「国語は?」
「あんまり……書いてあることは理解出来るし問題の意味も分かるけど、好きじゃないです。まわりくどくて、面倒臭い」
「他の教科は?」
「社会の、地理は面白かったです。理科は普通。道徳は気持ち悪くなる」
「体育や図工、音楽は?」
「体育は……わりと好き。図工と音楽は嫌いです」
 少年ははっきりと答えた。夫は「だってさ」と早を振り返ったが、こればかりは仕方がない。子どもは色々で個性も色々だ。少年の父親も早には懐いてくれていたが、美術そのものに興味があったわけではなかった。早がクラス担任をしていたから縁のあった子だ。
 少年から一通り話を聞いて、夫は「そうだなあ」と顎に手を当て視線を空に向ける。考えごとをするときの癖だった。
「勉強は、しよう。学は頭の柔らかなうちにつけた方がいいから。算数が得意ならそれを重点に、主要な教科はきちんとやろう」
 夫が言うと、少年は「はい」と素直に答えた。
「それから、この家のこともやろう。家を維持していくのはなかなか大変でね。掃除、買い物、洗濯に食事の準備、片付け。僕と早先生がやっていることを、とりあえずは一緒にやってみよう」
 少年は面倒臭そうな顔をしたが、観念したのかこれも「はい」と答えた。
「早さんは何かある?」と夫に尋ねられたので、早は「土日以外は、学校へ行くときと同じ生活リズムがいいでしょう」と答えた。
「最低限、眠る時間と食事の時間は、あまり乱さない方がいいと思います」
「賛成だな」
 夫が頷いたのを見て、少年もこくりと頷いた。
 家に入ろうとしたとき、「おれもお願いがあります」と少年から言うので、夫は少年を振り返った。
「靴が欲しいです」
「靴?」
「きついから」
「おお、」
 それを聞いた夫は嬉しそうだった。「いいよ、買いに行こう」と、いましがた少年が脱いだスニーカーに目をやる。
「冬だし、スニーカーより暖かいブーツの方がいいのかな」
「走れる靴がいいです」
「走るのは好き?」
「好きです」
 そしてその冬、夫は少年に新しいスニーカーを買った。少年は基本的には家にいたが、朝晩は庭の周囲をよく走ったので靴はすぐに傷んで古くなった。動く量に比例するようによく食べよく眠り、やがてすぐに身長が一気に伸びて声変わりもした。
 それはあまりにも鮮やかな成長だったといまでも思い出す。数々の子どもらを見て指導してきたが、間近で見る成長期の迫力には、心から驚かされた。


→ 40

← 38



拍手[12回]

PR

 庭の隅に建てた納屋には色んなものが入っている。使わなくなった足踏みミシンに、アップライトのピアノ。古い布団はいつかちゃんと中の綿を陽に当てて干し、打ち直そうと思っていてやらず仕舞い、いまでは虫や小動物に食い荒らされている。屋外の納屋なので、家の中にあるそれとは違い、保管には向かない。大事なものは仕舞っていない。
 農機具もここに入れてあった。ビニール紐に始まり、シュロ縄、スコップ、薬剤や耕運機まで。夫が生きていた頃、鎌や鍬の手入れは彼に任せていた。刃を研ぐとき、微妙な角度で切れ味が変わって難しい、と言って楽しげで真剣だった。いまは違う。早がやる。
 前の日にこの納屋から雪かきスコップと竹箒、長靴などを出して、家の玄関の中へ運び入れていた。これは正しい判断だった。気象予報士が散々訴えた予報は当たり、いまはそこら一面、真っ白だ。しかもまだ止まず、むしろこれからもっと降るという。
 昨日までに頼んでおいた灯油の配達は済んでいる。食料も野菜と米を中心に整っているので、雪で閉じ込められてもすぐに困ることはないだろう。停電や断水でもあったら難儀はするが、マッチ一本で着火する芯出しストーブを使っているので暖は取れる。このストーブの上で煮炊きも出来るから、まあなんとかなると踏んでいる。
 本当は暁登にこの雪への備えを手伝ってもらえたら、と思っていた。しかし彼の電話は何度かけても繋がらず、折り返しの着信もなかったので諦めた。きっとなにか不都合があって電話に出ないのだ。都合がよくなれば連絡があるだろう。
 雪の複雑な結晶の溝に音が吸い込まれて、酷く静かだ。チリチリと雪がガラス窓に当たる時の微かな音と、ストーブの炎の揺らめき、そのストーブの上に載せた薬缶の沸騰、それしか聞こえない。雪の降り方を眺めて早は少し、わくわくしていた。まるきりひとりの時の非常事態で、誰のことも心配しないでいいならこんな天気も悪くない。もちろん、そんなことを考える自分は不謹慎かつ至って呑気であることも承知だ。
 最後にこの一帯が大雪に見舞われたのは、ちょうど五年前だった。あのときはもっと酷かった。夫の病が進み始めた頃と重なってしまい、病院へはどう行ったら、とか、雪かきをいつ、とか、あれこれ考えてはおろおろするばかりだった。
 庭が広いせいで雪かきが間に合わず、家の敷地内から脱することがもう大変だった。結局、降り続いた雪は80cmほどの積雪となった。ライフラインが寸断されやしないかと気を揉んだが、それも夫という存在がいたからであり、いないいまはこんなに違うものかと驚く。
 大切な誰かの為にありとあらゆる不安を抱いては対策を練る。それはとても貴重で尊い経験なのだとつくづく実感する。実感はするが、いまその状況でないことを悲しんだりはしない。夫は死んで、それは過ぎたことだ。早はまだ生きているので、懐かしんだり感傷に浸ったりして後ろばかり振り返っても仕方がない。
 雪が止むまでは、必要最低限の雪かきだけ行って家に籠もる。先ほどから早はセーターを引っ張り出して、ブラシと鋏で丁寧に毛玉を取っていた。夫が気に入って着ていたネイビーブルーの分厚いセーターは、値が張った分ものも良く、擦り切れた肘当てだけ付け替えればまだ充分着られる。虫食いもない。これは大柄の樹生には着られないだろうが、暁登には似合うかもしれないと思っている。暁登が着ないと言ったら、市のバザーなどに出せばいい。それでも貰い手がなかったら鋏を入れて鍋つかみにでもしてしまおうか、と考えながら毛玉を取る。
 雪が降っているから散歩をしよう。
 不意にきらりと、その台詞が頭に過ぎった。早は無意識のうちに目を細め口元を引き締めていた。かつて夫が、学校に行かなくなった少年にそう言った。
 少年にアトピーの気が見受けられるようになったのは、少年がこの家にやって来て二度目の冬を迎える頃だった。確かに日ごろから痒いと言って皮膚を掻いてはいたが、それはごく軽度で、市販のクリームを塗ってごまかせる程度のものだった。それが二度目の冬、いきなり広範囲に広がった。全身真っ赤で、全身猛烈に痒い。とりわけ上半身が酷く、掻き壊して血が滲んでいた。
 初めはじんましんも疑ったが、発疹の出方が全く違う。医者に診せればあっさり「アトピーでしょう」と言われた。その小さな医院には少年が本当に幼いころからのカルテが残っていた。幼少の頃より少年がアトピーに悩まされていたことを、その医院で初めて知った。
 薬をもらい、少年を家に連れ帰った。彼が風呂を使っている間に夫にそのことを話す。夫は「アトピーってのは慢性的なものじゃなかったかな」と疑問を早に投げた。
「これまではあんなに酷い痒みにはならなかったよね。それが突然ああなのだから、別の皮膚症状ってことは考えられない?」
「お医者様が言うには、アトピーには様々な原因があるそうです。季節的なこともあるし、ストレスも原因になると」
「……ああ、ストレス、ね」
「あの子は、あんなことがあったのにこちらが驚くぐらいに冷静で、落ち着いています。泣くことも、駄々をこねることも、攻撃的になったりすることもない。怖いぐらいだと思っていました」
「それは確かにそう思うよ」
「反動がこういう形で現れたのだと、私は思うのですが」
 夫は静かに頷いて、左手を口元に当ててしばらく考えていた。やがて少年は登校をきっぱりと拒否し、一日を家の中で過ごすようになる。アトピーは薬でかなり落ち着いたが、学校に行こうとはしなかった。
 十二月中旬、雪が降った。夫は自室にこもる少年を呼んだ。面倒くさそうに少年は階段を降りてくる。夫は少年に上着を渡し、「雪が降っているから散歩をしよう」と自身も上着を羽織った。
「早さんもおいで」と夫は早にもコートを渡した。


→ 39

← 37



拍手[11回]

『夏居さんはS温泉郷で老舗旅館を経営されてきた方です。いまは代を替えて息子の嘉彦さんに経営を譲っておられます。あの通り口が悪いのでなかなか一見のお客が付かないのですが、悪気はなくむしろあの率直な辛口が心地よいと言って、様々な分野からのお客さまに愛された方です。主人もその数いるお客のうちの一人でした』
 と早は説明したが、なんにも評価すべき箇所はなかった。少なくとも樹生にとっては、そうだった。
『広く知識を蓄え、物事の骨格を瞬時に見極めるその眼力が素晴らしいと主人などは言っていました。本来はとても努力家の方です。朝は必ず十数社にも上る複数の新聞紙に目を通しているそうです。これに基づく話題の広さも彼の経営を支えて来ましたし、それは嘉彦さんにも受け継がれているようです。このご時世、S温泉郷に訪れる人もずいぶんと減ったというのに、夏居旅館は変わらず繁盛していますね』
 早の夫と夏居は、先輩と後輩のようにも取れ、盟友でもあり、特別親しかったと言う。
『よく手紙のやり取りをしていました。夏居旅館には若い頃から年に一度は必ず訪れていましたし、夏居さんは私たちの結婚の際に保証人を引き受けてくれた方でもあります。嘉彦さんが大学進学を決めた際にはぜひうちの大学へと、夫は熱心に勧誘したそうです』
「――つまり惣先生の教え子だった、てことですか」
『そうなります』
 それで「岩永」と気安く呼ばれた理由が分かった。まだ早は説明を果たそうとしたが、樹生の方が嫌になって電話を切った。こんなことぐらいで滅入っている自分に嫌気が差す。
 茉莉のことも気になっていた。熱が下がったか上がったか、生きているのか死んでいるのかさえもよく分からない。茉莉はあれきりなにも連絡を寄越さなかった。
 あのとき、寝起きで頭が鈍っていてすっかり素通りしてしまったが、茉莉は「あの男に関わる人の場所が特定できた」と言った。「捕まえられる」と。「あの男」に関しては、茉莉の数いるボーイフレンドの中に興信所に絡む男がいて、彼に仕事を任せている、つまり「あの男」に関して調べ上げさせ、報告させている、そんな話を聞いていた。だがこれまで目立った成果はなかった。それが一気に動いたのではないか。そういう電話だったのかといまになって気付く。
 こうして刻一刻と動く時の、沈黙の時間が恐ろしくなる。茉莉はなにかアクションを起こしたのではないか。決定的ななにかは既に起きたのではないか。
 あの雨の日のように、樹生がぼんやりしている間に事が済んでいやしないか。
 そう思いながらも目の前の暁登を愛でることで淋しさを紛らわせ現実から目を逸らしている。
 じりじりと、炙られるように、しかし確実に追い詰められていた。
 煙草を灰皿に押しつけ、吸うのをやめた。ニコチンが体を巡って独特の浮遊感が得られるのがよかったのに、考えが巡ってしまうなら煙草を吸う意味がないと思った。風呂を湧かし、ゆっくり浸かった。後で暁登を起こして、せめて風呂と食事だけはきちんとして、暁登は暁登の部屋のベッドへ戻すのがいいだろう。考えているうちに風呂でしばらく眠っていた。上がると暁登は起きていて、湯を沸かしていた。
「――大丈夫?」と間抜けに聞いた。
「んー、平気。なんか食おうと思ったけど、なんにもなかった。冷蔵庫」
「買いに行ってくる。なにが食いたい?」
「別にいいよ。夏の残りの素麺見つけた」
 暁登はそれをさっと茹で、コンソメの粉末を落としたスープに浸した。それを樹生の分まで丼によそう。樹生はありがたく受け取り、ふたりでずるずると啜った。
 途中、暁登はテレビを点けた。ちょうどニュース番組の放映中で、明日から天気が悪くなると注意喚起していた。
「雪降るのか」とテレビを見ながら暁登が呟く。
「道理で冷えるはずだよな。あんた、明日は仕事か?」
「うん」
「あんまり酷くならないといいな、雪」
 冬場のバイクでの配達というだけで凍えるのに、雪で道路状況が悪化すればさらに面倒である。この辺りは山沿いであり、気象条件として冬は冷え込みやすいし、雪も降る。毎年のことで慣れているとはいえ、降られれば歓迎はしない。
「でもおれ、明日はバイク乗らないんだ。車で配達の日」
「ああ。なら凍えることはないな」
「うん。それよりあきも気をつけろよ、早朝」
 新聞配達のバイトは、暁登の場合は親戚宅から譲られた濃い緑色のカブで行っている。早朝で道は暗いし、寒く、おまけに雪予報である。朝の数時間に限られるとはいえ、郵便配達並の過酷さだ。
「そうだな」と暁登は同意した。それから食べ終えた器をシンクに下げ、風呂場へ消えた。
 テレビの中ではニュース番組はCMを経てバラエティ番組に変わっていた。賑やかでやかましいのが気に障り、樹生はそれを消してしまった。


→ 38

← 36




拍手[11回]

五.冬の華



 三日連休だったのでどこかへ出かけるのもいいと思っていた。そのどこかへは暁登を伴えばもっといい、とも考えていて、現実問題、暁登は新聞配達のアルバイトがあり、そんなには休めないし金もない、と言った。金ぐらいは別に構うことはなかったが、バイトを一日ないしは二日休んで収入が減る、と浮かない顔をする暁登の顔を見るのは、それはそれで嫌だな、と思った。だから三日あった連休は、どこへも出かけなかった。三日間きっちり家から出ず、そのうちの二日間ぐらいは自室で過ごし、自室で過ごしたうちのほぼ百パーセントをベッドの中で過ごした。ベッドの中には暁登も巻き込んだ。彼がアルバイト以外で出かけることを許さず、電話もメールもSNSの利用もする隙を与えず、眠るかセックスに耽るか。腹が減って起きて適当に食事をして、衣類はろくに身に着けず、風呂を沸かせば風呂場でセックスをしたし、台所で湯を沸かす暁登におおいかぶさって、そこでもした。驚異的に漲る性欲というよりは、全身で暁登を欲していたと言える。
 ただただ淋しかった。
 恋人の淋しさに付き合わされていた暁登にとっては、相当ハードな三日間であっただろう。朝数時間のアルバイトにのみ出かけるだけで、軟禁状態もいいところだった。はじめは素直に快感に顔を歪ませては啼いていたが、次第に声は掠れ体は疲労を滲ませた。腰がだるい、と訴えられたが、だからと言って容赦せず、やめなかった。
 連休最終日の夕方、ようやく暁登の軟禁を解く。ベッドの上でぐったりと放心している暁登から自身の雄を引き抜くと、入れっぱなしだったせいであいた穴から樹生の体液がどろりと、呆れるぐらいに垂れたが、それを見てもさすがにもう、したいとは思わなかった。思ったとして言えない。健気に樹生を受け入れ続けた体が可哀想になり、穴に指を入れ、中身を掻き出す。暁登は鼻から息を漏らし、だるそうに体を丸めた。
「……まだすんの」
「しない、もうさすがに。わるかった。痛い?」と尋ねる。擦れて縁が赤く腫れていた。
「痺れて感覚ない。閉じてんのか開いてんのか分かんねえ」
 暁登は自身の背後に手を伸ばす。樹生はその手を取って確かめさせた。腫れた局部に触れて、そこがどうなっているのか想像したくもないのだろう、暁登は「うわ」と手を引っ込めた。
「信じらんない」
「わるかった」
「明日の朝のバイト行けんのか? おれ」
「立てる?」
「いまはなんかもう、立つ気が起きない」
「……ごめん」
 ベッドに沈む暁登を背に、樹生は部屋から出る。暖房の入らない居間は寒々しく、裸体にはきつい。コップに水を汲んで、早々に部屋へ戻った。
 暁登を抱き起こし、水を飲ませた。こくこくと上下するのどぼとけの動きをぼんやりと見つめる。お代わりを求められ、同じことをもう一度繰り返す。コップ二杯の水を飲み干して、暁登はまたベッドに横たわった。
「風呂入る?」
「だるいから後で」
「腹は?」
「すいてる。けど、これも後でな」
 樹生の質問に答えることすら煩わしいとばかりに、暁登は背を向けた。「ごめん」と言うと、しばらくの沈黙の後に暁登が「なんなんだよ」と言った。
「謝ってばっかだな、あんた。別に悪いことしてないだろ。やりまくってただけ。合意の上だ」
「……」また謝りそうになるのをこらえた。
「あんた年始からずっとそんな調子だな。疲れてるっていうか、ほけてるっていうか。なんかあった?」
「……繁忙期過ぎて、反動がガクッと来たんだよ」
「ふうん」
 それ以上暁登はなにも言わなかったが、体のだるさに負けただけで納得はしていないと分かっていた。しばらくして暁登は眠りだした。その体に毛布をかぶせ、樹生は部屋を出る。煙草が吸いたくなった。
 冬のベランダに裸で出る勇気はないので、換気扇をまわしてその下で煙草を吸った。ぼんやりと考えごとに耽る。暁登に触れてすっきりするかと思ったのに、なかなかの憂鬱で、気分が晴れない。それもこれも全てあの爺とその息子のせいだ、と心の中で樹生は毒づく。加えて茉莉。嫌になる。
 あれから早の家を出て仕事に向かっても、心の中はあまり穏やかではなかった。仕事は仕事、プライベートはプライベートとすっきり割り切れる性分の樹生には珍しいことで、正直参った。吸う煙草の本数は増えるばかりで、果ては苛々してきた。苛々すれば対人関係に摩擦は出るし、ミスも出やすくなる。同僚にも「話しかけづらい」と言われた。
 早の元は訪れていないが、電話では話した。早の話では、あの老人と中年の男は親子で、老人は早の亡くなった夫の古い馴染みだという。名を、老人の方は「夏居厳(なついいわお)」、息子の方は「夏居嘉彦(なついよしひこ)」と言うのだと教えてもらった。



→ 37

← 35




PCメンテナンス、無事に終了しました。
間にあってよかったです。

拍手[11回]

構想上の樹海をお読みいただいている皆様へ。
おはようございます。
本日の更新ですが、私用パソコンのメンテナンスが入ってしまいました。
終わり次第更新の準備をいたします。時間が読めないので定時(17時)に間に合わないかもしれませんが、更新は必ずいたします。
気長にお待ちいただけるとさいわいです。

よい日曜日をお過ごしください。




拍手[3回]

«前のページ]  [HOME]  [次のページ»
プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

****
2022*08*11-21
暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。

2021*12*04-2022*03*17
お久しぶりです。短編長編更新。
短編「さきごろのはる」
短編「月の椅子」
短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」

2021*08*16-08*19
甘いお菓子のある短編「最善最愛チョコレート」更新。
カウンター
カレンダー
04 2026/05 06
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
フリーエリア
最新コメント
最新記事
フリーエリア
ブログ内検索
忍者ブログ [PR]

Template by wolke4/Photo by 0501