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母親と娘と客を乗せて、暁登父は車を発進させた。途中、駅に寄って百夏を降ろす。高校三年生の彼女は、姪が産まれたからと言っても学校を休む訳にはいかないらしい。授業が一日遅れると大変だと言っていた。「学校の帰りに病院寄ってみる」と言い、爽やかに手を振って去って行く。つられて樹生も手を振った。
「じゃあ病院へ行きましょうか」と暁登父は再び車を発車させる。窓を開けたから朝の風が心地よく車内に入り込んでくる。
「――暁登の姉、コウコと言うんですが、これはあの子が産まれた日が妙な天気でね。日が差しているのに雨が降っているような、そんな日でして」
運転しながら、暁登父はそんなことを語り出した。
「頻繁に虹が出ました。だから虹の子と書いて、コウコと」
「ええ」
「暁登は朝に産まれました。天気の良い朝でね。朝焼けがとても綺麗だった。だから暁、という字を入れて」
「はい」
「百夏は夏の生まれの子です。産まれた時は未熟児で一時生死を彷徨う、なんてこともありまして。だから百度夏を迎えられますようにと、名付けました。障害も残らず大きく元気に育ってくれたのは本当に幸いです」
「名付けが良かったんですね」
「今じゃ元気すぎてもう、」
父親は苦笑する。
「虹子はのんびりとした子で、でも実行力はすごいんです。大学受験も、就職も、結婚も、『やってみるー』なんてのんびり言いながらどんどん実現させて。百夏はあの通りちゃきちゃきした性格というのか。末っ子特有の甘えっ子なところはありますがしっかりしていて、一番明るく元気です」
話の方向が見えないな、と思いながらも樹生は頷いた。
「暁登は……女の子に挟まれて育ちましたが、一番センシティブで、人の心の機微に敏感です。高校でだいぶ辛い目に遭いましてね。それを長いこと引きずっていました」
「……ええ、」
「ですが彼なりになんとかしたいと足掻くし、行動力はあるんですよね。諦めない、というところが僕は好きです。いま、……新しい職に就いて、それがいつまで続くか分かりませんが――足掻いたことが結果になって、自信がついたら、もっと素敵な人間になれる、と思います」
病院の看板が見えてきた。車は徐々にスピードを落とし、駐車場へと入庫する。
「子によって性質は様々。それは親になって子育てしないと分からないですから、虹子が親になってこれからそれを味わうのだと思ったら、僕はなんだか嬉しくてね」
それを聞いて、樹生は急に今の生活が虚しくなった。誰かと添いたい。誰かに傍にいてほしい。家族が欲しい。親になって、子どもを可愛がってみたい。
それは暁登とでは無理なのだ、と思ったら急激に心臓が冷えた。絶望に近かった。望む生活は、実は暁登では叶わない。そういうことに今更気付く。というよりは考えないように後回しにしてきたことを自覚させられた。
――このまま終わればいいのだろうか。樹生が欲しかったのは恋人で、家族で、子どもで、家庭だ。それにずっと飢えてきた。暁登とでは障害も困難も多すぎる。諦めなければならないことがたくさんある。
例えば、水尾を愛していた頃のような具体的な夢を暁登には見ることは出来ない。
駐車場にうまく車を収めて、エンジンを止めたとき、暁登の父親は樹生の方をしっかり向いて言った。
「暁登が誰かを家に連れてくるなんてこと、本当にないんですよ」
「……」
「あなたという先輩がいたんですね。ありがとう」
言葉が出なかった。
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「おはようございます」
「おはようございます。眠れましたか?」
樹生は苦笑して、「実はあまり」と答える。暁登父は目尻を下げて「実は僕も」と言った。
「それで散歩ですか?」
「ええ。この時期は朝歩くには最適ですよ」
「お姉さん、どうなったか連絡ありましたか?」
「あ、無事に生まれました」
暁登父ははにかんで答えた。その顔は皺が深かったが、表情が暁登によく似ていた。
「病院行ったら特に難産でもなかったみたいで。つるっと生まれた、と連絡がありました」
「――そうですか」
樹生も優しい気持ちになった。改めて「おめでとうございます」と言うと、暁登父は「ありがとう」と目を細めて頭を下げた。
「男の子ですか、女の子ですか?」
「女の子だそうです」
「早く顔を見たいんじゃないですか?」と聞くと、「まー、そうだけどねえ、」と言う。
「男親だって出産の時にすることなんかなんにもないですからね、爺がいっても余計にないです。岩永さん送り届けて、その足で様子見に行きますかねえ」
それを聞いて、樹生はふとその新生児の顔を見てみたい気がした。
「とりあえず家の中に入りますわ。岩永さん、目が覚めたならコーヒーでも飲みましょう」
そう言って暁登父は道を戻っていく。やがて廊下の向こうから玄関の扉が開く音がした。
樹生も立ちあがり、洗面所でトイレと洗顔を済ませてからリビングに顔を出す。家に残っているメンバーは皆すでに起きていた。暁登の祖母は座椅子に座って新聞を読んでいたし、妹の百夏は制服姿でキッチンに立っている。父親も手を洗い、コーヒーメーカーに豆をセットした。
「おはよう岩永さん」と百夏が明るく言った。
「岩永さんのお仕事って朝早いんだねえ。あきっちゃんから『六時半にはこの家出ないと』って聞いてびっくりしちゃった」
確かに、一度自分のアパートに戻ってから出勤するのであれば、その時間は妥当だ。むしろぎりぎりかもしれない。
「ごはんすぐ作るからその辺に座って待ってて。うち、朝はパン派だから自動的にパンだけど」
「充分だよ。ありがとう」
「なんのなんの」
百夏は快活な性格なのか、さっぱりとした口調で答える。昨夜のはしゃぎっぷりとはまた打って変わった逞しさを見る。フライパンや包丁の扱いは軽やかで手際がよかった。日ごろから馴れているのだろう。
「コーヒー、どうぞ」
暁登父がやって来て座卓にカップを置いた。樹生はありがたくそれを受け取る。コーヒーはブラックだったが、「甘くないと飲めなくて」と素直に言ったら「もちろんいいんですよ」と朗らかに笑い、ミルクと砂糖を出してくれた。
甘いミルクコーヒーは朝の胃を程よく刺激する。そうしているうちに百夏の手で食事が運ばれてきた。トーストに目玉焼きにアスパラガスのバター炒め、コンソメスープ。「簡単でごめんね」と言われたがここ最近の樹生の朝食の中では間違いなくトップグレードだ。最高に贅沢。
「さ、召し上がって下さい」と暁登父が言う。この食卓を見て、それを用意してくれた住人を見て、樹生は心を決めた。
「今日、私も一緒に病院へ行ってもいいですか?」
場が静まる。暁登の父親も妹の百夏も、きょとんとした顔でいる。
「でも、お仕事でしょう?」
「休みます」
笑ってそう告げると、親子はますます不思議そうな顔をする。祖母だけがのんびりとお茶を啜っていた。
「迷惑でなければ、私も新生児の顔が見てみたいなと思いまして」
百夏は父の顔を窺う。その父親は、やんわりと微笑んで「もちろん」と言ってくれた。
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「おはようございます。眠れましたか?」
樹生は苦笑して、「実はあまり」と答える。暁登父は目尻を下げて「実は僕も」と言った。
「それで散歩ですか?」
「ええ。この時期は朝歩くには最適ですよ」
「お姉さん、どうなったか連絡ありましたか?」
「あ、無事に生まれました」
暁登父ははにかんで答えた。その顔は皺が深かったが、表情が暁登によく似ていた。
「病院行ったら特に難産でもなかったみたいで。つるっと生まれた、と連絡がありました」
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「女の子だそうです」
「早く顔を見たいんじゃないですか?」と聞くと、「まー、そうだけどねえ、」と言う。
「男親だって出産の時にすることなんかなんにもないですからね、爺がいっても余計にないです。岩永さん送り届けて、その足で様子見に行きますかねえ」
それを聞いて、樹生はふとその新生児の顔を見てみたい気がした。
「とりあえず家の中に入りますわ。岩永さん、目が覚めたならコーヒーでも飲みましょう」
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「おはよう岩永さん」と百夏が明るく言った。
「岩永さんのお仕事って朝早いんだねえ。あきっちゃんから『六時半にはこの家出ないと』って聞いてびっくりしちゃった」
確かに、一度自分のアパートに戻ってから出勤するのであれば、その時間は妥当だ。むしろぎりぎりかもしれない。
「ごはんすぐ作るからその辺に座って待ってて。うち、朝はパン派だから自動的にパンだけど」
「充分だよ。ありがとう」
「なんのなんの」
百夏は快活な性格なのか、さっぱりとした口調で答える。昨夜のはしゃぎっぷりとはまた打って変わった逞しさを見る。フライパンや包丁の扱いは軽やかで手際がよかった。日ごろから馴れているのだろう。
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暁登父がやって来て座卓にカップを置いた。樹生はありがたくそれを受け取る。コーヒーはブラックだったが、「甘くないと飲めなくて」と素直に言ったら「もちろんいいんですよ」と朗らかに笑い、ミルクと砂糖を出してくれた。
甘いミルクコーヒーは朝の胃を程よく刺激する。そうしているうちに百夏の手で食事が運ばれてきた。トーストに目玉焼きにアスパラガスのバター炒め、コンソメスープ。「簡単でごめんね」と言われたがここ最近の樹生の朝食の中では間違いなくトップグレードだ。最高に贅沢。
「さ、召し上がって下さい」と暁登父が言う。この食卓を見て、それを用意してくれた住人を見て、樹生は心を決めた。
「今日、私も一緒に病院へ行ってもいいですか?」
場が静まる。暁登の父親も妹の百夏も、きょとんとした顔でいる。
「でも、お仕事でしょう?」
「休みます」
笑ってそう告げると、親子はますます不思議そうな顔をする。祖母だけがのんびりとお茶を啜っていた。
「迷惑でなければ、私も新生児の顔が見てみたいなと思いまして」
百夏は父の顔を窺う。その父親は、やんわりと微笑んで「もちろん」と言ってくれた。
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「あんたの明日……もう今日か、の、仕事に間に合うように送ってくつもりだったんだけど予定がずれた」
「……なに、どした?」
「姉貴が産気づいた。破水してるみたい。おれ、姉貴を乗せて病院行かなきゃ」
さすがに驚いて一気に目が覚めた。起き上がろうとするとずきっと頭が鈍く痛んだ。「あー、いいから寝てろ」と制される。
「いや、寝てる場合じゃないだろ、」
「あんたは寝てる場合でいいんだよ。客だからな」
「……いま何時、」
「三時。だからいいんだよ、ほんと」
暁登は腕に嵌めた時計を見ながら「あんたのアパートまでは朝になってから親父が送ってく」と言った。
「おれはいますぐ姉貴とお袋と義兄さん連れて病院に行く。今朝のばあちゃんの面倒と食事の用意とかは百夏がしてくれるから」
「……どこの病院?」
「市の総合病院」
聞いて、いつかの苦い記憶が甦った。かつての婚約者が子どもを産んだ病院、その父親に訳もなく責められた病院、それを暁登に聞かれていて関係がこじれた病院だ。
暁登もそれを思い出したのか、目を少しだけ細めた。理由もなく目を見合う。また足音がして、二人は即座に目を逸らした。
部屋に顔を覗かせたのは暁登の母親だった。
「――暁登、岩永さんにお話済んだ?」
「済んだ。ごめん、行こう」
暁登は立ち上がる。暁登の母親は「変にばたばたしちゃってごめんなさいね」と樹生に軽く会釈をした。
「いえ、こんな時に来てしまって、申し訳ないのはむしろこちらの方です」
「朝までゆっくり休んで。また良ければいらして下さい。そう、赤ちゃんの顔を見にね」
そう言われ、樹生も軽く頭を下げた。親子は足早に部屋を出て行く。
樹生はまた布団に体を横たえる。心臓の動きがいつもよりも速い気がした。唸っているのは、久しぶりに暁登の目なんか覗いてしまったからか。
眠ってしまうのは惜しいと感じる。また、何かの決定的な瞬間――例えば暁登の甥か姪かの産声、を逃すような気がした。だからって起きていても仕方がない。樹生はこの家では部外者で、客で、せめて自力で帰ることさえ今の状況では難しい。
考えているうちに体は浅く眠りへと向かう。微睡んでは浮上して、また沈み、ゆっくりと浮き上がると、なんとなく辺りが白んでいた。
スマートフォンの時計を確認すると朝五時より少し前だった。カッコウが遠くで澄んだ声音を響かせていた。窓の障子を引く。そこは家の裏手の道に面しているようで、ちょうどその道を歩いていた暁登の父親と目が合った。
会釈をされたので、樹生は窓を開けた。途端に朝の清浄な空気が滑り込んで来る。南風の、少し湿気た匂いがした。
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「……なに、どした?」
「姉貴が産気づいた。破水してるみたい。おれ、姉貴を乗せて病院行かなきゃ」
さすがに驚いて一気に目が覚めた。起き上がろうとするとずきっと頭が鈍く痛んだ。「あー、いいから寝てろ」と制される。
「いや、寝てる場合じゃないだろ、」
「あんたは寝てる場合でいいんだよ。客だからな」
「……いま何時、」
「三時。だからいいんだよ、ほんと」
暁登は腕に嵌めた時計を見ながら「あんたのアパートまでは朝になってから親父が送ってく」と言った。
「おれはいますぐ姉貴とお袋と義兄さん連れて病院に行く。今朝のばあちゃんの面倒と食事の用意とかは百夏がしてくれるから」
「……どこの病院?」
「市の総合病院」
聞いて、いつかの苦い記憶が甦った。かつての婚約者が子どもを産んだ病院、その父親に訳もなく責められた病院、それを暁登に聞かれていて関係がこじれた病院だ。
暁登もそれを思い出したのか、目を少しだけ細めた。理由もなく目を見合う。また足音がして、二人は即座に目を逸らした。
部屋に顔を覗かせたのは暁登の母親だった。
「――暁登、岩永さんにお話済んだ?」
「済んだ。ごめん、行こう」
暁登は立ち上がる。暁登の母親は「変にばたばたしちゃってごめんなさいね」と樹生に軽く会釈をした。
「いえ、こんな時に来てしまって、申し訳ないのはむしろこちらの方です」
「朝までゆっくり休んで。また良ければいらして下さい。そう、赤ちゃんの顔を見にね」
そう言われ、樹生も軽く頭を下げた。親子は足早に部屋を出て行く。
樹生はまた布団に体を横たえる。心臓の動きがいつもよりも速い気がした。唸っているのは、久しぶりに暁登の目なんか覗いてしまったからか。
眠ってしまうのは惜しいと感じる。また、何かの決定的な瞬間――例えば暁登の甥か姪かの産声、を逃すような気がした。だからって起きていても仕方がない。樹生はこの家では部外者で、客で、せめて自力で帰ることさえ今の状況では難しい。
考えているうちに体は浅く眠りへと向かう。微睡んでは浮上して、また沈み、ゆっくりと浮き上がると、なんとなく辺りが白んでいた。
スマートフォンの時計を確認すると朝五時より少し前だった。カッコウが遠くで澄んだ声音を響かせていた。窓の障子を引く。そこは家の裏手の道に面しているようで、ちょうどその道を歩いていた暁登の父親と目が合った。
会釈をされたので、樹生は窓を開けた。途端に朝の清浄な空気が滑り込んで来る。南風の、少し湿気た匂いがした。
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暁登父は樹生と、婿と、自身のグラスにビールを注ぎ、ホットプレートにスイッチを入れて餃子を焼き始めた。目元は暁登によく似ていたが、体格は暁登とは全く違って固く締まっていた。暁登はどちらかと言えば母親似なんだろう。暁登母は華奢で線の細い体つきをしていた。
「暁登が友達を連れて来るなんてそうはないんですよ」と暁登父は言う。
「郵便局にお勤めだとか。その節は息子がお世話になりました」
「……いや、私は特に何かしたわけではないですし」
「辞めてしまいましたけどね、配達員の仕事は暁登にとっては長く続いた職でもあるんですよ。いい先輩がいて、と言っていました。岩永さんのことでしょう」
暁登父は穏やかに喋る。あなたのお陰だ、と言わんばかりで、樹生はここにも並々ならぬ信用と信頼があるのかと、苦笑する。
「辞めてしまったのは惜しいと思いましたけど、……組織としては大きくて、色んな人のいる会社です。いい人もいれば、あまりそうでない人も」
「まあ、そんなのは僕の会社もそうですよ。きっと、どこでも」
「そうですね。塩谷くんの新しい仕事が……うまく続けばいいなと思います」
と言うと、暁登父は「本当にありがとう」と嬉しそうにはにかんだ。隣に座る暁登は黙ったまま、こちらはアルコールではなくお茶を煽る。
焼けた餃子を皿に取り分け、意味もなく杯を合わせた。とりとめもない話をする。義兄は樹生よりひとつ年下だと知って、樹生はまた苦笑した。
「岩永さんはご結婚はされてないんですか?」と義兄に尋ねられる。隣にある体は何も動じないのが悔しくなり、「したいですよ」と答えた。
「それはしたいと思う人がいるってことですか?」
「そうですね」
と言うと、カウチに寝そべる暁登の姉と、台所に立って家事を手伝っていた妹とが一斉に「きゃ」と反応した。二人とも身を乗り出して、こちらの話に興味津々だ。
暁登だけがしれっと餃子を食べている。
「ですが難しいかもしれません」
「なぜ?」
「……前にね、一度婚約破棄にならざるを得なかったことがあって。まだ二十代の半ばの頃で、とても辛かった。だから慎重になっているのと、」
いつの間にか塩谷家の皆が樹生を窺っていた。
「私はとても淋しがりで甘えたがりで家族という存在が欲しい、ということを、恋人に伝える努力をしてこなかったから、ですかね。関係をこじらせまして」
「それは、いまの恋人さん、に、ですか?」
「そうです。……言葉だけじゃ伝わらないことはたくさんありますが、言葉にしなければ分からないこともたくさんある、ということを忘れていました」
一家はボウッと樹生の言葉を聞いていたが、暁登の姉がうっとりと「そういうの、大事だよねえ」と発言したのを機に、それぞれの表情を見せた。
「ちゃんと考えてる岩永さんが偉いよ。大丈夫ですよ、きっと話せば恋人さんとの関係もうまくいきますって」
と暁登の姉は言う。義兄もうんうん、と頷いていた。
「そうだといいんですけど」
「ねえねえ、恋人さんってどんな人なんですか?」
と興味津々に訊ねてきたのは、暁登の妹だった。
「岩永さん格好いいから、こんな人あたしだったら手放さないよー」
そう言われ、困ったなと思いながら「ありがとう」と答えたらまた色の付いた悲鳴が上がり、暁登母に「あんたいい加減にしなさいよ」と窘められていた。
「だってー、格好よくない? 好きな人のこと一番に考えてるって」
「そうねえ」
姉妹は口々に樹生を褒める。妹が「あたしとかどうです?」と言い出すのは、さすがに面食らった。
「その恋人さんとうまくいかなかったら、あたしと付きあいません?」
「もーも! このばかっ! お客さん困らせるようなこと言うんじゃないよ」
すかさず突っ込んだのは暁登母だったが、懲りず妹は「えー?」と不満を漏らす。
「彼氏ほしーもん。岩永さんていくつって言いました? 年下はどうですか?」
「百夏(ももか)、」
妹を呼んだのは暁登だった。
「この人はやめとけ」
「あきっちゃんなにか知ってるんだ?」
「知んない。おれはなんにも知らないよ。でもこの人はやめといて」
「なんでー?」
「なんでも」
それ以上を暁登は語らず、また食に集中し始めた。妹はしばらく不満そうな顔をしていたが、義兄に「焼けたよ」と餃子を渡されるとそれ以上のことは言わなかった。
「――でも、」
会話を引き継いだのは姉だった。
「確かに岩永さん、とても素敵だね」
「きみもそれを言うのか?」夫が呆れた顔を妻に向けた。
「あなたも素敵なお父さんになるんだよ」
「うーん、努力はする」
夫婦に、兄妹、姉妹に、姑と嫁、親子。様々な関係がひとつの家の中にあり、それぞれで会話をする。話題は尽きず、弾んでは笑いが起こる。いい家庭だなと思ったら樹生は無性に泣きたくなった。それを堪えてビールを煽ると、暁登父が注いでくれた。
いつの間にか眠っていた。自分の足で客間に敷かれた布団まで歩いて来たことはなんとなく記憶にあったが、あまりよく覚えていない。結構深く酔っ払った。暁登の父親と義兄も同じくらい飲んだはずだ。楽しい酒だった。
客間は暁登と兼用で、だが騒がしさにふと目が覚めた時には暁登は隣にいなかった。
何時だろう、と思いながらも布団の心地よさに微睡んでいると、ばたばたと足音がして部屋の襖が開いた。目だけ開けると、廊下の明かりに照らされて暁登が樹生を覗き込んでいるのが分かった。
「なんだ、起きてる」
暁登はそう言い、「ごめんちょっと話聞いて」と樹生の布団の傍にしゃがんだ。
→ 77
← 75
暁登の実家までは、暁登の車で向かった。中古か新車かわからないが、少なくとも樹生の知らない車だった。もちろん暁登が運転した。樹生は助手席に座り、夜の街を眺めた。商店やビルや家々の明かりが窓の外に流れていく。残像ばかりちらついた。
そういえば暁登の家族構成を知らないことに気付く。訊ねると、暁登はふっと笑った。あざ笑った、という表現が正しいような笑みだ。
「……なに、」
「あんたにようやく訊かれたな、と思っただけ。おれに関わることに興味がないんだと思ってたから」
そんなことはない、と思ったが、確かにこれまで訊いたことはなかった。本人が語らないなら聞かなくていい、と思っていた。いままでは。
「……いや、いきなり実家ってのに、ちょっと心構えをしておきたいから」
暁登は「まあそうだよな」と頷き、家族の事を話しだした。
「ばあちゃんと、両親と、姉ちゃんと姉ちゃんの旦那と、妹。おれ入れて七人だな」
その数には驚く。姉がいることは知っていたが、核家族なのだと思い込んでいた。
「――お姉さんの旦那さんってのは、婿養子ってこと?」
「そう。おれが家には残りたくないと言ったら、姉貴が、なら婿取るって言ってくれた。有言実行の所が凄いよな」
「……」
「ばあちゃんは今年で九十歳、両親はまだ定年前で働いてる。母親は看護師で、父親は車の修理ってか、ロードサービスの仕事をしてる。姉貴と義兄さんは職場結婚。妹はいま高校三年生。進学したいって言ってるから、受験生だよ」
慌ただしいんだ、と暁登は言う。だがその表情は柔らかかった。その表情を見て、樹生はしようもない焦燥感に駆られた。
「家が狭くてね」
暁登のその台詞は、家に到着したときにはっきりと判明した。「どうぞ」と樹生を迎えてくれた暁登の母親の勧めで家の中に入る。リビングルームには暁登の家族が勢揃いしていて驚いたが、カウチに寝そべっていた暁登の姉の腹が大きくて、二重に驚いた。
「すみませんね、こんな格好でお客さんをお出迎えして」と謝ったのは暁登の義兄だ。
「――臨月、ですか」
「ええ。予定ならもう生まれてるんです」
「えっ」
寝そべる暁登の姉は「なかなかお腹から出てこないんですよー」とのんびり言い、暁登の母親が「初産は遅れるって言うからね」と言った。
「あなたせっかち?」と言われて意味が分からず、ひとまずせっかちではないので「いいえ」と答えた。
「残念ね。せっかちな人にお腹触ってもらうと早く生まれるって言うのにね」
面食らいながらも、さあさあどうぞどうぞと勧められるがままに座卓に座る。暁登も隣に座した。こっそりと「家が狭いって、家族が増えるからか?」と訊くと、暁登は「うん」と頷いた。
「部屋がないんだ」
「だからひとり暮らし?」
「それだけじゃないけどね。一度、ちゃんと外で、ひとりで暮らしてみたかった」
ぼそぼそと話していると、食卓に料理が並び始めた。「毎月の月初めは中華の日でね、今日は餃子」と樹生の隣に座った暁登の父親が説明してくれる。家庭内で包んだものを、ホットプレートで焼きながら食べるらしい。暁登の父親が「酒は飲めますか」とビールを片手に言うので、暁登を窺う。暁登は「泊まってけばいいよ。明日送ってくから」と言うので、グラスを受け取った。
→ 76
← 74
プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。
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暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。
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短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」
2021*08*16-08*19
甘いお菓子のある短編「最善最愛チョコレート」更新。
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