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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 山荘までは片道二時間半ほどだ。従業員用の裏口から山荘内に入った。ちょうど休憩中だった従業員が人懐こく三人を迎える。直生はもの珍しそうにキョロキョロと施設内に視線を巡らせていたが、従業員のひとりに「大きいねえ」と声をかけられ、恥ずかしげに「はい」と答えた。
「通孝くんの同級生だって?」
「はい。岩永と言います。今日はお世話になります」
 ぺこぺこと頭を下げ続ける直生を引っ張り、通孝は表玄関へと向かう。受付台にいたのは祖父だった。フロントマンが休憩に入ったので、祖父が替わったのだ。
「通孝」と祖父は孫の姿を認めて声をかけた。「ずいぶんでかいの連れてきたな」
「なにか手伝うことがある?」と訊ねると祖父はニコリと笑むことで答えた。
「今日はな、もう客も入っちまったから後は従業員に任せておけばいい。むしろお前達みたいなのにうろちょろされたら迷惑だ。明日、頼むよ。客が捌けたらトイレと風呂の掃除だ」
「分かった」
「厨房に顔出しな。まかない出してくれるだろうよ。夕飯だ」
 祖父に礼を言って通孝はまた歩き出す。直生もついてきた。言われた通りに厨房に顔を出すと、料理人らが忙しなくも笑顔で出迎えてくれた。「こっち」と直生を隅のテーブルに着かせる。勝手を知っている通孝は邪魔にならないように料理をよそってもらい、テーブルに運んだ。
「やったね。今日のまかないはシチューだ」
 黒々とこっくり煮詰めたシチューは、野菜の残り屑やら肉の切れ端やらで作られる。何時間も煮込んで作るそれは白米に泣けるほど合うので、ここでしか食べられない通孝の好物でもあった。
 直生は目を開いて料理を見つめていた。
「食べようよ。あ、嫌いだった?」
「……いや、こういうのははじめて食べるから、」
「残り物ばっかり入ってるのに、美味いんだよ」
 口々に喋っていると、料理人のひとりがフライパンを持って近付いてきて、「そう、美味いんだ」と言ってふたりの皿にそれぞれオムレツを滑りこませた。
「玉子があると絶品だ」とにやりと笑う。
「玉子、いいの?」
「特別な。その代わり明日はうんと働けよ」
「ありがとう」
「はいよ」
 通孝が食べ始めたのを見て、直生もおそるおそる皿の中身を口にした。しばらく無言だったが、「どう?」と聞くと口の中のものを咀嚼して飲み込んでから「食べたことのない味がする」と答えた。
「美味い」
「だろう?」
「本当に美味い」
 それからは無言で腹を満たし、満たされた後は食器を洗って今度は従業員寮に向かう。今夜はそこに一室、通孝と直生の為に部屋を貰っていた。「お客さんが使った後に風呂を使うからさ、十時にならないと風呂には入れないんだ」と説明して、押し入れから布団を引っ張り出してごろりと寝転んだ。
 さすがに疲れていたが、冴えてもいた。直生は布団の上に体育座りでぼんやりしていたが、やがて「みんないい人たちだな」とこぼした。
「色んな人がいるから、一概にそうは言えないよ」
「でも、晩は可愛がられている」
「いずれの跡継ぎ、って立場だけだよ」
「……いや、違うと思う」
 耳の後ろをガリガリと掻き、直生もついにごろりと寝そべった。
「おれの家は、こんな風にはならない」
「……おふくろさんと、ふたり暮らしなんだよな」
 訊ねるも、勇気が要った。昼間さらっと聞いた話の限りでは、家庭環境のことを安易に訊ねるのはどうかと思った。だが直生からこの話題を振ったので、無視しようにも無視できない。
 直生は黙る。言葉を探しているふうに思えたので、「言いたくなければ言わなくていい」と言い添える。
「話したくないことは話さなくても。……ごめん、やっぱり僕は距離が近いんだよな」
 直生は黙っている。うつ伏せて顔を上げない。
 だがややあってくぐもった声で「晩にはなんでも話せてしまうから怖い」と返事があった。
「警戒心を解かれるっていうのか、……話しても大丈夫かなって、安心感があるっていうのか、」
「そうかな」
「うん。人と人との距離にするっと入り込んでくる」
 少し考えて、「それが嫌なら気をつけるよ」と言ったが、直生は首を横に振った。
「嫌、ではないから、気をつけることはないよ」
「……そう」
 ぼそぼそと喋っているうちに扉がノックされた。顔を覗かせたのは先ほどふたりの食事にオムレツを滑りこませてくれた若手の料理人だ。「風呂、入るだろ?」とわざわざ声をかけに来てくれた。
「時間前だけど、入っていいってさ」
「ありがと、有起哉(ゆきや)さん」
「先行くぜ」
 パタンとまた扉が閉まる。風呂行こうか、と通孝は支度を始める。タオルを渡してやると、直生はようやく起き上がった。通孝を見上げる格好になる。
 ひどい顔色で、泣きそうな表情をしていた。
「――晩、」
 と呼ばれてドキリとした。
「協力してくれないか」
「なにを、」
「橋本先生が鳥飼先生に近付くことを、おれは容認出来ないから」
 きゅ、と寄った眉根で切々と訴えられたが、通孝にはまるで分からない話だった。


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 バスの中では父親が案内人らしく今日のコースや見どころ、注意事項などを説明してみせた。直生は通孝の隣に座ったが、反対側の座席には鳥飼が座ったので、通孝と喋っていてもどこか彼女を気にしている風だった。なんとなく違和を感じながらも窓の外を見る。今日行く山は通孝自身も父親や山荘の従業員らとよく来ていたので、いま進んでいる道も知っている道だった。
 今日は主に湿原を行くコースだ。五月の湿原は山からの雪解け水が流れ込む為、普段よりも水量も多く、ちがう一面を見せる。こんな平地をうらうら歩くよりはもっと岩場や雪渓を歩きたかったな、と通孝は思うのだが、あくまでも「初心者向け」の「ハイキング」の様相だ。
 バスを降りてまずは皆で柔軟体操をした。屈伸をし、ふくらはぎを伸ばす。手首足首をまわす。それから隊列を組んで歩き始めた。生徒を中程に置き、教師を前方と後方に置いて一行は進む。
 ここの湿原は手入れが行き届いている。木道も地元民によって丁寧に整備されていた。けれど時折、驚くぐらいの段差やぐらつきがあったりもする。ここは気をつけて、と前方で父が注意するのを後ろへと伝えていく。
 通孝の後ろに着いた直生にそれを伝える時、それよりもっと背後で不意に笑い声が響いた。振り向くと鳥飼と橋本が何やら楽しそうに笑顔を見せている。背後の並び順までは気にしなかったのだが、橋本が鳥飼の後ろに着いて歩いていたようだった。鳥飼は体の小ささに見合うように足が遅く、この集団からは遅れ気味であった。その鳥飼を見守るようにして橋本が最後尾についていた。
 大方、橋本がくだらない冗談か大げさな体験談でも語ったのだろう。いつものことだ。だが直生が立ち止まってそちらをしばらく眺めていたので進行が一時止まった。通孝は「どうした?」と訊ねる。
 直生の、捩った首に現れた大動脈の盛り上がりを見て、訳も分からず心臓が一瞬跳んだ。なんの感情かは分からないが、その造形が恋しいような気がして、通孝は自身のその感情に戸惑う。直生は「いや」と言ってまた歩き出した。「順番替わって」と言うので通孝の先に通す。
 大きな歩幅でぐいぐいと直生は木道を進んでいく。一堂はやがて湿原を抜け、川沿いの野原に出た。「ここで休憩にしましょう」と通孝の父が言い、めいめい好きな場所に腰を下ろした。もちろん、通孝は直生と共に座る、はずだった。
 遅れて鳥飼と橋本が到着した。話が弾んでいるのか、ふたりは笑っている。直生はスッと立ち上がると、そこへ駆けて行った。通孝に何も言わず、その場からあっさり去ってしまったのだ。
 傍で輪を作って弁当を取り出していた山岳部員のひとりが「部長?」と声を掛けてきた。「なんか、置いてかれてしまいましたね」
「うん……」
「こっちの輪に入りますか?」
「いや、……」
 通孝は直生の行動を遠くから眺めた。鳥飼と橋本と直生とで何か話していた様子で、結局三人でその場に腰を下ろしてしまった。弁当でも食べるのだろうか。通孝はなんだか面白くない気分になり、先ほど声を掛けてくれた部員に「やっぱり入れてくれ」と頼んで輪に交ざった。
 弁当を食べ、適当に会話を楽しみ、野原で自由時間を過ごした後に、再び列を組んで木道を進んだ。来た道とは別ルートを利用してバスまで戻る。だが通孝の後ろには直生は着かなかった。最後尾の鳥飼と橋本、このグループに加わって歩いていた。
 バスの座席が決まっていた訳ではなかったが、なんとなく行きと同じ席順で座った。通孝の隣には直生。だが会話が弾まない。通孝の方が気分の悪さを引きずっていて、あえて窓の外を眺めることで直生を無視していた。
 一行は学校に戻り、解散となった。通孝の父は山好きの教員連中となにやら談笑していたので、通孝はひとりで帰るべく集団から遠ざかる。と、直生が「晩!」と大きな声で呼んだ。振り向くと直生は長い足をしなやかに動かして通孝の元へ駆け寄ってくる。
「少し話がしたいんだけどだめかな」と直生は言った。直生のその台詞に被せるようにして今度は「通孝!」と遠くから呼ばれる。父親が呼んだのだ。彼は小走りに通孝の傍へやって来る。
「今日これから山荘の方に来ないか? 明日も学校は休みだろう」と父親は言った。
「連休の手伝い要員が欲しいだけなんだろう?」
「そういう意味合いもあるな」
 通孝は傍らに控える直生のことを考えた。考えて、「友達も一緒でいいなら」と直生を指差しながら答えた。
 直生は「え?」と言い、父親は「お」と言った。
「構わないよ。うちの山荘に来てみるかい?」と父親が直生に言う。
「でも、」
「手伝わされるだけだから嫌なら断っていいよ。でも、岩永がいいなら」
 しばらく直生は逡巡していたが、やがて頬を少し赤くして、「じゃあ、行きます」と父親に言った。
「このまま直行していいかい?」と父親はふたりに訊ねる。
「構わないです」
「ではふたりとも車に乗って。行こう」
 三人で通孝の父親の車に乗り込んだ。


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 春山登山の日はあっという間にやって来た。
 天候が心配されたが、当日はよく晴れた。暑くなりそうだと予感させる陽の光だった。通孝は父親と共に家を出て、集合場所になっている学校に向かう。バスを借りており、学校からはそれに乗って登山口まで移動するのだ。
 参加者は二十人程になった。山岳部が七人でうち二人が新入部員だ。そこに顧問・副顧問の教員らがわらわらとくっつく。山岳部に関係ない者はそのほとんどが教員だった。山岳部以外の生徒は直生と、天文部員から数名。教員の中には当然のように校長も混ざっていた。
 集合場所に着くと、既に人が集まっていた。長身なので直生の姿はすぐに確認出来た。その傍らには担任の鳥飼がいて、ふたりは何やら談笑している。通孝の姿を認めると直生は手を上げ、鳥飼は軽く会釈をした。ふたりの傍に寄る。
「おはようございます」と挨拶をしあう。鳥飼は通孝の背後にいた父親に「担任の鳥飼です」と深く頭を下げた。四月の下旬に担任と生徒、保護者の懇談会があったのだが、通孝の父親は山荘が忙しいと言って母親に出席を任せていた。よってふたりは初対面ということになる。
 父親はにこりと笑った。
「息子がお世話になっております」
「今日はよろしくお願いします」
「ええ、楽しい登山にしましょうね。準備体操は念入りに」
「はい」
 やり取りをするふたりを見てなんとなく面映ゆいような気でいると、直生がこっそりと耳打ちしてきた。「お父さん、晩に似てるな」
「逆だ、逆。僕が父さんに似てんの」
「耳の形がそっくりだ。あと体格も」
「身長の伸び悩みの理由も納得するだろ?」
 自虐的にそう言うと、直生は「ホントだ」とくすくす笑った。
「岩永はどうなの? 父親に似てるとか母親に似てるとか」
「分かんないな。とりあえず母さんにはあんまり似てないみたい。母さんはおれのことを父親似だって言う。けど、おれは父さんの顔を見たことがないから知らない。見たことはあるんだろうけど、小さい頃の話だから覚えてないんだ」
 唐突な告白に通孝はギョッとする。
 直生は続けた。
「おれは、父親似。だから母さんから嫌われちゃう」
「……どういうこと、」
「母さんは父さんが好きでたまらないって話。だからおれを見てると辛いんだって。うちは母子家庭なんだ。父さんは戦争で片足なくして、それでろくに働けなくて酒に溺れるようになって、依存して、死んだ」
 思いがけず重たい話だった。通孝はどうしてよいのか、狼狽える。だが直生はどこかで起きている遠い事象でも説明するかのように淡々と事実を述べる。
「父さんと母さんはお見合い結婚だったけど、ふたりともお互いの事が大好きだったみたい。結果的に父さんは体と精神を壊して死んじゃって、母さんはすごく淋しい。父さんが死んだとき、後を追うんじゃないかとひやひやしたぐらいで、……おれを見ると辛い顔して、急に抱きしめてきたり、叩いたりするから、あんまり家にいないようにしてるんだ、おれは」
 だからほぼ初対面の通孝の家にもやって来たのだろうかと、ぼんやりと思った。
「だから将来おれに嫁さんが来てくれたら、あったかい家にしたいな。子どもを食っちゃわないような、家に帰りたくないような家がいい」
「……そうだね」
 としか言いようがなかった。
 岩永直生という少年の境遇を知って、通孝の胸は暗く塞ぐ。憂鬱になるような大事な秘密をなぜこの少年は通孝になど話すのか。直生は「この話は内緒にしてて」と念を押した。言われなくても喋り散らして愉しむ趣味は通孝にはなかった。
「――じゃあ、うちに来てるといいよ」
 と言うと、直生は無防備な顔をこちらに向けた。
「もう少し季節が進んだらさ、うちの実家じゃなくて、山荘の方にも来いよ。夏休みとかどうせ僕は山荘の手伝いに駆り出されるから、岩永も。うまくやれば小遣い稼ぎになるよ」
「……ありがとう」
 直生はどこか痛々しい笑みを見せた。


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 その日の放課後、通孝は初めて直生と下校を共にした。直生が「これは重要で、緊急の問題」と大真面目に言ったからで、かつ「橋本先生には内緒」だと言う。ひとまず橋本には「春山登山に他の部活動の生徒でも参加できるかどうか」だけを確認しておいた。橋本はあっさりと了承する。いわく「美術部なら鳥飼先生も参加されるからな」とのことで、「スケッチでもすればいいじゃないか」と、持ち前の「あらゆる分野を絡める」思考を堂々と展開した。
 直生の話を聞ける場所をあれこれ考えて結局は通孝の家に上げてしまうことにした。空き地や公園では陽が暮れるとまだ肌寒い。図書館ではお喋りなど出来ない。喫茶店に入る金はなかったし、あったとして下校途中の買い食い、飲食店への生徒のみでの立ち寄りは校則で禁止されていた。直生は「うちに来てもいいけど」とは言ったがそこには何か躊躇いが含まれていたので、通孝が「僕のうちの方が近いみたいだし」と適当に理由をつけて直生と帰宅した。
 K高地の山荘は通年で営業しているわけではない。冬季は閉鎖する。三月頃に従業員を募って山荘に向かい、住み込みで働かせながら営業再開の準備をして、四月より客を迎える。今は営業が始まったばかりの頃で、よって晩家はなんとなく慌ただしい。祖父と父親は山荘へ行きっぱなしだし、普段、平日は割と家にいる母も、この時期は山荘と家とを行ったり来たりしている。家事は通孝と小学生の妹・志津(しづ)が祖母の指導の下に分担で行っている。
「せっかくだからめしでも食ってって」と言うと、「それは申し訳ないよ」と直生は言った。通孝は「いいんだよ、別に」と軽くあしらう。
「めしは僕や妹が作るんだけどさ。多めに作った方が料理って美味い気がするんだよね。だから食ってって。人が多い方がばあちゃんも喜ぶし」
「……」
「あー、だったらこうしよう。岩永はさ、頭がいいんだろ? 学年で指折りに入るって聞いた。僕は国語や社会がいまいちわかんないんだよね。こないだのテストもそうだったんだけど、単語が滑るっていうか、頭に入ってこないんだ。そういうコツとか知ってそうだから、ついでに教えてくれたらありがたい」
 と言うと、直生は「分かった」と言って丁寧に頭を下げた。「ありがとう、お邪魔します」
 家では祖母が洗濯物の片付けと風呂の支度を、妹が宿題をやっている最中だった。祖母と妹は急に現れた客にあからさまに驚く。それは直生が長身であるからで、祖母など「いまの子はこんなに大きいのねえ」と言うのだから思わず直生と顔を見あわせてしまった。
「僕だっていまの子だよ。夕飯食べてくけどいいよね」
「もちろんさね。今日はお隣さんから鶏肉をおすそ分け頂いたから、お肉をたくさん食べていくといい」
「え、お隣さん、鶏を絞めちゃったってこと?」
 隣家はこの辺でも有数の農家で、家も大きければ庭も広い。その広い庭に鶏を飼い、卵を採っていた。
「なんかねえ、産んだ卵を自分で食べるようになっちゃったから、絞めたんだって」答えたのは志津だった。
「檻が狭すぎたのかなって、おばさん言ってたよ」
「ああ、」
「卵の味を一度覚えるとね、執拗に繰り返すって言うからねえ」
 と祖母はしみじみと言い、直生に茶を出してくれた。
 だが直生はぼんやりと立ったままだ。
「――岩永、どうした?」
「あ、いや、」
 声をかけるとようやく返事をした。
「……親が子どもを食べるんだ、と思って」
 小さな声でぽつんとそう、言った。
 その日、通孝が用意したのは親子丼と味噌汁と青菜のおひたし、祖母の漬けた漬物、というごく一般的な献立だったが、直生は体の大きさに見合わずあまり食は進まなかったようだ。日頃の食事量をあまりよく知らないのであくまでも推測だが、成長期の少年が食べるにしてはあまりにも少ない、と通孝は感じた。もしかすると祖母よりも食べなかったかもしれないと思うぐらいだった。見ていた祖母は直生が遠慮したとでも思ったのか「もっとあがっていいんだよ」としきりに勧めたが、直生は曖昧に笑ってひたすら茶をすすっていた。
 食事を終えて、二階にある自室に直生を伴って下がる。部屋に入ってから通孝は「ごめん」と謝った。直生はきょとんと目を丸くする。
「僕は家が家で、あまり人見知りをしない性質だからこう、……初対面の人でも一緒にめしとか、平気なんだけど、岩永はそうじゃなかったかな、って」
「あ、いや」
「同じ学年だったけど、同じクラスになったのは最近で、自己紹介したのも今日だったもんな。それで家まで連れて来ちゃって、緊張させた?」
「緊張は、ええと、……少し、そう、少しはしたよ」
 直生はしどろもどろに答える。
「けど、別におれは、晩に対して警戒していたってことではないし。そう、ちょっと……びっくりしただけ」
「何に?」
「んー……まあ、色々だよ。色々なことに。おれの家とは随分と違うなって、そう思っただけ」
 長い手足を上手に折りたたんで、直生は狭い部屋に体を収める。それを見て通孝は昆虫を連想した。カマキリやバッタなんかはこんな風に鎌や肢を備えているものだと。
 通孝もその傍に座った。
「――で、なんだっけ。重要で緊急の問題」
「ああ、……いや、先に今日の宿題でもやろうか」
 と言うので、通孝は「え?」と聞き返した。
「教えてほしいって言ってたろ、勉強」
「そうだけど、それは」
 あくまでも通孝の家に招く建前だ。話があると言っておきながらいざ話せと促すと渋る。よっぽど言いにくいことなのだろうか。直生の言動がいまいちよく分からない。
 それを指摘すると、彼は「正直に言うと」と申し訳なさそうな顔をした。
「話す気がなくなっちゃった」
「……緊急の問題なんだろ?」
「緊急だけど、心の問題でもあるから」
 そう意味深に言い、鞄から教科書や鉛筆を取り出す。なんだろうな、と通孝は考えるが、よく分からない。だが初対面に等しい間柄であるので、今日はこんなところなのかな、とも思う。
 直生が取り出したノートとノートの間に、見慣れた紙が挟まっているのを見つけた。それは通孝の鞄の中にも入っている。個人の身体測定の記録表だった。
「それ」と言うと、直生は「ん?」と顔をあげた。ノートの間から記録表をつまみ上げながら「見ていい?」と訊ねると、直生はぼんやりと「いいよ」と答えた。
 記録表は数値を書き込むほかに、グラフにもなっている。直生のグラフはグラフに収まりきらずにはみだし、その急激に右斜め上にあがる線を見て通孝は文字通り目を丸くした。
「188㎝?」
「うん。これでも伸び方がおさまって来た方」
「なんかまだ伸びそうな気がしちゃうね、このグラフだと」
 180㎝を超える身長であることがもう驚きで、さらに190㎝に届こうかという結果には、ただただ羨むばかりだ。
「僕は岩永の身長を分けてもらえたらってずっと思ってたよ」
 自分の記録表を見せながら直生にそう言うと、直生は苦笑した。
「おれは晩の方が羨ましいよ」
「そうかなあ」
「いい家に育っているんだろうなって勝手に思ってたけど、……本当にそうみたいだし」
 そうしてその夜は直生から教わりながら宿題を進め、終えると直生は帰って行った。それだけだったが、それだけでもふたりでつるむ日が、それからずっと続くようになった。


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「じゃあ、とりあえず岩永」
「晩、って格好いいよな」
「変わってるだけだ」
「名簿見て一瞬、日本人じゃないのかなって思った」
「生憎、純国産品なんだ」
 笑ってみせると、直生も笑う。大きく表情が動いた訳ではなかったが、岩永直生という少年をよく表す穏やかな笑顔だった。
 直生の背後でひとつの机に屯していた天文部員が各々で散り始めた。通孝は「あれ」と指差す。直生も背後を振り向いた。「混ざって何やってたの?」
「星見せてもらってた」
「星? 写真のこと」
「そう。雑誌の写真と星座盤見比べながら星座の話を聞いてたよ」
 だったら直生の用事は天文部で事足りたのではないのか。そう言おうとしたら、先に「本当は橋本先生に用事があった」と言われた。
「橋本? いま職員会だと思うけど」
「うん、職員会の前にそう言われた。でも終わったら話聞くから、それまで晩に相手してもらえ、って」
「なんで僕なんだよ」
「山の話が聞きたかったんだ」
 と、直生はやわらかく笑った。
「鳥飼先生が、星と山と写真と石の話が聞きたいなら橋本先生だ、って言ってたよ」
「鳥飼? うちの担任の鳥飼が?」
「うん。――晩は先生を呼び捨てるんだな」
 直生は楽しそうに笑い、それから「今度、山岳部主催で春山登山するんだろ」と質問を変えて寄越した。
「あー。主催ってかな、先生達がハイキングしたいだけだよ。山岳部員と顧問の先生と、あとは教員の中から希望者募って、てやつ。おれの親父が山の案内も出来るからって、会の名前としては『晩さんと行く春山登山』てな感じでさ。今度、五月の休みの時だよ」
 企画は橋本の発案だった。登山というよりはハイキングで、山岳部というよりはワンダーフォーゲル部の方だと思っている。本格的な機材を背負って何日も山に登れる橋本にしてはぬるい企画だが、「新入部員連れて行くならまずはこんなとこからだろ」と言われれば、そうだな、とは思った。
 直生は酷く真面目な顔で、「部活が違う奴でも参加出来る?」と聞いてきた。
「あー、橋本に聞かなきゃ分かんないかな。でも初級の山歩きだからいいと思う。なに、岩永も登りたいの、」
「うん。鳥飼先生も参加するって聞いたから」
「岩永、何部なの、」
「美術部。鳥飼先生が顧問だよ」
 それを聞いてなるほど、と思った。鳥飼からは新学期が始まる前から指導を受けていたのだ。部員として。だから親しい。
「もっともおれ、絵は描けないけどね」と言う。
「見るのは好きだから、鳥飼先生に色んな展覧会の情報聞いたり、画集を紹介してもらって図書館で眺めたりしてる」
「ふうん。いいと思うよ」
 隣の理科準備室から扉が開いて閉まる音がしたので「橋本が帰ってきたかも」と直生に教える。
「ハイキング、行けるか聞けばいいよ」
 と、直生を伴って理科準備室へと足を向けると、直生は不意に晩の腕を軽く引いた。
 その触れ方に思わず心臓が跳ねた。
「――聞かないの?」
「えーと」
 直生はしばらく黙ったが、やがて「おれがハイキングに参加したいって言ったのは、鳥飼先生が行くって言ってたからで」
 喋りながら直生は狼狽えている。右手で髪をくしゃくしゃにかき回しながら言葉を探しているようだったが、意を決したのか通孝の目に視線を合わせてきた。
「――協力してほしいんだ、晩には」
「なにを?」
「橋本先生が鳥飼先生に手出ししないように」
「え?」
「おれの見立てだけど、橋本先生は鳥飼先生のことが気になってるみたいだから」
 通孝にはその台詞の意味するところをいまいち図りかねた。


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プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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2022*08*11-21
暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。

2021*12*04-2022*03*17
お久しぶりです。短編長編更新。
短編「さきごろのはる」
短編「月の椅子」
短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」

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