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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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「いいもんあるから、使おうぜ」
 そう言って一度はベッドから離れた羽村は、ベッド下の引き出しから小さなプラスチックボトルを取り出した。「ローション。AVに付録でついてたお試し用だけど」
「これで中濡らして馴らして広げたら、透馬の入るから」
 濡らして馴らして広げる。受験の必須科目を覚えるかのように羽村の台詞を暗唱すると、羽村は「熱心」と笑った。
「ゴムもある」
 コンドームの小さなパッケージは、はい、と手のひらに渡された。保健体育の授業で見たことはあっても、使ったことはなかった。
「最初だからな、セーフティ覚えとこうな」
「羽村さん、先生みたいですね」
「ビギナー相手だからな。無理やり突っ走られて痛い思いして困るの、こっちだし」
 その慣れた物言いがなんとなく気に障り、「どうせ初めてですよ」とすねたまま透馬は羽村を押し倒した。先程羽村が自分で示した場所にそっと指で触れてみる。きゅうっと窄まって、弾力があった。
 ローション使って、と指示を出される。使って、と言われても使ったことがないから使い方が分からないのを、羽村は嬉しそうに微笑む。羽村の手で掌に絞り出されたそれを指にまとわせて、羽村の奥を押してみる。思いのほかスムーズに指は飲みこまれていった。
「ゆっくり、奥まで入れてみて」羽村の呼吸が少し荒い。「それで左右に揺すって」
「……羽村さん、痛く、ねえの?」
「――平気…。透馬、二本目いれてみ」
 ローションのおかげで内部はすべりよく、熱くねっとりしたものが指に絡みつく感触は透馬をさらに興奮させた。一度引き抜いた指をふたつまとめて再び羽村の奥へ進めた時、羽村はびくりと膝を引き攣らせた。なんだろう、と思ってもう一度同じ動きをしてみる。今まで余裕綽々に見えていた羽村の瞳が潤みだし、透馬の動きに合わせて「あっ」と余裕のない声をあげた。
「そこっ……」
「……感じる、ってこと?」内部に盛りあがった部分があることに、気付いていた。そこをこりこりと押す。
「あっ、ああっ……いいっ、透馬っ」
 羽村は長い髪をぱさぱさと振って透馬の指に悶えている。感じている様子にそそられ、さらに指を動かす。中が緩んでゆくのが分かった。羽村に言われずとも三本目も足して、ローションも足す。淫猥な音が室内に響き、窓の外まで聞こえそうだった。
「あっ……透馬、も、入れていい……っ……」
「ここに……?」
「入れて……突いて、……」
 潤んだ瞳で懇願されるとたまらなかった。コンドームで苦戦しながらも、羽村の密やかな奥へとゆっくりと腰を進める。いれていく先からねっとりと熱い粘膜に包み込まれ、ぎゅっと締め付けられる。たまらず、透馬は呻いた。
「あ、透馬っ……いいっ……」
 透馬の質量を羽村が喜んでいることが、台詞からも表情からも、内部の蠢きからも分かった。吸いついて透馬を離さない、羽村の潤んだ内部。もっと快感を追いかけたくて腰を動かす。ここから先は本能の領域だった。
「と、うまっ、透馬っ」
 夢中で出し入れしていると、羽村は切羽詰って透馬を呼んだ。「なに?」と組み敷いた男の顔を覗き込む。動きを止めるとじんと腰が痺れて、早く動かしたくてたまらないのに。
「あ、もっとゆっくり、して……」
 余裕のない透馬に散々突き上げられて、羽村はつらかったようだ。
「ゆっくりって、おれ、もたない……」
「やだ」ぎゅ、と透馬の腰を足で抱え込む。余計に締め付けられ、沸点がちらつく。
「羽村さん」
「……じゃあ何回いってもいいから、いっぱいして、な」
 困った表情を見せる透馬の眉間をやさしく撫でて、羽村はくちをあけた。そうするのだと分かったから、キスをした。くちびるをくっつけているだけで完結するのだと思っていた事柄は、実はもっと深くいやらしく、みだらで、透馬の性感を直接突く。
 ふと綾は、セックスでどんな顔になるのだろうと思った。いま組み敷いている身体が綾だったとしたら。白く細い身体がびくびくとのぼりつめる、これが綾だったら。
 どんな声で。
 透馬は羽村の中で何度もいった。途中、コンドームを取り替えるのが手間ではずしてしまったから、透馬が何度も注ぎ込んだ精液で羽村の内部はより一層すべり、透馬をずっとずっと夢中にさせた。


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 次に誰かを抱く時はおれの真似すればいいから、と羽村は言った。羽村のベッドに裸に剥かれて押し倒されて、透馬は身動きが取れないでいる。羽村が舌でてんてんと身体を辿ってゆくのが恥ずかしくて、くすぐったくて、ドキドキした。身体の自由がきかないぐらいに。
 鎖骨の窪みに舌を入れられて驚く。そのままつうっと辿り下りた舌で乳首を舐め、ぷくりと膨らんで来れば甘噛みされて、押しつぶされた。思わず漏れた声に、羽村が「感じた?」と訊く。
「……わかんなっ……」
「でも、透馬の起ってる」
 勃起した若い欲望のことを指摘されると、さらに羞恥が募った。
「うれしいな。不感症より感じやすいぐらいが全然いーよ」
「……くすぐったいです」
「そーいうの、感じる、って言うんだよ。おれにもしてくれる?」
 透馬の手を取り羽村の胸へと導く。「女の子だったらここやわらかくて気持ちいいんだけどな」と言いつつも、「でも興奮するだろ」と透馬の迷っている指先に自分の手を重ねる。「舐めて」と言われて、透馬はくちびるを寄せた。舌で押しこんでみたり、吸ってみたりと、先ほど羽村にされたことを真似する。加減が分からなくて力がこめられない。やさしくもどかしい触れ方に、羽村は何度も「もっといいから」「もっと」と透馬の髪を梳いた。
「痛いぐらいがおれ、すきなの。噛んだっていーよ」
「それは……」
「透馬の触り方、初々しくてそそるけどね」
 ほら、と手を取られて羽村の勃起に触れた。透馬よりも色が濃く、太さがあった。透馬を再び押し倒して透馬の上に馬乗りになると、性器と性器を合わせて扱き始める。はじめて他人に施される手淫は、容赦なく快感をもたらした。目元を腕で覆って怒涛の勢いでやって来る羞恥と性感に悶えていると、羽村はその腕を外してしまう。「ちゃんと見てて」と言った。「おれと透馬とでセックスしてるってこと。おれがいくとこも透馬がいくのも全部、見てて」
 重なったふたつの欲望は、透馬の手で擦るように促された。自分の好きなリズムで扱いているのに、たわむれに羽村が腰を揺するからひとりでしている時と全然ちがう。夢中になって擦っていると、唐突に羽村がキスをしてきた。はじめて誰かとするキスで、くちびる同士をくっつけただけだったけれど、衝撃に打たれていた。くちびるを離した羽村は「順番まちがっちゃった」とへらりと笑った。
「すきな人とは、大事にして、な」
 そう言って羽村は腰を大きくグラインドさせた。裏側を擦られてたまらず、透馬は精を吐きだした。透馬はいったのに羽村はまだ自分の欲望を追いかけていて、残液まで搾り取るようにして扱かれた。
 透馬の腹に二人分の精液が散る。それを羽村は「たくさん出た」と喜び、舌で舐め取る。
「――あっ、羽村さ」
 咎めても羽村はやめない。そのまま性器を口に含まれ、再び勃起した。
 ある程度舐めてから透馬のものを取り出した羽村は、ここ、と言って透馬の前で足を大きく広げてみせた。
「男同士ってここ使うの。分かる?」
 尻を自分で割って、奥の窄まりを透馬に晒す。淡く赤い場所は普段人目にさらさないのだ。ごく、と喉が鳴った。
 ここまで来たら受け身でいるばかりではいられない、と透馬は覚悟した。いまは羽村と気持ちの良いことを追いかけたい。先程惚けて唾液の垂れた口元をぐいと拭い、「どうやるの?」と聞いた。積極になった透馬に羽村は微笑む。


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 夕食の一件以降、羽村はよく真城家を訪れた。最初の頃の強引さ通りに「淋しいから一緒にめし食っていい?」と唐突にやって来る。弁当持参で来るときもあれば、「これでなにか作って」と食材を一品か二品持ち込むときもあった。
 羽村が食卓に訪れると特に綾にとっては大幅にテンポが乱されるものらしかった。羽村がやって来るとあからさまに不機嫌な顔をして部屋に引っ込んでしまうので、そのうち透馬自身が羽村の家へ行くようになった。
 透馬にとって、大学を出たての羽村は憧れでもあった。洒落ていて、技術を持っていて、労働のおかげで自由な金もある。二十代、男の一人暮らし。羽村の生活は気ままなもので、部屋に落ちている雑誌が北欧家具の特集だったりするだけで透馬には新鮮に映った。綾だって雑誌を読まないわけではないが、年齢がずれているので若い男性向けのファッション雑誌などまずお目にかからない。透馬がよく買うような漫画雑誌でもなく綾が愛読している文芸誌でもない、という辺りが透馬の興味をそそった。
 着ている服だって趣味がいい。ちょっと奇抜な気もするが、それが美大出身であるという羽村を裏付けているようで、好ましかった。出身大学にも興味がある。羽村のする話は面白く、透馬の知的好奇心をくすぐる。
 家でやれば済む勉強道具をわざわざ羽村の家に持ち込んでまで行っていたのは、そこまで羽村に懐いてしまったからだ。夏休み、受験シーズンへ向けてアルバイトはしていない。時間はたっぷりあった。
 羽村の仕事休みの日、羽村の家で数学に取り掛かっていた透馬は、ふと「透馬はさあ」の呼びかけに顔を上げた。
 羽村はベッドに寝転んでファッション関連の雑誌をめくっていたのだが、飽きたらしい。風が通り、羽村が染め織ったというのれんを揺らし、ガラスの風鈴がちんと音を立てた。
「どこ行くの、ダイガク」
 羽村の発音はいつもゆっくりで、知っている言葉でも聞きなれない外国語のような響きを持つ。独特なリズムを自身で築いているのだと思う。それが羽村という人間の主義主張であるような気がしてからは、はじめの頃よりも好感を持つようになった。
 羽村の質問に、透馬は「F大です」と答えた。
「へえ、すげえじゃん国立じゃん。アタマいーんだ」
「F大だったらあの家から通えるからです。行きたい学部、あるし」
「あーそっか。あすこ、デザインできるんだってなー」
 透馬が以前羨んでいたことを思い出し、羽村は微笑した。
「一人暮らししようとか思わないの?」
「――あんまり考えたことは」
 一人暮らし。してみたいとは思わなかった。透馬はいまの暮らしが続くことの方が嬉しい。綾との静かな暮らしは、しかし青井の気まぐれでいつ終わるかだって分からないのだ。
 今だって恐怖している。高校三年、この時期になっても青井が沈黙を決め込んでいることを。透馬にすっかり興味を失くしたのだったらそれが良かった。だが青井は分からない。ある日突然、アオイ化学が技術提携を結んでいる私立大や青井自身の母校へ「行け」と言われてもおかしくはない、と考える。学費を含めた諸々の養育費は青井が支払っている。
 羽村は唐突に、「透馬は男同士の恋愛って考えたことある?」と聞いた。
 話が突拍子すぎて、一瞬面食らった。それから言葉の意味を考えて、よぎったのが綾の白い腕や指だったりするので心臓がずきっと痛んだ。羽村の顔が普段となんら変わりないので、からかわれているのだと思った。
「話が繋がってませんよ」
「いや、つながってるさ。F大に行って、家を出ないんだろ。それってずっとって考えてる? あの家を出ることは思惑の外? あの伯父さんとずっと二人で暮らしてゆきたいと思ってるんだろ?」
 羽村の口調が速まったので透馬はびっくりした。こんなにすらすらと喋れる人間だったとは。そして羽村の台詞にも心臓を高ぶらせていた。うすうす自分でも気づいていたことを、いま、羽村は指摘しようとしている。
「透馬ってさ、伯父さんのことが好きなんだろ」
 言葉は暴力だ、とその時はじめて痛感した。口にした途端におそろしい破壊力を持って相手を殴りにかかる。羽村の言葉に、透馬は芯までじんと打たれて動けない。
「ちがう?」
 違わなかった。
 ずっと綾の傍にいたいと思っている。朝も昼も夜も、帰れる場所が綾の元であることがどんなに喜びであることか。そして一方で、飢えるばかりだ。綾には一生手出しをしてはいけないのだ、という血の背徳感と、日を増すごとに膨れ上がる、綾を制圧したいという欲。
 正直、透馬の中だけにその秘密を置いておくことはきつかった。誰かに喋ってしまいたくても、咎められるのが怖くて口に出来ないでいる。それを羽村に言い当てられて、透馬は焦りと同時に安心を覚えた。どうしていいのか分からないまま身体の中に渦巻かせている黒々と淀んだ流れを、羽村が少しでも変えてくれたように思えたのだ。
「……伯父さんのこと、好きです」
 今まで怖くてひとり言でさえ口にしなかった想いを発音してみると、ほろっと自分自身が崩れ出した気がした。がけ崩れ、土石流、そんな天災に例えられるほどの衝撃で。
「伯父さんに出て行けと言われたら、多分生きていけない」
「そんなに好きなんだ」
「でもいけないことなので」
「なんで? 男同士だから?」
「血も繋がってる」
「ふうん。でも、それが?」
 羽村の言い方にはっと顔を上げた。「好きなら好きでいいんじゃん」と屈託なく言う。
 そのものの言い方にとても救われた。泣きそうになり、顔をしかめる。羽村が「なんちゅう顔して恋してんの」と笑う。
 笑ったのだが、羽村もまた切なそうに眉根を寄せる。「羽村さん?」と訊ねると、羽村は「いやおれいま失恋が確定したから」と答えた。
「きみのこと好きだよ」
 透馬はびっくりした。クラスメイトから告白されたことは何度かあったが、面と向かってストレートに言われたことはなく、その大人びた告白に呼吸を一息ぶん忘れた。
「はじめて見た時、こいつおれのものになんねえかなーって思ったし。でもって透馬が誰が好きなのか分かっちゃうぐらいに見ちゃってるしな。セックスとか、超したい」
「セッ……っ……」
「なに、口にするのも恥ずかしいお年頃? 興味あるだろ、セックスセックスセックス」
 透馬に向かってわざと連呼する。羽村の言う通りで、興味はあった。綾に内緒でインターネットを使ってアダルトサイトの無料動画を漁ることもあるし、友人の体験談を興味深く聞いたことだってある。朝も夜も自慰にふけってまだ足りないような日だってある。
 透馬にとって、対象は綾でしかありえなかった。それがいま、綾以外の人間からあからさまに「したい」と言われている状況。好奇心は充分ある。だが迂闊にしていいものなのかどうか、分からない。
「はじめては好きな人じゃないと嫌? それとももう、とっくにはじめてじゃないとか?」
 羽村はベッドから降りた。顔と顔が近付く。他人の息が触れかかる距離が透馬には新鮮で、肌の表面がざわめいた。
「おれ、みっともなくて必死。……なあ、おれとしてみない?」
「羽村さ」
「透馬、抱いてよ」
 やり方教えるからさ。羽村はそう言って透馬の耳を甘く食んだ。



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 二度目に羽村に話しかけられたのは、庭の洗濯物を取り込んでいる時だった。急な雨になりそうだから取り込んでおいてくれ、と綾が出先から電話を寄越してはじめて、夕立が来そうな空の色に気付いた。それまで夢中で綾の手本を見ながら文字を書いていた。いま透馬が写しているのは綾の好きな詩人の詩集で、あと三分の一も書けば一冊写し終える、というところまで来ていた。
 電話を受け取ってから急いで庭の洗濯物を取り入れる。と、隣人も同じ空を見て同じことをしていた。透馬に気付き、またやわらかく微笑む。「雨、近いね」と空には目もくれずに透馬を見たまま言うので一瞬なんのことを言われているのか分からなかった。
 今日は長い髪を後ろで一結びにしていた。この時期にしては厚い綿地の半そでのTシャツは、白地に巨大な藍のトンボの飛ぶ斬新なデザインだった。藍色は濃く、羽村の腕も染まってしまいそうなぐらいのゆきすぎた青をしていた。
「それ、自分で染めたんですか?」思わず訊ねた。手の中を洗濯物でいっぱいにしているので顎でしか指せない。「シャツ」
「ああ、これね。うーんと、おれが染めた」
「職場で?」
「いや、大学時代に仲間と作ったやつだよ。化学染料だから色落ちしにくいのさ」
 ほーら、と羽村はくるりとその場でまわって見せた。右側にだけトンボの半身が大きく染め抜かれており、羽の紋様が美しい。
「羽村、だからハネなの、ハネ。これはー、オニヤンマ」
「かっこいいすね」
「お、こーゆうの好き?」
「だって普通にかっこいいですよ」
 素直にそう思ったから言うと、思いのほか羽村は照れた。はにかんで見せた表情が普段よりも幼い。それがかわいく思え、そう思った自分の感情に戸惑っていると頬にぽつっとぬるいものが当たった。
 雨が降って来た。
 取り込み中だった洗濯物を急いで縁側の内側へ放り込む。羽村も同じくそうしたが、「そっち行っていー?」と雨だれの中大声で訊ねられた。戸惑っているうちに、羽村は垣根を抜けてやって来る。不法侵入だ、と言ってもいいぐらいの強引さと狡さだった。
「まあまあ、雨がやむまでお話でもしましょうよ、青井透馬くん」
「勝手に人をあげると怒られるから嫌なんですけど」
 と言ってみたが、綾はそんなことで怒らない。不愉快な顔はして、客がいるうちは部屋に引っ込んでいるかぐらいはしそうだが。
 隣人だしいいか、と思って家にあげた。
 お茶、と図々しく言うのでグラスに氷を落とし、沸かしたての麦茶を急冷させて出してやる。せっかくだから先日の暁永襲来の際(例によって綾が長梅雨で体調を壊した絶妙のタイミングでやって来た)に暁永が持参したイギリス土産のビスケットも一緒に出す。王室御用達がどうのこうの、というやつだ。羽村は「なんかすごいの出て来たな」と、思いがけないもてなしを単純に喜んだ。幼い笑みをいっぱいに浮かべる。
 羽村は調子よく喋った。いわく「知らない土地に一人暮らしで淋しかった」と言う。ここへやって来たのは就職口があったからで、市で斡旋してもらえて賃貸でも格安でこんなにいい家に住めた。だが友人知人はみな大学周辺に留まっている。元より人の少ない土地だ。職場の人間以外に頼れる者がおらず、だから隣人の透馬を見て思わず嬉しくなってしまった、と。
「? おれ、嬉しかったですか?」
「タイプだな、と思ったからさ」
 話についてゆけないでいると、外から車のエンジン音が聞こえた。綾が帰宅したのだ。自家用車だったとは言え、駐車スペースから家屋までは案外に距離があるから濡れるかもしれない。強い雨だ。タオルを持って慌てて玄関へ出迎えた。
 二駅向こうのカルチャースクールで習字の講師として勤めた帰りに夕飯の買い出しを頼んでいた。ビニール袋を両手で抱えた綾は、案の定頭の先を濡らしていた。
「伯父さん、おかえり」
「……誰か来てる?」
 玄関に脱ぎ捨てられた見慣れぬサンダルに目をやってから、透馬からタオルを受け取って顔を拭う。
「隣の、羽村さんて人」
 さも興味なさ気に、あるいは非常に面倒臭そうに、綾は「ふうん」と頷いた。
「先にシャワーつかう」
「あ、洗濯物取り込んだだけで全然畳んでない。タオル、」
「いい、これつかうから」
 透馬に買い物袋を預けると、そのまま洗面台へ向かった。コース的には羽村と全く顔を合わさなかった。夏場は食品の足が早いからと羽村を放って透馬は食品を仕舞い込み始めた。それを居間の座卓で、羽村はのんびりと眺めている。
「おなか減ったなあ。ごはん食べたいなあ」
 様子を鋭く嗅ぎ取った羽村にそう言われ、年上に対してであるのに思わず透馬は「白々しい」と突っ込んだ。
「いいすよ、どうせついでだから。食べてってください」
「やったー」
 過剰に手を頭の横でひらひらさせて羽村は喜びを示す。口調がのんびりだから、本当に喜んでいるのかさっぱり分からないのだが。
「強盗みたい」
「失礼だなあ。なんにも盗ってきゃしないよ」
「今日が魚じゃなくて良かったすね。魚の日だったら、一人だけ白米でしたよ」
 喋りながら、そういえば暁永は自分のことを「押しかけ女房」と名乗ったな、と初対面時を思い出していた。周囲にはどうやら、ちょっと強引な奴らが多い。
 夕飯を作るよりも先に、と急いで透馬は洗面台へ向かった。「伯父さん?」と声をかけてから脱衣所の扉を開ける。
 湯気で煙ったすりガラスの向こうに肌色の影がある。それが動きを止め、同時にシャワーの音も止まった。
「なに?」
 ガラス戸を隔てて、風呂場から綾が答えた。
「羽村さん、めし食ってきたい、って」
「そう」
「……いい、んだよね、」
「もう了承しちゃったんだろう」
 笑うと同時にまた水音がはじまった。曇りガラスの向こうの、おそらくは背中を向けて身体を洗っている綾の裸体を想像する。見たい、触りたい。焦燥を引きちぎるかのように透馬は声を出した。「今夜は鶏にすっから」
 脱衣所を出てもまだ心臓がはやっている。


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 隣家は一年ほど空き家になっていた。綾や透馬にお節介を焼いてくれる老母が住んでいたのだが、歳も高齢、伴侶を亡くしたひとり暮らしは色々と物騒で厄介だからと言って娘夫婦の元で暮らすようになったのだ。娘夫婦はここより二十キロほど離れた市内の中心部に暮らす。家を売るのか貸すのか更地にしてしまうのか土地を活用するのか判断がつかぬまま、隣の家は荒れ放題荒れ、庭木はのびのび伸びて真城家にまで届こうかという勢いだ。
 そこに若い男が入った。市の空き家情報サイトに登録していたその物件を男が見つけ、賃貸で住みだしたのは夏の手前だ。透馬の留守中に挨拶に来たのだと言って新品のタオルが置いてあったことぐらいで、男の姿は目にしなかった。
 透馬は高校三年に上がっていた。中学校よりもさらに遠い距離にある高校へは、はじめこそ意地と体力の限りで自転車で通学していたが、高校一年次の誕生日に免許を取って以降原付で通学している。
 真城家には様々な草木が咲き、それに水を撒くのは綾の役目だが、たまに透馬もやる。綾の締切が迫っていたりすると余裕がなくなるためだ。たまたま庭に出た七月、同じく庭に出ていた隣家の男と垣根越しに目が合い、男が笑ったので透馬は驚いた。肩先ぐらいまでの長い髪は濡れていて、男の細い顎先に貼りついている。タオルをかぶっていたので風呂上りだと推測できた。
「花、好きなの?」
 男が聞いた。
「いいよね、花」
 そう言われてもなんとも答えようがない。「お宅のお父さんさあ、よく庭に出て花描いてるよね」と続けられ、透馬は二重の意味で顔を上げた。綾が花を描いている事実を男が知っていることと、綾は父親なんかではないことと。
「――父親じゃないです」
「あー、そうなの」
 のんびりと男は頷く。べつに驚くべき事柄じゃない、という風に。それでなんだか拍子抜けした。
「名前、なんていうの」
「透馬です。青井透馬」
「へえ、いーい名前。字は?」
「青いに井戸の井、透明な馬、です。…その喋り方、癖ですか?」
「気に障る?」
「……べつに、そういうわけじゃ」
 人のテンポを外す言い方ばかりされて、戸惑う。この辺りの人間とは少しイントネーションも違う。不意に男は「お宅の夕飯っていっつもいい匂いするよなあ」と今までの会話はなんだったんだというような台詞をこぼす。
「おれ一人だからさ、めしはいっつも適当。お宅んとこ、二人暮らしなんだろ? 誰が作ってるの? きみ? お父さんに見えるけどお父さんじゃない、人?」
「おれです」
 透馬が答えると、男は「そうかあ」とまた一人で納得してしまった。
「今度めし食わしてな」
 そう言って男は庭から家の中へ引っ込んでしまった。なんだったんだろう、あれ。でも笑ったな。悪い人じゃなさそうだ、と思いながら透馬も家の中へ入る。今夜はどんぶり飯にするつもりだった。時間がない時はいいぞ、肉つかえばスタミナつくしな、と言って暁永が真城家へやって来るたびに教えてくれるレパートリーのひとつで、牛肉でも豚肉でも鶏肉でも基本の味付けは同じだ。
 今日は豚肉をつかって、豚丼だ。そこに冷奴と味噌汁も足す。柿内と遊んでいたせいで遅くなってしまったから手っ取り早くつくれる料理を、と考えてのメニューだが、だからといって手抜きは絶対にしないと決めている。透馬にとって、綾に食事を作ってやることはこの上ない喜びだ。普段は顔を緩ませない男が食事の際にはほうと息をつく、それが嬉しい。
 夕餉の支度が整い、仕事場としてつかっている離れに顔を出すと、綾はテーブルの脇に据え付けたソファでうたたねをしていた。整然と美しいテーブルにはいまのいままで取りかかっていたと思われる結婚式の席次表の高級和紙が並んでいる。黒々と艶よい、上品な文字だ。それに触らないように最新の注意を払いながら、そっと綾に近付いた。
 すうすうと寝息を立ててよく寝ている。白い頬は透馬とそっくりで、だが線の細さはくらべものにならない。綾の方がはかなく、薄い。あとちょっとで四十歳になるんだっけか。この身体を前に触れていいのか触れてはいけないものなのか、透馬はいつも迷う。
 触りたい、と毎日思っている。
 透馬を認め、家に置いてくれた人だ。
 ためしに前髪をそっとつまんでみた。綾は起きない。本当は睫毛に触れてみたい。触って、目蓋を押し上げて、目に透馬を映して、――想像していると綾の寝息がふっと切れた。綾が目蓋を上げ、透馬を見上げる。
 その気だるげな仕草にも、透馬の心臓はいちいち反応する。身体が疼く。
「――めし、できたよ」
「ああ」
 ふうと大きく長く息を吐いて、綾は立ち上がった。夏が来ると言うのに暑さとは無縁の顔や身体だと思う。離れから母屋へと向かいがてら、隣家の男の話をした。そういえば名前を知らなくて、透馬だけが名乗り損だった気がする、と話したら綾はうすく笑った。
「隣、羽村さん」そう綾が言った。「川の傍に染織工場があるだろ。そこにお勤めだそうだ」
「染織工場って、なんか面白いにおいしてる、あそこ?」
「あそこ。糸がたくさん干してあるの、見たことあるだろう。あの匂いは藍が発酵しているにおいだ」
 確かかつての隣人もそこに女工として勤めていた、と聞いたことがある。あまり規模の大きな工場ではないが、なにをやっているのか、見える色合いに惹かれて気になってはいた。
「後継者不足で、って言っていたけれど、染め織りをやりたい若い人はいるんだろう。どこかの美大から人を採るようになって、最近は若い人が増えているようだ」
「そうなんだ」
 そういえば男の家の縁側にはなんとも風流な麻の暖簾がかけられていた。男が製作したものか購入したものかは分からないが、前の住人のものではなく男の趣味であることには間違いなかった。
「今度めし食わせろ、って言ってた」
「そう」
 あまり興味がなさそうに綾は頷いた。人付き合いを嫌う綾は、こういう付き合いも面倒だと思っているのだろう。それに対して淋しいような好ましいような妙な感覚を透馬は味わう。そんなんじゃ世間から取り残されてしまうよ、と綾を不安に思う気持ちと、ここには透馬と綾だけでいいのだ、という安寧の気持ちとが永久に平行線のまま存在する。


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プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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2022*08*11-21
暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。

2021*12*04-2022*03*17
お久しぶりです。短編長編更新。
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長編「ファンタスティック・ブロウ」
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