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「……その顔だめだって……、――っ、」
銜え込むと、黙った。片手でシーツを握り、もう片方の手は瑛佑の髪をいじり出す。男なんか相手にしたことがないので、いま施していることはすべて透馬を手本としている。裏側を辿り、まるみをねぶり、先の抉れを舌先で突く。透馬が瑛佑にしてくれる時は、全部をすっぽりと銜え込んで圧をかける、という手練れたことまでしてくれるのだが、それをするにはまだ経験や勇気が足りない。舌で弄って軽く食む、ぐらいが精一杯だが、透馬は目を閉じて浸ってくれている。
そっと薄目をあけ、快感に酔いしれた瞳で「瑛佑さん」と呼んだ。
「おれもしたい。させて」
そう言って瑛佑の腰の方へ顔を寄せてくる。勃起を瑛佑の口元へあてがったまま、互い違いとなる格好だ。透馬の腿に頭を乗せるとちょうどよく、濡れる先端にしゃぶりつく。
「――瑛佑さん、べたべただよ」
瑛佑の下着に出来た染みを、透馬は嬉しそうに報告した。普段からよく喋るのは承知だが、セックスにまで口数が多いのは恥ずかしい。瑛佑が無口な性分だから余計にそう感じるのかもしれない。
下着の上から舌を這わせてくる。直接的にはなかなか触れてこないのが、じれったくてもどかしい。刺激がほしくて尻が勝手に動く。下着が濡れてゆくだけで、張りついてくる布地が窮屈。
「……透馬、ちゃんと触れ……」
「――うわ、」
喋ると、口の傍にある透馬の勃起からじわりと蜜がにじんだ。
「いま、夢の通りだったよ」
言わせたくせに。
「ちゃんとします、ね……」
下着をずらされて、焦らされっぱなしの勃起が勢いよく飛び出したのが分かった。そこからは透馬の猛攻がはじまる。ありとあらゆる技で瑛佑を追い詰め、ぎりぎりのところでくちびるを離す。尻たぶをぐいと掴まれ、蜜をこぼす中心どころか渡りから奥まで舐められて、透馬に施すことが難しくなった。
這いまわる舌に、身体がびくびくと攣る。触れてゆく先からそこらが溶けてかたちを失くしてしまいそうだった。久々に触られるからなのか、透馬が巧いからなのか。透馬から与えられることはすべて瑛佑を気持ち良くすると、身体にしっかりと教え込まれてしまったからなのか。
いつの間にか体勢が入れ替わり、尻を高く持ち上げた姿勢ですべてを透馬にさらしていた。シャツも下着も透馬の手で取り去られている。透馬はシャツだけを着ていたが、暑い、と言って自分で脱いだ。
ぬかりなく用意されていたローションを、透馬の手を介して垂らされる。先程まで透馬が散々舐めまわしていたせいで、長いこと閉じていたはずの後腔は緩みかけている。そこを指で探られ、伺いたてるように中に一本入れられて、腰が跳ねた。
「――あっ」
「……痛……くない、よね。苦しい?」
痺れて動けなくなっている身体にどうにか力を込めて、首を横に振る。背後でほっと息を吐く気配、同時に「もう少し」と言って指が奥までぐうっと入り込んできた。
一本まるまる飲みこまされて、自然と締め付けてしまう。それでも透馬が指を出し入れしたり空いた手で太腿や尻を撫でてくるうちに、はじめの違和感が薄れ、緩む。ローションがさらに足され、指の数も増える。三本まとめて出し入れされる頃には前も後ろもどろどろで、膝がふるえて体勢を保っていられなかった。
「シーツに垂れてる」
前をゆっくりと扱いて、透馬が言った。その刺激にまた身を捩る。
「瑛佑さん、気持ちよさそう」
「……気持ちいいんだよ……」
「……おれのせい?」
頷くと、透馬は心底あまい顔をした。すべて透馬が教えたことだから、透馬に責任を取ってもらわねば困る。ひくりと蠢く背後は、指だけで到底満足し得るものではなかった。透馬、と名前を呼ぶ。早くほしい。
瑛佑の背後に覆いかぶさると、耳に直接「すきです」を吹き込まれた。身体中に鳥肌が立つ。
先端だけを瑛佑の窄まりにひっかけておいて、なかなか入れようとしない。少しだけ腰を押し進めて、引く、を繰り返す。切羽詰って懇願するのは透馬の思いどおりなのだと分かっていて、そうせざるを得なかった。はやく、と普段の自分からは想像できないほどのみっともない声が出た。
「……おれが、ほしい?」
「しつこい……っ」分かり切っているだろう。
「すいません。おれも余裕ぶってる場合じゃないよ……」
紡ぎだされる言葉のひとつひとつが、耳にあまい。崩れそうな腰をぐっと掴むと、透馬はようやく腰を強く押し付けた。
「――ああっ……あっ、」
「……っ、瑛佑さんっ、」
だっこ、と言って透馬は瑛佑の腕を後ろに引いた。自由のきかない足をなんとか踏んばらせて、そのまま透馬の胸に背板を預けた。座した透馬の上でつながっている状態だ。思わぬ深い場所まで透馬が届いて、心臓が口から押し出されてしまうような気になる。
「あ…あ、」
「……瑛佑さん」
顔をのけぞらせて内部の圧迫を味わっていると、透馬の手で横を向かされてキスをされた。舌を絡ませ合い、歯列をしごく。口蓋に舌が届くと腰まで痺れが走って、透馬が握りこんでいる勃起がたらりと蜜をこぼした。
「ん、」とひとつ呻いて、透馬はくちびるを離す。「瑛佑さん、色っぽい。かわいい」
「まだいっちゃだめだよ」
「な……んで」
「ゆっくりしたい」
それは瑛佑も賛成なのだが、下半身の事情はそうもゆかなかった。さっきから先走りをこぼしっぱなしで、自分の下半身がどんな状態になっているのか目の当たりにするのが怖くて目をそらし続けている有様。ぴちゃぴちゃと音を立てながらキスをするのと、ゆるく腰をゆすられるのと、先走りを広げるようにじっくりと瑛佑のものを撫でる透馬の指とで、瑛佑はどんどん追い上げられる。
たわむれに透馬の先端がかすめた場所に、射精感を募らせるまでもなくあっけなくいってしまった。内部が絞られて透馬もたまらなかったのか、続けざまに奥へ熱いものが流れ込む感触がして、身をふるわせた。
ぐったりと透馬に寄りかかっていると、透馬も後ろへ倒れ込んだ。「いっちゃった」と惜しむ声。荒い呼吸のまま「でも、まだ」と言って瑛佑の身体を横にした。
つながったまま横向きに二人で転がって、またキスをする。「ほんとうにきもちいい」と透馬がこぼした通り、どこを触られてなにをして動いても、気持ちが良かった。足を大きく開いて透馬に絡ませ、ゆるゆると腰を動かしているうちに瑛佑のものも透馬のものも完全にかたくなった。横向きだと苦しい思いをせずにつながれるのが嬉しい。透馬の手は自由に動き、瑛佑のあちこちを撫でる。
くちびるを離した透馬は、瑛佑のうなじに吸い付いた。噛まれ、ちくりとした痛みは全身を駆け抜ける。なにをされたのか分かって、途端に顔から火が出そうなぐらい恥ずかしくなった。
「……見えるところ、」
「見えないよ、多分」
あやうげな言い分に、ふ、と吹き出す。確かに制服の襟に隠れるか隠れないかの、ぎりぎりを吸われた。思わぬタイミングで人目にさらされることもあるだろう、位置。
「おれのものだ、って言っちゃっていいんだよね」
背後からぎゅうと瑛佑を抱きしめて、透馬が言う。その不安げな台詞に、透馬の手を上から握る。
ただただひたすらにあまいセックスで透馬の不安が消えてなくなりますようにと願わずにいられない。こんなに触れ合ってあますところなく見せて、大丈夫だと何度言い聞かせたら信じ込んでくれるだろう。
せつなく絞られる胸は透馬のせいだ。握っている手にさらに力を込める。痛い、と透馬が訴えるまでこめる。
「いいよ……すきに、言え」
透馬が触れている胸の上、心臓をじかに撫でるように答える。透馬は驚いた顔をして、すぐにせつなそうに表情を歪めた。
「おれも言うから」
「……おれにも痕、つけて」
「どこがいい?」
「瑛佑さんが『好きだ』って、思ってるとこ」
なら透馬の横顔が一番好きだが、頬につけるわけにはゆかない。選ぶふりをして透馬の身体をじっくりと眺めるのは、なかなか良かった。結局、透馬につけられた場所と同じところにした。首筋にかかる髪を分けてキスをすると、透馬は「はは」と照れ笑いをする。
それから、長いキスをした。舐めあっているうちに我慢ならなくなって腰を揺すり、また透馬が瑛佑に入り込んできて、くったりと力の入らぬ身体を好きにされた。
シングルベッドふたつ、ばんざい、と言いながら透馬は瑛佑のベッドに潜りこんだ。なにがいいって、汗だの唾液だのローションだの精液だのでぐしゃぐしゃに濡れたベッドをとりあえず捨てて、乾いたベッドで眠れることだ。そういう意図はなかったな、と喜ぶ透馬に苦笑しつつ、タオルを放って瑛佑もベッドに潜りこむ。二人ともシャワーを浴びた後で、つめたいシーツがさっぱりと肌に心地よい。難があるとすれば男二人と飼い猫一匹にはシングルは狭すぎる、という点。夏場なら多分一緒に眠らない。
セックスのまま眠りこんでも良かったのだが、ちゃんとシャワーを浴びてリセットしたのは二人とも明日仕事があるからだ。さすがに眠って休まなければ、と時計を確認する。もう早朝に近い時間だ。窓の外はひやりと冷え込んでいるらしく、閉じたカーテンを超えて冷気がすうっと肌を撫でる。
「瑛佑さん」と話しかける透馬に、「もう眠い」と答える。
「……少しだけ、」
「ん?」
「おれがじいさんになったら、っていう話していいですか?」
こわごわと、でも真面目に言うので、くるりと身体をまわして透馬に向き合った。
「おれ、瑛佑さんよりも貧弱なもやしだから先に足腰立たなくなると思う」
「……いきなりなんだよ」
「……そういう限界が来ても、一緒にいたい、っていう意味です」
瑛佑の手を取り、自分の心臓の上へと導く。透馬の願いと同時に、迷いも分かる。勇気を出して言ってくれたことに、胸の内側がぼわりと暖かくなる。
瑛佑の頭の中では、まだ鈴が鳴り転がっている。透馬の歌声が幸福を呼んでいる。
「介護になるのは面倒だから、透馬はいまのうちに歩かないとな」
髪を梳いてそう言うと、透馬は瞳をきょとんとさせた後、顔を歪めた。泣きそうなのと嫌そうなのと笑い出しそうなのがごちゃまぜになって、複雑だ。
「今度の休日にN岳の開山祭があって、秀実と行く約束なんだ。透馬も行こう」
「え、無理です。ヒデくんと瑛佑さんと一緒なんて。もうちょっと初心者向けにしましょう、公園一周とか」
「Nなんてバスターミナルがすぐだからちょっとしか歩かないよ。行こう」
「いやいや、」
「おんもにでたい、って散々歌ってたじゃないか」
そう笑うと、透馬も吹き出した。「確かに歌いましたけど」
「Nならまだ寒いだろうけど、ふもとじゃ桜がいいころあいじゃないかな」
「桜……」
「透馬、春だよ」
そうだ、春なのだ。長くつめたい冬の終わり、すべて溶け、ほころぶ春。
スケッチブック持って行っていいかな、と言った恋人に笑ってやると、笑顔を瑛佑に返してくれた。笑い合い、ふと思いついて、瑛佑は透馬に子守唄を求めてみた。
「え」と笑い顔のままかたまる。
「さっきあれだけ歌ってたじゃないか」
「あんなの鼻歌ですよ。それにおれ、うまくないし」
「さっきのあれが良かったからリクエストしてるんだ」
「えー……照れる……」
「なあ、透馬」
すると透馬は、瑛佑に向こうを向くように促した。歌ってやるからあっちを向け、という意味か。素直に従うと、同時に腰の下に腕が差しこまれる。背後から抱え込まれる格好は先ほどもしていたが、服がまとわりつくとまた感じる肌の伝わり方も違う。
透馬の少し低めの体温が、徐々に伝わってくる。腹の上で手をつなぐと、透馬は瑛佑のうなじに額を押し付けて、恥ずかしそうに歌い始める。
はーるよこい はーやくこい
あーるきはじめた みーちゃんが
とん、とん、と節に合わせて上下する手指。歌が終われば、またうたってくれた。瑛佑が眠るために、ほとんど囁き声の、掠れた透馬の音で。
瑛佑にとっての、幸福を呼ぶ鈴。
心地よさが目の前に大きく広がる。出勤で慌ただしくなるまで、しばらく眠りについた。
End.
←中編
寝室としてつかう部屋にベッドはふたつだ。いきなりダブルベッドでも良かったのだが透馬が照れ、「きっとひとりで寝たいと思う時もあるじゃないすか」と主張し、考えの末に揃いのベッドを二つ購入した。なにも一緒に眠るだけがカップルではないし、透馬の眠りの浅さも考慮した結果だ。ひとりぶんのスペースをきちんと確保した方が寝やすいというから、いざ困ったら(なにに困るんだかよく分からないが)その時考えることにして、ベッドは分けた。これは遠慮なんかじゃない、ときちんと確認をして。
自分のベッドに寝転んだ透馬は、なにやら絵を描くのに夢中になっている。ボールペンでぐりぐりと丸をつなげて描いていたかと思えば、そこに色鉛筆で好きに色を塗り出す。テキスタイルのパターンのような、抽象的なかたちの方が描くのを得意とするらしいことも最近知った。絵を見せてもらったのがつい先日だからだ。
撫でていた飼い猫は膝の上にそのまま、透馬を眺める。まだ歌を口ずさんでいる。「その歌さ、」と声をかけると、素の顔で透馬はこちらを向いた。
「春よ来い?」
「だっけ、タイトル」
「いやおれもろくに分かんないでテキトー歌ってますけど」
「まあいいや、それな。透馬のことみたいだな」
そう言うと、どこが? という顔をしてはじめから歌いだした。はーるよこい、はーやくこい。あーるきはじめたみーちゃんが。
「ちーちゃんでしたっけ?」
「知らないけど、そこ」
「みーちゃん?」
「歩き始めた、ってところが、この春の透馬にぴったりくるような気がしてさ」
就職先を決めて働き出した。こだわっていた家と恋と決別した代わりに、瑛佑と暮らすことを選んでくれた。変化は誰が見ても手に取るように分かる。透馬はいま、いっせいに芽吹き出した春の樹木だ。
笑っていた顔はふと、泣き出しそうにきゅ、と歪んだ。
「そう、すかね」
「うん、そう思うよ」
「――でもおれだと、あるきはじめたとうちゃんが、になっちゃう」
「ふ、」
「要介護の徘徊老人の歌になっちゃいませんか」
言葉遊びが楽しくてつい笑った。透馬も笑った。歌詞を自分の名に置き換えてまた歌いだす。今夜はいつまでさえずっているつもりだろう。
おんもにでたいとまっている、まで歌って、ふあ、とあくびをした。
「――瑛佑さん」
「ん?」
ひらいていたスケッチブックを閉じてヘッドボードへ置くので寝るのかと思いきや、透馬は半分かけていた布団を軽く持ち上げた。
「こっち、来ませんか」
「……」
「……来ませんか?」
ためらいがちな声色に、わずかな戸惑いが含まれているのを感じ取る。勇気を出して言った台詞だと分かる。うん、と頷き、飼い猫を残してベッドを抜け出た。ベッドに立ちあがりそのまま透馬のベッドへ足を踏み込むと、思いのほか沈むスプリングに透馬が驚いて声をあげた。
「瑛佑さん、大胆」
「思い切りが大事」
「ちょっと、夢の通りだったかも」
「え?」
「おねだり、じゃないけど、大胆に踏み込んでくれるところが」
その体勢のまま、透馬の膝の上に載せられる。寝る前だったから二人とも薄着で、綿地越しに下半身が触れ合って芯にぽっと火がともされたと感じた。
「この時期っていいですよね」と透馬が言った。
「なに?」
「長袖のTシャツにパンツ一枚ってそそるなあって思って」
「ばか」
「半そでTシャツにパンツでも、パンツ一枚でも、全裸でも、まあなに着てたって着てなくたってそそるんすけど」
「大概だろ、それ」
「……久しぶり、すね」
うつむき、瑛佑の胸に額を押し付けて透馬は呟く。
透馬がFから戻って来てから引越しまで透馬はずっと瑛佑の部屋で暮らしたわけだが、完全に仲直りですぐさま元通り、というわけにはいかなかった。まず透馬は生活に馴染むことに対してずっと緊張していたし、その緊張をほぐすだけでもだいぶ時間を要した。瑛佑の方にだってわだかまりがあった。一度は大嘘ついて逃げられたのだ。しかも未遂とはいえ浮気を試みた事実があって、それは透馬の複雑な臆病さが原因だと分かっているのだけれど、簡単に許しきれるほど器も大きくはない。
微妙に触れられないまま、瑛佑の部屋では手狭だからと部屋を探す方へと流れ、透馬も就職活動をはじめて気が逸れた。正直、部屋を探したり就活を応援したりする生活はありがたかった。そうやって少しずつ間を詰めて、ようやく現状だ。
透馬の髪をゆっくりと撫でる。透馬が顔を上げたことが、キスの合図になった。こわごわと触れてくる癖は変わらない。一度目はノック、二度目は靴を揃えてお邪魔します、三度目にようやく上がりこんで本題に、と手順を踏まねば積極になれない透馬のキスのやり方が好きだ。真面目に愛されていると分かって。
キスに夢中になり、そればかり繰り返していた。透馬の手は上から下へと瑛佑の背筋を絶えず撫で、性器はボクサーパンツの布地越しに重ねたままだ。淡い性感を確かなものへと育てるように、ゆらゆらと腰を動かしながらキスをする。
透馬の手がシャツの下へ伸びる。腰を撫でさすり、胸へ、すでにとがっている乳首を指の腹でつまみ、つぶす。透馬の背に手をまわしながら、は、と息を吐いた。その吐息に透馬も嬉しそうに息を吐く。
「どこまでしていいですか」と訊かれた。はじめから全部やり直すかのように聞く。瑛佑がやめろと言えば、お互いの腰のあいだで膨らんでいるものを放置してでも中断するつもりか? 好きなだけどうぞ、という台詞は脳内に浮かんだだけで言わなかった。その代わりに透馬の手を制し、透馬の膝から降りる。
「――瑛佑さん?」
「してやる」
腰元へ屈み、やわらかな布地を押し上げている塊を取り出す。べろりと先端を舐めると透馬は息を詰め、その様子を窺いたくて上目づかいに透馬を見やると、目が合った。手の中の勃起がぐんと嵩増す。素直な反応に笑ってやると、透馬はますます困った顔をした。
← 前編
→ 後編
と歌いながら透馬は鍋の手入れをしている。「これがあるとないとじゃ料理の質が全然ちがうんすからね」とあんまりに力説するから買った、ほうろう引きの鉄鍋だ。透馬の言う通りに今夜の夕飯に登場した煮豚はとろりとやわらかく、白米をおかわりした。機嫌よい背中を見て、瑛佑もふうと息をつく。
ハスキーな地声は、歌になるとやや跳ねる。ころころと坂を跳ね転がるかのような独特のくせがかわいらしい。音痴の部類でカラオケは苦手だと言っていたが、こうして口ずさんでいる分には十分魅力的な歌声だ。
それにしてもずいぶんと懐かしい曲を歌う。定番と言えば定番、年寄りくさいと言えばそう、瑛佑よりも年下のくせに妙に古風なところは、一体だれに教わったのか。楽しんでいる背中に笑うと、透馬は歌うのをやめて振り返った。
「だってあまりにも機嫌いいし、微妙に時期外れだし」
「ああ。今日うたうなら『はーるがきーた、はーるがきーた』の方、すかね」
今日は特にあったかかったすからね、と真面目に言うのがまたおかしい。だからどうしてそんな童謡ばかり出てくるのだろう。今時の二十代、というか三十歳目前、はやりの歌謡曲だって知らないわけじゃないだろうに。
透馬にはこういうところがある。階段でじゃんけんをして遊んだりしりとりをしだしたり。先日はなにを思ったのか「腕相撲しましょう、腕相撲」と言い出し、持ち前の非力さを見事に発揮して瑛佑に完敗だった。花を愛おしむ習慣も字がやたらと綺麗なところも、妙に古さを感じるというか。
透馬の由来を思い少し胸が痛んだが、過去があるから透馬のいまがあるのも事実だ。ひとまず今日の機嫌のわけを尋ねると、透馬は「いいことがたくさんあったから」と嬉しそうに答えた。
「まず夢見が良かったんすよ」
「へえ」どんな夢だ? という意味をこめて首をかしげる。
「瑛佑さんに超色っぽい顔でおねだりされる夢」
思わず吹いた。ばあか、と傍にあったクッションを投げつけると、透馬は「夢すから、夢!」と笑う。
「――他には?」
「電車乗ったら飛行船が飛んでました。なにかのイベント案内だったんでしょうけど、おれあんな風にちゃんと飛んでるところ見るのはじめてで、興奮しました」
「飛行船か」確かに滅多に見ない。「でっかくてかっこよかったんすよ」と感慨深げに言い、その様子に、ちょっと見てみたかった、と思う。
「あとはついに、駅裏の花屋で顔を覚えられました。店員さんにサービスしてもらって」
「ああ、それで」玄関、窓枠、トイレに洗面台とあちこちに花が活けてあった。どれも一輪だけだが、シンプルで好感が持てる。透馬らしい愛で方だ。
「で、瑛佑さんがケーキ買って帰って来てくれたから、ご機嫌最高潮です」
「なにより」
「うれしいと歌がうたいたくなりますよね」
そう言って重たい鍋を棚に仕舞い込む。「シャワー浴びます」と言って消えたが、浴室の方からまたのびやかな歌声が聞こえた。「はーるの、うらーらーの、」と知っているフレーズが聞こえ、つい笑ってしまう。生まれる時代間違えていないか。
まだ片付けの半端な部屋を見回し、さて少しは整理をするか、と透馬の歌を遠くに聞きながら立ち上がる。
引っ越して三日目、いまは「春の青井透馬おめでとう週間」開催中だ。一体なんなんだ、春の、と言うからには夏も秋も冬もあるのか、と突っ込み満載のネーミングは透馬によるもので、きっかけは「引っ越し祝いと透馬の誕生日祝いをしよう」だったはずだが、「誕生日は自分がいちばん嬉しいと思うことをする日」を持論とする透馬が「一度でいいんで一週間ぐらいぶっ続けでちやほやされまくりたいです」と言うからそういう流れになった。この一週間、透馬は「いちばん嬉しいと思うことをしまくる」そうだし、瑛佑は透馬をとにかく甘やかしてやる話になっている。飽きやしないかと思ったが、飽きたら飽きたでそれまで、とにかく透馬が楽しそうだから瑛佑は満足だ。「仕上がりの違う鉄鍋で作る絶品料理」もそのうちのひとつだし、ケーキを買って来たのも、花を買うのも、いまが甘やかし週間だからだ。一週間が終われば落ち着くのかどうかと考えるが、透馬の言う「ちやほや」があまりにもささやかすぎて続いてしまいそうだと思いながら。
段ボール箱から本を取り出し、先ほど組み立てかけたまま中断となったラックを作り直して、収める。透馬の私物があれやこれやと混在するのもはじめてだ。今までは家出青年、いつどこでも泊まれるように荷物は最小限だった。好きな写真家の写真集や、気に入りの歌手が特集されている古い音楽雑誌や、好んでよく着ているファッションブランドからのDMを大事に取ってあること、作業用の机はちいさくても構わないから絶対にほしいと譲らなかったことなど、いままで知らなかった透馬を今回の引っ越しでたくさん知った。知れたことが嬉しかった。
嘘のない透馬は、素直で豊かで、やっぱり愛おしかった。
一緒に暮らせることが嬉しいと、浮かれているのは瑛佑の方だ。誰かと日々を分かち合うことは歴代彼女ともなかった。声を聞きたいと思う時に名を呼べば振り向いてくれる幸福。鈴って言ったかな、とどこかで聞いた昔話を思い出す。鈴は神様へ向けて鳴らす幸福を呼ぶもの。だからいまそれは二人の間で鳴りっぱなしなんだろう。
ころころと跳ねる透馬の歌声。そのものじゃないかと思いながらまた次の段ボールをあける。
→ 中編
「瑛佑さんと暮らしたい。――瑛佑さんと家族になりたい」
「透馬」
瑛佑の腕が伸び、透馬の額に当てられる。優しく髪を梳き、顔をあげるように促される。こんなみっともない顔など見せたくなかった。
顔をあげたら、瑛佑の顔が見えた。瑛佑もまた涙を一筋こぼしていた。細い目がきつく歪められている。横を向いて鼻をすすり、もう一度「透馬」と呼ぶその身体に、透馬は飛び込む。
眼鏡をむしり、肩口にすがって顔を押し付ける。瑛佑もまた透馬の背中に手を回し、強く抱きしめてくれた。隙間なく埋めあうように力をこめる。痛いぐらいで実感する、この人が必要だということを。
「ようやく言った」と瑛佑がこぼした。声は情けなく緩んでいて、上ずっていた。それが嬉しい。
「今度こそ本音だよな」
「――はい」
「おれもきみと家族になりたいぐらい、きみがすきだよ」
「はい」
「すきだよ……」
入れっぱなしの力を一度抜き、身体を組み替えてまた抱きしめあう。どくどくと透馬の耳の横でうなる瑛佑の首筋の動脈に、頬をすり寄せる。動物が身体をすりあわせるみたいに、原始的で純粋な行動だ。瑛佑は透馬の髪にくちびるを寄せた。それがたまらず、またさらに力を込める。
「もう逃げたりなんかするなよ」と瑛佑が言う。その声で、今度こそ失いはしない、という力強さが身体に沸いた。
「透馬の声、ちゃんと聞いたから」
「はい」
「言いたいことも言えないこともなんでも全部おれには話して」
「約束します。……瑛佑さんも、約束してください」
「うん、なに?」
「おれから急にいなくなったり、しないで」
「……じゃあ、逃げないでちゃんと掴んでおけよ、透馬が」
そう言って瑛佑は、胸の前で手と手を結んだ。瑛佑の言う通りだ。透馬は笑う。
出来た隙間はしかし、すぐに片腕同士引き寄せあって、埋めた。
「ありがとう」
Fまで迎えに来てくれたこと、今日ここに連れてきてくれたこと。透馬を受け入れてくれたこと、愛してくれたこと。全部に心をこめてお礼を言いたい。
抱きしめあっている身体はずっと震えていた。そのか細く小さなふるえは、瑛佑に恋に落ちた瞬間の痺れとよく似ている。いまはこれをひとりで抱え込まなくていいのだという安心感で、身体がぬくく眠たくなる。
一通り泣いて涙が乾くころ、ようやく我に返る。「お取込み中のところわるけれど」と後ろから声をかけられ、貴和子の存在を思い出した。ここは瑛佑の部屋でもなければFでもなく、貴和子の家なのだ。
息子が男を抱いて涙しているところなど母親が見たら絶叫ものなんじゃなかろうか――自分たちを客観視できるぐらいの冷静さを取り戻して振り返ると、貴和子はなんとも言えぬ表情で腰に手をあてて二人を見ていた。
「仲直り、済んだ?」
「済んだ」答えたのは瑛佑だ。泣いていたおかげで、声が少し枯れている。慌てて瑛佑の身体から離れ、「すみません」と謝る。
貴和子は「なにを謝るの」と軽やかに笑った。
「お茶、とっくに入ってるけど冷めちゃったから入れ直す。あまいものを食べましょう。その前にふたりとも洗面台へどうぞ」
と、タオルを渡され、促される。微妙な気まずさを抱えたまま順番で顔を洗う。ふと、透馬の後で水場をつかっている瑛佑のかがんだ後ろ姿に、そっとおおいかぶさった。
顔を洗う動作をやめぬまま、瑛佑は「どうした?」と優しく答える。そのやわらかな言い方に胸が絞られ、また泣きそうになる。
なにか言いたいのに、なにを言っていいのか分からない。でもきっと、なにかを言わなくてもいい。腰に回した手に力をこめると、悩ましいのが伝わったのか、瑛佑がちいさく笑った。
笑い声と、つたわる振動。腹の奥がぽっとあたたかくなる。ああこれなんだと実感した。恋の向こうにあり、みなが手にしているごく当たり前で、実はとても難しいもの。
「早く帰ろう」と瑛佑が言った。
「お茶飲んで、一息ついて、帰ろう」
「……おれ、」
「秀のとこ行って、預けてたトーフ取り返さなきゃ。みんな透馬に会いたがってる」
どこに帰るのか、野暮なことは聞くな、という当たり前の口調だ。透馬も笑った。これが幸福なんだと実感を噛みしめながら。
「まったくもう!」と誓子が怒っている。最近はほとんど家に帰らず連絡も寄越さなかった息子が突然帰って来て部屋を片付け出すからだ。怒られてばっかりだと思いつつ、それが嬉しい。誓子がこの家でも元気だと知れて。
あまり持って行く荷物らしいものはないのだが、処分だけは自分の手で行いたかった。雑誌、衣類、雑貨、それらを手際よく分別し、まとめてゆく。
「いきなり帰って来たと思ったらいきなり」
「母さんさっきからそればっか」
「引っ越すだなんて、驚くわよ、そりゃ」
そう言いながらも誓子も透馬を手伝ってくれている。家政婦に声をかけ、段ボールやごみ袋やビニールテープやと必要なものをこまこまと運び入れたり出したりする。
車は借りてきている。家から出てきたものは、あたらしい部屋に運び込む手筈だ。当面、引越しでばたばたとするが、落ち着く暇はない。再就職先もなんとか決まった。事務職だが、家具メーカーだ。念願の。
一月、瑛佑との旅行から帰って来てしばらくはずっと瑛佑の元で暮らした。その間に就職活動を行い、二人で暮らす新居も探しなおして、四月はじめ、ようやく色んなことが決まった。もっと時間がかかるかと思っていたから、思いのほか早くて嬉しい。同時に、浮かれて失くさないようにと気を引き締める。少しでも緩んで失いたくない。これから瑛佑と作ってゆくのならばなおさら。
「引越し先はどこ?」と誓子が訊いた。心配そうな顔に、笑ってやる。
「教えたら母さん、来んの?」
「来てほしくないっていう意味かしら」
「一緒に暮らす人がいるからさ。電撃訪問はやめてほしいなって」
一緒に暮らす人、と言えることが喜びだった。誓子は首をひねる。
「ルームシェアでもするの?」
「いや?」
四月、桜が咲いた。大嫌いな家だが庭に重たく花がついているその様子は見事だ。気まぐれに舞う花びらと空の青とのコントラストが綺麗で、これを見られただけで実家まで戻って良かったな、と思う。
「すきな人と暮らすんだ」
暮れに二十九歳になったお祝いを、今夜は兼ねる。透馬の誕生日祝いだから、透馬が好きな事をしていい日だ。誕生日プレゼントはすでにもらっている。瑛佑と暮らせる毎日。
新居の窓辺には群青の小瓶と花を置きたい。鍵にぶら下がるのは木馬のオーナメント。壊れたらまた補修する。引越しにはあの椅子もブランケットも運ぶ。ネコのトーフもいる。
みんなある。大切なものが、透馬の傍にいる。瑛佑に会えてよかった。
End.
← 99
旅の終わりは貴和子の実家だった。S市にある家まで貴和子を送って行き、少し話をした。いまは貴和子ひとりで住んでいるという家で、庭の寒椿が花を落とさず迎えてくれた。こげ茶の中型犬を飼っていた。胴回りの太い年老いた犬で、はじめこそ透馬に吠えたが、しばらく傍にいると懐いて湿った鼻先を手に押し付けてきた。誘われたような気がして、小さな庭に出て透馬はずっとその犬を撫でていた。
夕方発の新幹線までまだ少し余裕がある。たった数十キロの距離なのに、K市とS市とでは気候が全く違った。ぽかぽかと暖かく、布団でも干せそうな日和。外にいるのにマフラーを取り、上着のボタンも外した。
貴和子は台所で先ほどKで購入した和菓子とお茶の用意をしてくれている。手伝おうかどうしようか迷ったが、瑛佑の傍にいたくてやめた。瑛佑は縁側に座り、犬とたわむれている透馬を頬杖ついて眺めている。縁側にまで積み重ねて出されたたくさんの本に囲まれて、やや窮屈そうだ。
大学教授をしている貴和子の家には大量の本があった。新花の家も大体こんな感じで、懐かしい。決意して息を吸い込むのと、瑛佑が「そういえば」と口火を切るのが同時だった。
瑛佑の方を振り向く。
「秀の式の日取り決まったよ」
「え、いつ?」
「五月。ガーデンウエディングだって」
「瑛佑さんの職場で、ですか?」
「いや、時期が良いから塞がってて無理だった。でもうちの系列の催事場だよ」
頬杖をついたまま、でも的確に喋る。少し眠そうだ。微妙な空気のまま二日も同じ部屋で眠ったから、眠れていないのは瑛佑も同じだと知っている。
近寄っていいのか、迷う。犬を撫でるのをやめ、ズボンで手の汚れを軽く払って立ち上がる。瑛佑は「透馬も呼ばれるよ」と言った。
「おれなんかが行っていいんですかね」
「なんかって言うなよ。秀が泣く」
「雨降らないといいですね」
「五月って言ってもいちばん終わりの週末だから、少し微妙かもしれない」
珍しく弱気な発言をしている、と感じた。瑛佑の傍へ一歩、一歩と寄る。「隣いいですか」と訊くと、本をどけてスペースを作ってくれた。そこへ腰かける。
透馬どうする? と瑛佑が訊く。
「……出ます。行きますよ」
「じゃなくて、これで帰ったら、どうするつもり?」
「……」
「家……」
言いかけて瑛佑は黙った。実家に居辛いことは百も承知、今後の透馬の行き先を瑛佑は問うている。
膝の上でぐっと拳を握る。そうでないと膝が笑って笑ってしょうがない。
「家、ほしかったんです、おれ」
顔をあげられぬまま言う。
「Fの家が。叶わなくても、伯父さんのいる家が、ほしかったんです」
「……」
「本当はずっと家族がほしかった」
口に出してみたら、言葉は透馬をめちゃくちゃに殴りにかかってきた。ひどい暴力だ。綾への恋心をはじめて口にした時も、その暴力性にやっぱりびっくりした。
それでも言わねばならない。いま言わないでいつ言うんだろう。瑛佑は待っている。
「おれの言うことに笑って、怒ったり泣いたりして、心配してくれる家族です。おれがいちばん大好きな誰かを、おれが守ってあげたいし、愛したい。誰にも文句なんか言わせなくて、奪われもしない、……やさしくて強い家がほしい」
「……うん」
「それから、その人にめちゃくちゃやさしくされたい。認めてほしい。愛されたい」
「うん」
瑛佑から透馬には触れてこない。でもわずかに触れ合う肩先から、体温が伝わる。瑛佑がじっと透馬を見ている、熱の視線が分かる。
「川澄さんが」と言った時は、ほとんど泣いていたように思う。鼻の奥がきんきん痛んで、うまく声が発せられないのは発する前から想像ついた。それでも語りかける。
「手に入れるんじゃなくって、作れば、って言ってて……」
「うん」
「おれ、瑛佑さんと暮らしたい」
ぱたぱたっと眼鏡のレンズに涙が落ち、視界が曲がった。
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暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。
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