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いとしい人はずっと、両腕で顔を覆って、かくしてしまっていた。表情が見たいのに、腕を外しても、「見たい」と懇願しても、かくしてしまう。その、恥ずかしがっている姿もまたいいのだけれど。隆央のことならなんでも見ていたいからあれもこれも、と欲求が次から次へとあふれる自分はもう、隆央の虜でしかなかった。
首筋をべろりと舐めると、隆央はふるえた。沸騰まで煮詰めた蜜のようにとろけた内部が収縮し、深谷を締めあげる。
「――痛い?」
と訊くが、痛いわけがないのは、分かっている。思考まで性行の熱に侵されていて、言葉のコントロールができない。
隆央は両腕でかくしたまま、顔を横に振る。
「苦しい?」
それも、ないことだと分かる。隆央の中心はかたく張り詰めていて、先ほどからずっと、濡れた先端の裏側を深谷の腹に押し付けっぱなしだからだ。感情面での苦しさがあるとすれば、それはちょっと分からないけれど。
「顔が見たいな……」
今度はあやすようにやさしく、舐めた場所にキスをする。深谷の求めに、最終的には応じてくれる隆央を知っている。根負けするのか、本人にも悦びがあるのか、深谷を信じてくれるのか、隆央なりの理由があり、それを訊ねたことはないけれど、知っている。
手を掴んでそろそろと両腕をひらかせると、快感に真っ赤に潤んでどうしようもなくなっている隆央の顔が現れた。
喜びが身体中を駆けめぐる。深谷は満足の吐息をこぼしながら笑う。
「――深谷さん、」
「ん?」隆央の髪を掻き上げながら首を傾げる。
「……なんで動かないの……」
隆央の声は情事に掠れていて、熱をはらみ、耳に絡む。
答える代わりに額にキスをした。じれったくなった隆央は、自分から腰を揺すり出す。そういう、みだらな隆央も良かったが、深谷は両側から腰骨を強く掴んで、それをやめさせた。上体を起こし、上からじっと隆央を眺める。
隆央はまた顔の前に腕を持ってこようとする。その手を払いのける。さっきからこの繰り返し。
時間を気にしないで好きなだけ隆央を眺めていられるセックスが、深谷はいちばん好きだ。こういう時、本能と、深谷自身が持つ欲が混ざって、恍惚となる。対象とされている隆央はいい迷惑だろうか。深谷の気まぐれで、性器を何時間でも漲らせたまま、放っておかれる。かと思えば、いきなりの愛撫で何度もいけと促される、深谷との長い夜。
それでも隆央は嫌と言わない。怒ったりすねたりすることはあるけれども、深谷の好きにされてくれる。こういう仲になって一年が経ったというのに、未だに深谷を飽きさせない。魅力的な人だと思う。誰にとってじゃなくて、深谷にとって、深谷だけにとって。
隆央は限界が近いようで、もう、目が沸点を見ている。そういう蕩けたまなざしをしている。たまらないな、と思った。それだけで迎えそうになるが、深谷にはもうちょっと別の望みがあった。
動きを止めて眺められていることに対して不満げな隆央に、そっと耳打ちする。
「あなたが上になって自分で動くところ、見たいな」
「……」
「――見たいよ」
そう言いながらずるりと内部に収めていたものを引きだす、と出てゆく気配に隆央は「ああっ」とせつない声をあげた。
「やっ、やだっ」
否定はもちろん、予想済み、それでも懇願せずにいられない。もっとみだらな隆央を見たいから。
「見たい」
「深谷さん、」
「たとえば、ここの線とか、」
そう言いながら隆央の腹部を人差し指で描くように触れる。白い隆央の身体、筋肉が収まっている場所。
「こことか」
わき腹、撫で上げて、胸。ボリュームのある太腿をもう片方の手で触る。
「どんなふうに動くのかな。どんな線が見えるのかな。隆央くんは――」
上に届いた手で頬をひたりと撫でると、隆央はまたびくんと肩をふるわせた。
「どんな表情になっちゃうのかな……見たいよ」
とどめ、とばかりにぎりぎりでとどまらせていた興奮を奥までひといきに押し込むと、隆央は顎をのけぞらせてびくびくとふるえた。内部が収縮し、深谷も呻いたが、予想していた動きに、かろうじて出さなかった。
「隆央くん」
腰を掴んで起き上がるように促すと、隆央は呼吸を喘がせながらも「もう、」となんとか身体を動かす。深谷にしがみつき、懸命に身体を捩る。
要望に応じてくれるのが、嬉しかった。隆央を無駄に刺激しないようにそっと自身を引き抜いて、深谷は寝そべる。
「――今日だけだから」とのろのろと上になった隆央は言った。行き過ぎる快感に、泣いてしまうんじゃないかと思えるほど瞳に涙の膜が出来、きらめいて見える。
「恥ずかしいから、あんまり、……見ないで」
「それは無理な注文……そう、そのまま」
「――あっ……ああっ、あっ――っ」
深谷に跨り、再挿入を果たした隆央の悲鳴は尾を引いた。深谷の腹にしっかりと手を突きつつ、上下に腰を揺らす。深谷の視線から逃れるかのようにうつむく顔に、顎に、手をやった。上体を軽く起こし、隆央の顔を上向かせる。
半開きのくちびるからは、深谷への恨み言も心地よさも全部いっしょくたになった嬌声しか出てこなかった。
「――うん、とてもいいよ」
揺さぶられて、深谷ももう限界だった。下から突き上げると、隆央は首をがくがくと振って身悶えた。
「本当に、あなたは最高だ――」
聞こえていたかどうか、隆央は触られもしないで射精した。深谷もいく。終わると、隆央は気絶するように寝入り、夜半になっても意識を戻さなかった。
腕を伸ばし、腰を伸ばし、身体の動作確認をした隆央は、「これで今日これから出勤なんて信じられないよ」と言った。
朝、早く目を覚ましたのは隆央の方だった。深谷の家に置きっぱなしのスエットを身に着け、庭に出て行く。音で目をさまし、深谷も縁側へ出ると、すでにまぶしい朝日の中に隆央が佇んでいた。庭のあじさいが隆央を彩っている。絵画のようで、その背中に見惚れた。
振り向いた隆央が笑う。自身の魅力を知り尽くしているかのような、鮮やかな笑みだった。出会った頃よりずっと、隆央は魅力的になった。うぬぼれかもしれないけれど、もし自分が隆央をそうつくったのだとしたら、これ以上の喜びはない。
深谷はそのまま縁側に腰掛ける。
「どうも家にいると、あなたに無茶なことばかりさせてしまうけど、大丈夫?」
「そんなやわなつくりしてないから。――まあ、昨日はさすがに、」
と、微笑まじりのため息をつく。深谷もゆっくりと微笑む。
「次はどこか出かけようか」
「次、って、いつ?」
「隆央くんが来てくれる日」
「じゃあ、再来週の末かな……でもまだ梅雨の真っ最中だろ、」
「雨が降ったら、家にいよう」
そう言うと隆央は声をたてて笑った。そのまま見つめあう。
梅雨の中晴れ、朝日を浴びてきらきらと輝く隆央は、最高によかった。この人とこういう仲になれて、深谷はいま、満ち足りている。散々な人生を送ってきたとは言わないが、離婚や、母の介護や、深谷なりの苦労がこれまでにあった。人に言えない性癖を、分かち合える日が来るとは思わなかった。
深谷の視線がまた、陶然に満ちる。隆央はすぐそれに気づきながらも、見つめる深谷の前で、じっと佇んでくれている。
End.
関連:
虜になればいい
こわれそうだよ
トップシークレット
離婚し、祖母とも死に別れ、一人暮らしとなった叔父の元へ月に二度か三度足を運ぶのは、庭の花の手入れを優志(ゆうし)が行っているからだ。マンション住まいの優志にとって花は買わねば手に入らぬものだが、郊外の一軒家を継いだ叔父は違う。庭には、生前の祖母が喜んだという理由で残された花々が一通りは揃っている。花の手入れを叔父はしないので、優志が出かけてゆく。
父は、歳の離れた叔父のことをいたく可愛がっている。両親に替わって学費の面倒までみた大事な弟で、叔父が離婚した時は叔父の元妻のことを「ひどい女だ」とののしり、祖母が死んだときは「あいつがかわいそうだ」と悲しんだ。早くあたらしい妻をめとってしあわせになってほしい、としょっちゅう話している。だから優志が「今日叔父さんちに寄ってくる」と言うと、安心するのか、喜ぶ。
せっかくの花だから会社へ持ってゆく。社内の環境美化にいいと、評判でもあり、噂でもある。男で、花の世話が趣味で、その花を持ってくるのだから、優志は目立つ。それ以上に人見知りしない屈託ない性格のおかげで、からかわれることはあっても花を持参する優志を蔑む人間はいない。ありがたい環境だ。
優志の世話する花なのだから、好きに取って行っていいと叔父は言うが、そういうわけにもゆかない気がして、一応顔を見せる。行く日はまえもって決め、連絡を取っておく。花をもらうだけが目的なら、朝に寄ることが多い。叔父に挨拶をして世間話をしながら花を摘み取り、そのまま会社へ持ってゆく。
余裕がある時は母が前の晩に二人分の弁当をつくってくれる。明日の朝食に、という意味だ。そういう日は叔父の家に上がって二人で弁当を食べる。叔父は物腰がやわらかで話題も豊富、少々幼いような言動は、人に好かれるいい性質だと思っている。一緒にいて、苦痛がない。心許せる、ほっとくつろぐ朝のひと時だ。
その週も、行く約束をした。あじさいが見ごろだから持って行くといいよ、というメールを叔父から受け取っていた。日にちは前もって指定していたのだからいいかと思い、前日に確認のメールなどしなかった。月曜日、叔父の元へ顔を見せると、知らない顔がいた。
庭に出て、縁側に座る叔父となにか親しげな目線をくばせあっていた。会話をしていなかったから、存在に気付かなかったのだ。いつものように庭の裏口から入った優志は、そこに人がいるなど思いもしなくて、驚いた。
若い男だ。優志と同い年ぐらいだろうか。大人しそうな顔立ちで、色白。Tシャツにスエットパンツといういでたちで、まだ眠りから覚めないような格好をしていたが、男にしてはややくびれたその腰つきに、つい、と目がいった。
似たような格好をしていた叔父が、目を丸くして「優志」と名を呼んだ。
「――忘れてた。今日取りに来る、って言ってたんだっけ」
「そう。……俺、邪魔? ならまた日を改めるよ」
「いや、全然いい。構わない……よね、隆央くん、」
と、叔父が優志の隣の男を見遣る。隆央くん、と呼ばれた男は優志を見て、「おはようございます」とぎこちなく挨拶をした。
「甥の、優志だよ。兄貴の息子。この庭の花の世話をしてくれててさ、会社に持ってくって言って花をもらいにたまに朝寄るんだ」
「はじめまして、おはようございます。……っと、」
「隆央くん。ええと――友達だ」
初対面同士を引き合わせて、叔父が喋る。友達とは、ざっくりとした説明だ。「昨夜泊まっていったから」と朝ここにいる理由を叔父は述べた。
友達にしては歳が離れているだろう。会社の後輩と言われた方がまだ分かる気がしたが、そういうことでもないようだ。年齢を超えた友人というものをあまり持たぬ優志にとっては、なおさら謎の人物だった。
「泊まるほど、仲いいんだね」
「まあちょっと、昨夜は色々と長引いて――」
「深谷さん、」
隆央が叔父を呼んだ。会話を制するタイミングだった。
「時間あんまりないから。――シャワー借りるよ」
「ああ、うん、……」
知っている風に庭を進んで、隆央は家の中へ入ってゆく。敬語をつかわなかったから、会社関係の人じゃないか、と納得する。叔父はしばらく頭の後ろを掻きながら隆央を見送っていたが、やがて振り返って「あじさい、綺麗に咲いたね」と指差す。
庭の隅に、青色のあじさいがひっそりとある。
「今朝も弁当あるけど……俺、帰った方がいい?」
あじさいだけもらって早々と出社する、段取りも頭の中で考える。
「いや、いいさ。一緒に食べよう。――あ、そうか、」
ふ、と叔父は頬をゆるませた。
「隆央くんの分はつくらなきゃなんだな」
そう言って、叔父は家の中へ進んでゆく。なんとなく楽しそうだった。今朝はとりわけ機嫌がいいなと思いながら、優志は花を刈るべく、鋏を取り出す。
叔父と、隆央と、優志とで座卓を囲んで朝食となった。隆央はあまり喋らず、緊張しているようにも見えた。シャワーからあがった後はスーツ姿で、ああ会社員なんだな、と分かる。叔父もまた出勤すべくスーツに着替えていた。
母親の用意した朝食は昨夜余分に炊いておいた炊き込みおこわの握り飯で、ひとり三つずつという母のもくろみのおかげで、ちょうどよく三人で配分出来た。それから叔父が用意したみそ汁に、白米を炊き足して、サンマの缶詰、デザートに枇杷。これは隆央が持参した手土産だという。
どんな友達? と訊くと、叔父は曖昧に笑った。
「歳が離れてそうだからさ、」
「うーん、優志は、花が好きだよな」
「そうだね」
「うん……。花って、好きなものって、眺めていたいだろ? そういう仲。ぼくと隆央くんは趣味が合うんだ。同好の士、ってやつ」
「花好きな仲間ってこと?」
ははは、と叔父はまた曖昧に笑う。日頃、素直に言葉を発する叔父を思えば、なんだか歯切れがわるかった。「花好きなんですか」とこちらには敬語をつかって隆央に聞いてみれば、隆央は咀嚼していたものを飲みこんでから、うん、とひとつ頷いた。
「もう散っちゃったけど、ハナミズキとか好きですよ」
「ああ、駅前の通りに毎年見事に咲きますよね」
「そう……――」
なにか喋るかと思って間を待ったが、沈黙だった。隆央はみそ汁をすする。
叔父も、あまり喋らなかった。窺うと、どうやら隆央を見ている。隆央の一句一動に耳をすませ観察し、わずかに微笑む。隆央はあからさまな叔父の視線に気付いているのかいないのか、それを涼しい顔でやり過ごしている。
曖昧なまま分からぬ二人だ、と思う。だが叔父の熱っぽい視線に、違和を感じた。なんだろう、心が軋むような。それは普段、優志と会話を交わす時には生まれない毒、だと感じる。
そしてその視線の熱源を、自分も知っているような?
食事のあいだは、うまく思考がまとまらなかった。ただ叔父は隆央を見、隆央は静かに座っている。
あじさいは水揚げがわるいので、出社後すぐに給湯室へ行ってミョウバンを切り口につけた。こうすると花持ちがする、と他界した祖母が生前のまだぼけていない頃に教えてくれた。青色のあじさいは、どう飾ろうか、考えるのが楽しかった。家から持参した平たい花器に、枝を短めに活ける。
早朝の社内、誰もいないかと思えば、同期の水上(みなかみ)がいた。
机に突っ伏して、寝ている。ブラインド越しの朝の光に、地黒のはずの髪はやや茶色く見えた。さらりと乾いたストレートな髪だ。綺麗だな、と思ったから、部屋には入らず入口で眺めていた。こうやって思う存分眺められるのは、周囲の目と、本人の目が、優志にない時だけだ。
突っ伏して眠っていたはずの水上は、片手をぴょいとあげて、ひらひらと振った。
「――あれ、起きてたのか?」
と訊くと、「やっぱり深谷か」と水上は顔をあげた。
「誰かの視線を感じた」
「……」
「おはよう」
「おはよう」
ひとまず花を窓際の棚の上に置いた。水上の席は窓際なので、自然と距離が近付く。水上はがりがりと頭を掻く、その気だるい仕草も見入ってしまう。見つめていたいが、そういうわけにもゆかない。
水上とは仲も良いが、友情だけではない感覚も、最近は覚えつつあった。うまく言葉にならなくて、息苦しい、と感じる。水上を綺麗だと思うのだ。男に綺麗もへったくれもなさそうなものだが、なにか、特別なものに思える。べつに、水上が目立って美しい造形をしている、というわけではない。社内一のイケメンと言えば別の人間の顔が思い浮かぶ。水上は、いたって普通の、そこらにありふれて存在するごく一般的な人間だ。だというのに、優志には水上の、一挙手一投足が気になる。ことあるごとに、眺めていたいと思う。
見つめすぎて、変な噂が立ちそうだと自分でも自覚していた。だから最近は、水上を出来るだけ直視しないようにしている。ふたりの間はいま、若干のぎこちなさを抱えていた。
棚に腰を預けて、休めのポーズで言葉を探る。なにか言うべきか、なんにも出てこない。水上は再び机に突っ伏した。
「――眠いのか?」
「……昨夜、あんまり寝付けなくて、朝まで起きてちゃってたから、仕方なく会社来た、って感じ」
「はは。なんか悩み事でも、あんの」
ごく軽く、言ったつもりだった。すると水上は「なんかなあ」とため息をついて言う。逸らしていた目線をようやく水上に向かわせた。水上は顔をあげない。
「……昨日、総務の飯山さんとめし食いに行って、……」
「ああ、うん、」飯山と言えば、優志や水上よりもひとつ上の、男性社員だ。
「飯山さん、男とつきあってんだって」
「……――えっ?」
「言うなよ、口止めされてるからな」
「言わないけど、……」
優志は、驚いた。水上と違って特別に仲が良いわけではないから、生々しい想像はできない。それでも「男同士」という事柄にぎくりとした。
水上はまだ顔を上げない。今日は全然顔を見せてもらえない。
「男同士でキスって、――おまえはできる?」と優志は言った。今回水上が知った件に、興味があった。
朝の、叔父と隆央の姿が思い浮かぶ。なぜなのかは分からなかった。ただ、近頃もやもやと言葉にならない自分の感情の行き先がどこなのか、はっきりさせたい。そういう意味で、いま優志が放った発言は、自分の意思を確かめるものでもあった。
水上が顔を上げた。窓を振り返り、ようやく目が合う。
「……」
「……」
しばらく無言で見つめ合う。頭の片側がじんと痺れ、ちりちり焦げつく感覚がする。水上を、やはり見ていたいと思った。水上をつくっている血肉を、造形を。花のいろかたちに惹かれるように、水上の姿かたちを、本当はずっと眺めていたい。
水上は恥ずかしそうに身を捩り、顔をそむけて言った。「――できるよ」
「え?」
「おれ、深谷となら、キス、できる」
がん、と脳天を棍棒で殴られたような衝撃を受ける。と、水上は席を立ち、一歩、優志へ寄る。その顔が優志に吸い寄せられるように、ぴたりと重なる。
水上は目を閉じている。優志は目をあけている。
鼻から息が触れ、その下で実にやわらかいもの同士が触れ合っている。
くちびる同士をくっつけただけの幼いキスだったが、時間は長かった。水上が離れるまで、優志はじっと水上を見つめていた。間近に迫る目蓋の、わずかな動きを。触れそうな睫毛の先を。額にかかった髪と眉毛の生え根を。
やって来た速度と反して、水上はゆっくりと離れていった。優志はまだ水上を見ている。気まずそうに目を逸らした水上を、やがて本来の気の強さを発揮して、きっと優志を睨みつける、まなざしを。
「――その目、すんな」
水上にそう言われて、優志は思わず「あ」と掠れた声を出した。
すべて分かった。叔父が隆央を見ていた理由が。叔父にとって隆央は特別で、眺めていたい存在なのだ。きっと、触れたいと思いながら、それを愉しんでいる。隆央は隆央で、その視線を、喜んでいる。恋愛感情と、本能がほの暗く結びついた、淫靡な二人。
水上の言う「その目」が叔父と同じものであるならば、優志は気付いてしまった。自分の本来の望みに。
気付いてしまったから、もう視線を隠せない。もっと見たい、ずっと見ていたい、水上を。
触れてみたい。
「――水上、」
照れも戸惑いもためらいもなかった。
「今夜、つきあってくれないか」
「……」
「水上、」
二度目の呼びかけで、水上はそっと頷いた。観念したように、恥ずかしげに、それでも、喜びをたたえた笑みで。
フルールさんのサイト
ちなみにあわづはら、ツイッターはやっておりません。ネット界でも引きこもりなので、樹海オンリーです。
そんなこんなの第2話。楽しんでいただけると嬉しいです。
ご感想ありましたらば、フルールの感想フォームよりお願いいたします。
本格的な梅雨だった。そのおかげ、と言っていいのか不明だが、永遠はしばらく瞬の元に留まった。アルバイトには出かけるが、ちゃんと帰ってくる。たまにパンだのデリの惣菜だの酒だのをぶら下げて、「今夜は飲もうぜ」と屈託なく笑う。
瞬は、うれしかった。しあわせだと思った。自分はずっと、永遠とこうして暮らしていたかったと思い知った。永遠の衣服を洗濯するのも、二人分の食器を洗うのも、シーツを取りかえる際に永遠の茶髪を見つけるのも、二人で散歩に出かけるのも全部。
こうして暮らしていけるんじゃないかと、瞬は思った。なんてすばらしい暮らしだろうかと。もう少ししたらいまは間に合わせになっている食器を二人分そろえて、家具も整えようか。きっと永遠も居心地の良さを感じてくれて、傍にいてくれる。
一方で、飢餓があった。毎晩、永遠を抱きしめて眠ることは、拷問だった。永遠のにおいや、体温や、息づかい、瞬の腕の下で生々しく感じられるそれらに、欲望を抱かない方が無理だった。やすらかに眠る顔を暗がりで眺めながら、抱きたい、と思っている。
それでも触れられない。
胸が、ふさいであまくるしい。幸せなのか足りないのか。満ちているのか暴れたいのか。たとえば、永遠がまた出て行ったら、と思うといまこの手の中にあるうちに乱暴してしまいたい。だがそれをすれば、永遠との関係は決定的に変わってしまうと分かっている。もうこんな、許した態度は取ってくれない。瞬だけに見せる笑顔も。
傍らに永遠のいる幸福を噛みしめながら、次第に眠れなくなってきていた。それでも良い、と思いはじめてもいた。瞬にはもう、準備が出来ている。一生永遠を愛していく準備だ。セックスならよそでして、永遠のために、永遠の傍にいよう。それでいいじゃないかと自分に言い聞かせた矢先の、深夜に、電話が鳴った。眠りが浅くなっているせいですぐに起きた。着信はどうやら、永遠の携帯電話にだった。
永遠は眠っている。「おい、電話」と揺さぶっても、めんどうくさげに唸るだけで、起きない。仕方がないから鳴りやむのを待っていたが、ふと気が変わって、電話に出た。
電話帳登録は行っていないようで、むきだしの電話番号が表示されていた。もっとも永遠はいつもこうで、瞬の携帯電話の番号でさえ登録されていない。まったく知らない誰かからなのか、知り合いからなのか、さっぱりわからない。通話ボタンをタッチすると、相手は「ハロウ」と言った。
男のよく響く声は、永遠によく似ていた。永遠よりも重量感のある音質は、英語のアクセントなまりにたどたどしい日本語を繰り出した。寝てた? こんな時間にスミマセン。ロンドンでのアパートメントが決まったから、来てすぐに入れる。学校は……。
男の言葉が、耳に入って来ない。携帯電話を耳に当てながら振り返ると、眠っているはずの永遠は起きてこちらを見つめていた。普段はあやうい色をした瞳が、今日はくっきりと茶色に見える。
瞬から携帯電話を奪い取ると、一言ふたこと相手になにか言ってから、電話を切った。
「――どういうことだ」
自分でも驚くぐらいに低い声が出た。
「イギリスにいる父さんから。瞬ちゃん、俺、イギリスに行く」
「……どういうことだ」
「向こうの語学学校通う。そのまま永住したいから、父さんに色々世話してもらうつもり」
永遠の言葉は、未来があるのかないのか、分からなかった。留学ならば、喜ばしいことだった。少なくとも誰かに依存して暮らす、永遠の現状よりはずっと前向き。でも瞬は明らかにショックを受けていた。永遠が、いなくなる。
いままで永遠がその手の未来を口にしたことがなかったから、瞬はなんと言っていいのか、分からなかった。
「……いつ行くの」
「来月」
すぐそこに迫っている期日だ。思考がぼんやりとかすんでゆく。
「なぜ?」
と訊くと、永遠は大きくため息をついた。
「これ以上瞬ちゃんの傍にいて、瞬ちゃんを苦しいめにあわせたくない」
「苦しくなんかないよ」
「嘘つけよ、眠れてないだろ」
ぎくりとして、目を逸らした。確かに眠りづらくはなっている。だがそれがどうしたと言うのだろう。大したことではなかった。永遠が傍にいてくれるなら、全然。
「俺、瞬ちゃんの傍にいると、死にたくなる」
と、永遠は言った。吐き出した息は重たく、音がするなら、ごとんごとんと鈍い重量感で床に落ちただろう。
それは深いかなしみだった。
「瞬ちゃんの傍にいると、永遠を望みたくなる。瞬ちゃんの傍にずっといて、瞬ちゃんも笑ってくれてんだ。ずっと変わらない気持ちで、誰よりも親密。――でもそれはないって、経験上、知ってる。あんなに仲が良かった父さんと母さんも別れたんだ。同じ気持ちを抱き続ける方が難しいし、おかしいし、永遠を望む方が、無理」
「できるよ、永遠」
「できないよ。しかも俺は、だらしがないからな。絶対に瞬ちゃんを裏切る。前みたいに――平気で、残酷な気持ちで、瞬ちゃんの部屋で男に抱かれるんだ。瞬ちゃんに抱いてもらえばいい、って、何度も考えた。でも俺、瞬ちゃんとそうなるのは、怖い」
「……」
「瞬ちゃんは俺にとって正義で、太陽だ。瞬ちゃんに愛されたいくせに、俺なんか抱いちゃいけないと思う」
「……セックスを、後ろめたいものだと思ってる?」
「瞬ちゃんだってそうだろ。あんなに本能そのままの部分を、見せて絶望されるのが……怖い。瞬ちゃんは、光だからな」
「……じゃあ、一生しなくてもいいから」
「そういうわけにいかない。他の誰かを――瞬ちゃんは俺の代わりに、抱くの?」
永遠はか細くふるえていた。そのふるえに感化されてつい手を伸ばしかけたが、永遠は身を一歩引いた。抱きしめたくて、抱きしめられなかった。
「マイナスの方向にしか作用しないまま、気持ちに果てがない。だから瞬ちゃんと一緒にいると、そのまま死にたくなる。瞬ちゃんと永遠に一緒にいたいから。――だめだろ、それじゃ。瞬ちゃん、俺たちには先がない」
「……」
「――俺は強欲だから、生きたい。いまみたいに、死んだ風に生きるんじゃなくて、ちゃんと生きたい。瞬ちゃんにも生きてほしい。ちゃんと、まっとうに」
「だからイギリスへ?」
「そう、瞬ちゃんと離れるんだ。――でも絶対に忘れない。瞬ちゃんは?」
「未練だらけだろうよ、永遠を想って」
「良かった。おんなじ気持ちだ」
そう言って、永遠は笑った。今度こそふるえてはいなかったから、たまらず、抱きしめた。永遠はゆっくりと息を吐いて、瞬の腕の力任せになってくれた。
こうして愛する準備はできていたと思っていたのに、やっぱり怖かったのだと、永遠の体温で実感する。熱いのかつめたいのかわからなくて、鳥肌がたつ。
終わりが見えて、瞬は正直ほっとしていた。心の底から悲しかった。永遠のことを、はじめからずっと裏切っていた。
「――あめ」
「雨?」
「あがって、もうこれっきり、降らない、きっと」
瞬の予言のようなささやきに、永遠は首を傾げ、その傾げた頭を瞬に押し付ける。
長い梅雨は確かにその日、あけた。
End.
←前編
そもそも、はかなげに繊細な、見たものの心をひっかく美しさが、永遠(とわ)の現状をわるいものにしているにちがいなかった。
英国人を父に、日本人を母に持つハーフで、離婚して郷里に戻って来た母親と共に田舎に現れた永遠は、この近辺の子どもとは明らかに異質だった。艶のある、亜麻色の髪。白すぎる頬、茶色に透きとおる瞳は、どういった作用だか時折青めいて見えた。通った鼻筋、ふくふくと赤いくちびる。そして長い手足。同い年の少年だとは思えぬほど、子ども時代の永遠は、特別だった。西洋の宗教画からそのまま抜け出た天使だ。
英国人の血を引くなら、そのまま野獣のようにやたら巨大に成長してしまえばよかったのに、そこは小柄な日本人の母親の血を引いて、頑強には育たなかった。はかないまま、白いまま、美しいまま、永遠は育った。いつまでも少年期の線の細さで、もうお互いに二十七歳だ。
永遠の母親と瞬(しゅん)の母親が仲の良い幼馴染同士だったおかげで、瞬は彼女らの帰国後すぐ、永遠と引きあわされた。トワって言うの、仲良くしてやってね。永遠の母親の言葉を耳に、格好こそシャツにベストに短パンという姿だったから間違えなかったが、女みてえだ、と思った。はじめから、虜だった。このちいさくてかわいらしいものをどうして無体にできるだろう――守ってやりたい、そういう気持ちだった。
見た目が永遠のすべてを狂わせていた。厄介なものを惹きつける。性質悪いものを呼び寄せる。いじめられたり、からかわれたり、変質な教師にわるいことをされたりと、散々な少年時代を送る。そのたびに瞬の元へ泣きにやってきた。瞬は永遠と手をつないで、あるいは永遠を背負って、散歩してやる。
――ほら永遠、星が出てきた。
美しい瞳には、うつくしいものだけを見せてやりたかった。瞬と永遠が住むのはずいぶんと山の中にある田舎町だったので、そういったものは、そこらじゅうに溢れていた。
――そこのあじさいも、じきに咲くな。おれ、あの花すきだ。
――男で花が好きだなんて、変だよ、瞬ちゃん。
――変なんかないじゃろ、すきなもんはすきで、ええじゃん。そうだ、今度じいちゃんと虫取りに行くんだ。この間すげえキレイなカラスアゲハ見た。あれがほしい。永遠も行かんか?
――こわいから、行かない。
――じゃあ、永遠には、つかまえたカラスアゲハ、見せてやるな。
とにかく永遠を笑わせたくて、必死だった。手の中に感じる永遠の手のぬくもりを、一生離したくなかった。願っていれば、かなうのだと信じていた。
大人になるにつれて、永遠は自己防衛を覚え、変わった。人を誘う魅力に悩んでいた少年期とは打って変わり、それを武器に街へ出るようになった。いまの永遠にはおそらく、自然を怖がる繊細さもないだろう。
永遠は、毒を持つ蝶になった。街中の、色んな人間のやって来る大衆喫茶店で働きながら、必ず誰か――永遠は「パパ」や「ママ」と呼んだ――永遠の魅力のしもべを、持った。にこりと微笑み、あなたに興味があるな、とあまく深い声で囁き、メールアドレスを記したメモの一枚もティーカップの下にすべらせてやれば、今夜の宿は決まったようなものだった。誰でも良かった。高級住宅街に暮らすマダムにマンションの世話をさせていたり、冴えない中年サラリーマンに必要もないのに車を買わせていたり。評判は悪かったが、それさえも魅力とするのか、永遠は生き生きとしていた。
永遠が飽きれば、捨てた。向こうの都合で捨てられる時もあった。そのどちらかの理由で宿がない夜、永遠は必ず瞬の元へやって来た。「今夜泊めろよ」と、微笑しながら。瞬がまだ実家で暮らしていた少年時代は、瞬の自室へ。家を出た大学時代は寮でも構わず、働き出して街へ出てからは、一人暮らしのアパートへ。
もう何度目の雨だ。
永遠がやって来る夜は、たいてい雨が降っていた。毛先に雨粒をしたたらせ、消えそうな笑みを浮かべて瞬を頼りにしてやって来る。湿気でたちのぼる体のにおいや潤む瞳に、くらくらした。この雨の中をとうてい一人にさせられなくて、瞬は部屋へ招き入れてしまう。永遠のために風呂を沸かし、自分のベッドを与え、食事まで用意する。
雨がやめば、永遠はまた家を出て行く。だからずっと雨だったらいいなと思っていた。永遠が逃げられぬように部屋に鍵をかけて、ずっと永遠とふたりでいたかった。
今夜も雨が降っている。瞬が渡したタオルで髪を拭う永遠に、「今回は誰だ?」と訊いた。
「うーん、と、変態のじいさん。俺みたいな若い男囲うのが好きでさ、そういうのが、別宅に何人もいるの。めしがうまかったからいたけど、さすがに始終裸でいろってのはね」
「趣味わるいな」
「だろ?」
「おまえだよ、永遠」
「寒くて風邪ひきそう。風呂入るな」
瞬の不機嫌を悠々と笑い、永遠はバスルームへ行ってしまった。永遠の脱ぎ散らかした衣類を拾いながら、ちらりと見えた永遠の裸体を反芻し、自己嫌悪に陥る。
瞬の留守中に瞬の部屋に男を連れ込んで、抱かれている永遠を目撃したことがある。
瞬のベッドで、浅黒い肌をした男に組み敷かれ、喘いでいた。部屋の中扉が半分あけられていたのは、いまおもえば、わざとだった。ベッドの位置と体位のせいで、永遠を突き刺す男のぬめった怒張も、それを受け入れている永遠の柔軟な赤みも、いっぱいにひろげられた白い尻のゆがみも、男の腰に絡みつく長い手足も、全部見えた。没頭する二人はまた体位を変えて、永遠が上になった。扉越しに目が合い、あろうことか永遠は、微笑んで自身に手を伸ばした。――見ていて、とでも言うように。
音を立てぬよう静かに扉を閉め、急いで部屋を出た。唐突な呼び出しに応じてくれた、当時つきあっていた恋人を、乱暴に情熱的に抱いた。恋人の姿は何度も永遠とぶれ、執拗な愛撫を、永遠を振り払うように繰り返した。
いっそ抱いてしまえば? と本能が囁く。ほしいくせに、穢したいくせに、と。瞬は何度もかぶりを振って、深呼吸をする。永遠のことを、瞬だけはそういう目で見たくなかった。
もし永遠がうつくしくなんかなければ、とは、いつも思う。永遠があの顔でなければ、体でなければ。瞬はなにも迷うことなく、永遠を魂から愛せたのに。
風呂からあがった永遠は、瞬のベッドへ髪も拭かずにダイブすると、しばらくじたばたと身体を揺すった後に「瞬ちゃんのにおいがする」と言った。
そうして戸惑っている瞬を見上げて笑う。
「俺、このにおいが一番安心する」
それは子どもの頃、いじめられ瞬の元へやって来て、泣き止んだ後の、屈託ない笑みと全く同じであり、瞬の心をしめつける。大事にしてやりたい気持ちで、心の中がいっぱいになる。
「瞬ちゃん、一緒に寝てよ」
「狭いから嫌だ。絶対におれが落ちるから」
「いいじゃん、瞬ちゃん体温高いから、あったけえんだもん。腕枕して」
「痺れるから嫌だね」
「いいじゃん、瞬ちゃん」
「ああ」
とうめくように呟いて、瞬は一瞬だけ目を閉じた。
「そっち、詰めろよ」
そう言って、瞬も隣へ潜りこむ。明日の天気予報は確か曇りで、と夕方チェックした気象情報を思い出す。雨がやまなければいいのに。
→ 後編
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暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。
2021*12*04-2022*03*17
お久しぶりです。短編長編更新。
短編「さきごろのはる」
短編「月の椅子」
短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」
2021*08*16-08*19
甘いお菓子のある短編「最善最愛チョコレート」更新。
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