[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
梅雨の終わりは、ドラマチックな空模様だった。厚い雲が湧き、大気を暗くしたかと思えば、不意に差し込む光で虹が出たりする。理科の実験で見た、プリズムから発生させた七色よりもずっと大気に現れるそれは薄くて、しかしダイナミックだ。この時期がいちばん好きだ、と七嶋は思う。嵐の時期、雨期、爽やかな晴天よりも少し薄暗い方へ、心惹かれてしまう。
第一校舎と第二校舎とは別棟の三階に、美術室がある。窓からは田舎町ののんびりとした空がよく見えた。情熱的な大気の流れを、七嶋は眺めていた。今日は雲の流れが早く、切れ切れに光が差し、また雨が降る、の繰り返し。
七嶋の後方で鉛筆を握って石膏デッサンをしている清己に、声をかけた。
「――晴れているのに、雨が降っている」
「あ?」
清己が気だるく振り向く。真っ黒な髪、真っ黒なフレームの眼鏡の奥の、真っ暗な瞳。それに胸が高鳴る。清己は七嶋の目線を見て、窓の外を見て、「ああ、変な天気だよな、今日は」と頷いた。
「いい加減、そっちのカーテン閉めていいか? 西日で影が狂って仕方ねえや」
「いや、もうちょっと。……どっちだと思う?」
「なにが」
「晴れているのに、雨が降っている。雨が降っているのに、晴れている」
「どっちも同じだろ」
「そうかな」
「地面に雨が届くころには空にある雨雲が消滅している、って話だろ」
「あれ、雨粒が風に舞って出来る現象だと思っていたよ、ぼくは」
「どっちも結局、天気雨、なんだろ」
だから一緒、と雑に結んで清己は立ちあがる。すたすたと歩いて窓際までゆき、カーテンを閉めるかと思いきや、そこで立ち止まった。
空を眺めている、後ろ姿。ぴくりと七嶋の人差し指がかすかに反応した。雨も、太陽も、風も、贅沢にこの世の最上をすべて詰め込んだ空を眺めている清己は、まるで世界の創造主かのように、七嶋の心を占める。崇拝、そんな言葉がしっくりくるような。
「どっちだと思う?」とその後ろ姿に繰り返し問いかけると、清己は腕組みをして首を傾げた。
そして振り向いたときには、七嶋を虜にする笑みを、顔に浮かべているのだ。
「雨が降っているのに、晴れている」
「意外だな、清己は逆だと思った」
「おまえはどっちだ、七嶋」
「ぼくは――」
清己と過ごすいまが永遠に続くなら、雨が降っていても晴れている。一年後のぼくらはまた同じ雨期をこの美術室で迎えているだろうか? 三年後は、十年後は、その先は。
「晴れているのに、雨が降っている」
「そっちこそ意外だけどな」
「低気圧の方が好きだ、」
「ああ、言われれば確かにおまえらしい」
たとえば、誰にとっても美しい存在であるはずの清己の、他人に対して残酷で、だからこそ黒縁の眼鏡をかけて世界を誤魔化しているその立ち向かい方に惹かれていることも。
太陽よりは雨、白よりはグレイ、春秋ののどかさよりもよりけわしい夏冬、そういう、一歩下がった闇に、心が動く。
◇
清己にばかり気を取られていた時には、自分自身のことなど考えもしなかった。最近になってどうやら自分は引き寄せてしまうのだろう、ということに気付いた。よいかわるいかは、分からない。少なくとも七嶋にとって利益がない。
愉しい、とは思うけれど。
生徒の目。同僚の目。保護者の目。不思議なほど、自分に向けられた目がどのような意図を持っているのかが分かる。そしてそれらは、嫌悪や侮蔑ではなく、好奇で向けられていることが、多い。分かってしまえば糸にかかった蝶のように、捉えるのはたやすかった。
今日だって、男を抱いた。いま隣で、無防備に裸を晒して眠っている。抱いてほしそうな目をしたから、そうしてやった。男とはじめて会ったのは一週間前の、文化祭の場だった。七嶋が面倒を見る生物部の、他校との交流が目的の合同発表会で、男はもう一方の生物部の顧問だった。それまでは電話でやり取りをしていたが、文化祭の発表の場ではじめて顔を合わせた。初対面で男が見せた目の色を七嶋はくまなく正確に読み取り、いまこうなっている。
起きあがり、台所へ向かう。コップに水を汲んで一杯飲んだ。水切りかごに伏せたままの茶碗や皿、ナイフなどの食器や調理器具を見て、ふと思う。たとえばこの刃物をつかって男を切りつけてみたら、男は七嶋と寝たことを後悔するだろうか、と。
別に殺したいと思っているわけではない。生徒にあらぬ噂を立てられたこともあるが、実際は、そんな猟奇的な趣味などない。こうやってすぐ人を(男を)寄せてしまう自分が変わるだろうか? と思っただけだ。いつだって七嶋の心を占めているのは、高校生時代の清己、ただひとりしかいないと言うのに、こんな無駄な時間を費やして。
もう清己には、会えないのだろうか。そう思うと、心臓が冷えて、頭の中に乳白色の靄がかかるようだ。すべて無駄な時間、無駄な労力。生きている価値さえ危ぶむほどに。
す、と息を吐いて、男が目を覚ます気配があった。
「――佐藤先生、」
呼ぶと、男は「ああ」と低く唸った。
「すいません七嶋先生、寝てしまって」
「今夜は泊まって行ってください。雨が、ひどいですから」
「いえ……このぐらいの雨なら、大丈夫です。というかこのぐらいの雨のうちに帰らないと、嫁も息子も待っていますし」
「仲良くなった他校の先生と飲んでくる、って言って出てきたんじゃないんですか」
意地悪をするつもりではないのだが、口では帰りたがる男を、本当はまだ抱かれ足りないと惜しんでいる男を分かっていて、七嶋はそう言った。
男は苦笑してみせる。
「……七嶋先生は、おいくつだと言いましたっけ」
「今年で三十歳になりますね」
「いつまで続けますか、こういうこと」
唐突に、真面目な顔で男が言った。七嶋は苦笑しつつ、男の急激な親密さに寒気を覚えていた。たかだか一度寝たぐらいで、相手の将来まで心配出来るのか。家庭を持ちながら道を外している男に、言われたくはなかった。
「さあ、分かりません」
「じゃあ、これきりにしてください」
「どうしてですか」なぜおまえが決める、という意味は表へ出さずに訊ねた。
「別に僕を最後の男にしてくださいとか、そういう意味じゃありません。ただ興味があったから、だけですから、僕は。その……」
男はなにか言いためらったが、息を吐きだした。
「あなたの中がからっぽすぎて、少しこわいと思いました」
「……からっぽ?」
「人は、影のあるものに惹かれる性質なのかもしれません。あなたにもそう感じた。でも、あまりに光がなさすぎて、怖い。このままゆけば、犯罪者と変わりなくなる。少し、ご自分を大切になさった方がいい」
「……」
「妻子裏切ってこんなことをしている僕が言うのも、間違っていますけれどもね」
水をください、と言われて、七嶋はいまつかっていたコップをゆすいであたらしい水を汲んだ。それを男に渡してやると、ごくごくと飲んだ。気持ち良い飲みっぷりだった。
外は雨がうるさい。梅雨で、台風も北上していると聞いた。男は簡単にシャワーを浴び終えて、瞬く間に出て行った。過去にくらべる誰よりもさっぱりと清々しく、いなくなった。
それを見て、男の言うとおりに最後にするつもりになった。もういい。やめよう。人を引き寄せておいて、それをいたずらに引っかきまわすことは、終わりにしよう。
「――だってずっと雨だ」
窓の外を見つめて、七嶋は呟く。雨の日のひとり言は、雨音に消されるからなんでも喋れる気がした。
「晴れ間さえない」
清己が恋しい。会わないでもう十三年も経つのに、未だに。ずっと、おそらく一生。
◇
「七嶋」と呼ばれて、起きた。
目をあけると、清己が微笑んでいた。光って見える、と呆けていたが、実際には弱くも黄色い陽の光が窓の外に満ちていたからだと、清己の背の向こうに見える景色でぼんやりと理解した。
ざあっと風が唸り、きらきらと輝くものが窓ガラスに叩きつけられる。そういえば七嶋が眠りに落ちる前の空は灰色で、しとしとと雨が降っていた。強い風にあおられ雲が動き、残った雨粒が陽に光っているのだ。
晴れているのに、雨が降っている。雨が降っているのに、晴れている。
「どっち?」と訊くと、清己は七嶋を覗き込みながら首を傾げた。
「外。雨? 晴れ?」
「ああ。これで晴れるんじゃないか?」
「晴れるのか」
「どうしたんだよ」
清己は笑った。七嶋は胸が痞えて苦しくなる。腕を伸ばし清己を引き倒すと、清己は「おお」と驚きながらもされるままになった。
ふたりしてもつれ寝転んだままで、窓の外に時折叩きつけられる雨粒の音を聞く。床に落ちているのは、金色の光。
清己にくちづけようとすると、少々抵抗された。
「――俺、そういうつもりで起こしたんじゃ、ないけど」
「どういうつもりだった?」
「外、陽が射してきたから、めし食いに行こうぜっていうつもり」
「まだ雨が降っているよ」
「あ、なんかこういう会話、前にもしたか?」
清己が高校のころの思い出を、断片を手繰る。そうして、「思い出した」と言った。「晴れているか雨かどっちか、って話だ」
「少しちがうと思うよ」
「ちがわないさ。おまえ、いまどっちだと思う?」
「晴れているのに雨が降っているか、雨が降っているのに晴れているか?」
「そう」
答えは、考えずとも決まっていた。それでも悩むふりをする。
「俺は、どっちでもいい」と清己が言う。
「高校の頃は雨なのに晴れている、って言ったよ」
「あの時もいまも変わらない。どっちでもいい。だってさ、大気がこういう色をしている時は、大概、虹が出るだろう」
「虹……」
「雨なのに晴れていても、晴れなのに雨でも、虹が出る、――ほら」
それは予言だったかのように、窓の外にくっきりと虹が現れていた。七嶋は目を細める。この、七嶋にとって神がって美しい男に、またあえて本当に良かった。
出かけたくない、と七嶋は言った。
「セックスがしたい」
「唐突だな」
「欲望なんてそんなもんだろう」
体勢を入れ替え、改めて清己を組み敷くと、清己はとろりと融けるように笑った。
「いいよ。――すきにしろ」
虹の下でするセックスはどんな気分だろうか。そう思いながら、雨期の終わりを味わうように、清己に深くくちづけた。
End.
関連:「+18」
ちょっと変わったことしようか、と三ツ井が提案した。汗をぬぐうために用意しておいた手ぬぐいを目元と両腕に巻いて、かるく拘束された。ゆるく巻いてくれたから、痛いわけじゃない。ちょっとただれたお遊びで、すぐ外れそうな目かくしや手かせはもどかしく、身体の火を燃え上がらせるのに充分だった。
次に三ツ井がなにをするのか、まったく分からない。姿が見えなくて不安。自分から手を伸ばそうにも両腕は窮屈で、三ツ井の好きにされるしかない。散々焦らされてようやく三ツ井のものが入り込んだ時、目元は涙と汗とでぐしゃぐしゃだった。
「――あっ、いやっ、いやだっ……三ツ井っ……」
「なにがいや? こんなになってるよ……」
三ツ井の手で、欲望をぴんと弾かれる。いきなりの刺激に有宏はがくがくとふるえた。
「みえ……見えないの、も、やだあ……」
口の中にたまった唾液が邪魔して、呂律もちゃんとまわらない。
「手も……はずして……」
「……もっと言って。このまんまで気持ちいいだろ? どうして外してほしいんだ?」
「……あっ、ああ、いやっ、」
ぐるりと三ツ井が中をかき混ぜて、有宏は身体を引き攣らせる。先程からずっと三ツ井に触りたくて触れていないから、あの逞しく広い背中に、早くしがみついて安心したかった。
「みっ、三ツ井っ」
「言え、有宏、」
ぱん、と音だけは鋭く臀部を叩かれ、痛みよりはその音にびっくりして、中を収縮させる。
「も、はずして……三ツ井に触りたい……」
「お願い、は?」三ツ井の声が上擦る。
「おねがい……」
そう口にすると、生温かくやわらかいものに口を塞がれた。三ツ井の舌がねっとりと絡みつく。夢中で吸っていると、三ツ井は目かくしを外してくれた。それから腕の拘束も解く。
ようやく近くで目が合うと、ひどく安堵した。
「よいせ」
と言いながら、三ツ井は有宏を抱え直す。座した三ツ井に下から貫かれる格好で、深くつながったことに背をのけぞらせながらも、自由になった両手で、必死にしがみつく。
獰猛な愛撫はぴたりとやんで、ゆらゆらあやすように、三ツ井は身体を左右に振る。
「悪い、泣かせちゃったな」
しがみつく有宏の目元にキスを落としながら、三ツ井は呟く。
「何日も何週間も何ヶ月も前からさ、考えてるわけ。今度会ったら、どんなセックスしようかなって。一日だけだから、あーやってよかったーみたいに思えるやつを、ってさ」
「……考えすぎだよ……」
「考えるよ、そりゃ。楽しみなんだぜ、おれはさ。有宏とセックス出来るの」
「……」
「もうちょっとこのまんまでいさして」
ちゅ、と音を立てて額にキスをされる。口をあけて舌を覗かせたら、ちゃんと塞いでくれた。キスなんか三ツ井としかしたことがないので技巧豊かとはいかないけれど、有宏はこれが好きだ。
大学の頃は、セックスを覚えて、どんどん淫らに浅ましくなる自分を心底嫌っていた。自分のことが好きになれないから、三ツ井には嫌われそうで怖かった。いまは心地よいと思っている。素直に肯定できる。そんな自分だったら、三ツ井はまた好いてくれるだろうか、と思う。
また恋をしてくれるだろうかと、思う。
寝床に転がったまま、ふと、三ツ井は「なんか聞こえる」と言った。
「笛? 太鼓? 演歌??」
「ああ……お囃子、」
「お囃子……」
「毎年来てるのに、気づかないもんなんだな。七夕まつりがあるんだ。今年から地区の集会所の場所が変わったから、お囃子の音も近くなった」
「へえ。踊ったりすんの?」
「踊り連、出るよ。夜通し踊るんだ。出店もあるし、一年で一番賑やか」
「そうか……」
呟いて、三ツ井は黙る。
午前中からはじめた長いセックスは、午後、夕方になって終息した。隣近所が近い都会だったら声が漏れていたんじゃないだろうかと思うぐらいの、激しい行為だった。今日が祭りで良かった。みな準備でせわしく、わざわざやって来た三ツ井のことも、観光客のひとりぐらいで気にも留めないだろう。
行為が終わったから、今日のうちに、三ツ井は帰るはずだ。
毎年、例外を見たことがない。会って、世間話をして、セックスをして、おしまい。泊まっていきたい、と駄々をこねることもなかった。その日のうちに撤収するのがルールだと思っているのか、跡形もなく綺麗に消えてゆく。
だから翌日は、昨日本当に三ツ井がここへ来ていたのかな、と思うぐらいだ。約束の始まった最初の六年間は家に母親がいるという理由で街中のラブホテルで会っていたから、急な宿泊だと困ったものだが、いまその枷はない。泊まっていけよ、と自由に言える。けれど有宏は言えない。三ツ井も言わない。
三ツ井は起き上がった。シャワーを浴びて帰宅かな、と考えると、胸がきゅうっと痛んだ。だが予想に反して、三ツ井は「行きてえな」と言う。
「祭り、見に行かない?」
「……」
「ま、シャワー浴びてる間に、ちょっと考えといてよ。借りるな」
そう言ってすたすたと部屋を出てゆく。その背中に慌てて声をかけた。
「――い、行く」
「――そうか」
満足そうに笑って、三ツ井は浴室へと消えて行った。
祭りの日は、道路が閉鎖される。町中のあちこちに出店が出て、各地区から出発した踊り連は町の中心部で合流する。合わせて笛や太鼓が鳴らされ、ヨイヤーヨイヤーと掛け声がかかり、夜になれば灯篭がともる。その中を三ツ井と歩くのは、不思議な感じがした。こうして二人並んで歩くのは、大学以来だと言うのだから。
普段は見ぬ人混み、この祭りに合わせて若い人間も帰省するから、普段の町よりずっと威勢がいい。子どもも多い。後ろから駆けてきた子どもは前を見ておらず、三ツ井の足もとに思い切り直撃して、また駆けていった。小さくても踊り連と同じ衣装を着ていた。
「元気いいな」と三ツ井は呟く。楽しそうでほっとする。
綿菓子、焼きそば、お面にくじ引きに飴の量り売り。三ツ井は屋台を見かけるとすぐ欲しがり、片端から買ってどうするんだ、と有宏は笑った。ラムネを二本買い、飲みながら歩いた。途中、三ツ井が射的を試す。三発目で当たったのはビニール製の着せ替え人形で、どうしてよりにもよってそんなものを狙ったんだと、また二人して笑った。
時計を見ると、夜の七時だった。祭りはこれからだが、道のりを考えるならば、三ツ井はもう帰らねばならないだろう。どういう予定で来ているんだろう。怖くて、なかなか聞けない。
楽しくて、淋しい、という感情を久々に味わっていた。大学時代に有宏を苦しめたせつなさ。しかしいまは、それを苦しいとは思わなかった。三ツ井とだったら大丈夫なんじゃないか、という前向きな気持ちが湧く。
帰らないで。その一言が、言えない。もどかしいまま、いつの間にか周囲の人はまばらになっていた。踊りの中心部から外れたのだ。
まだ商店街の一角ではある。端っこの無料休憩スペースには笹があり、七夕飾りがつくられていた。風に飛ばぬようガラスのペーパーウェイトでおもしをして、短冊の箱も置いてある。自由に書いていってよい、という趣旨だった。
「人の願い事って、見ちゃうよな。悪趣味だけど」と三ツ井は言った先から笹を覗く。
「絵馬とか、見ちゃう」
「でも、見られない願い事なんかないってみんな、承知してるんだろう」
「まあな。……お、受験受かりますように、だって」
有宏も隣に立って一緒に覗いた。おばあちゃんが元気でいますように。世界平和。病気が治りますように。好きな人とずーっと一緒にいられますように。
短冊を読み上げた三ツ井は、こちらを見ないまま「もうやめようか」と言った。
「――やめる、って」
「いまの関係」
無理だろ、もう。三ツ井はそう言った。
「耐え切れないよ」
「――……」
「ずっと続けられるか? と考えたら、負担だと感じた。……有宏、おれな、この間まで恋人がいた」
三ツ井の告白に、ずきっと胸が痛んだ。それは、どういうことだ? 三ツ井の顔を見ると、三ツ井もまた有宏を見た。ひどい顔色だった。
「去年の九月から付き合いはじめて、続いたら、今年は来るつもりなんかなかったさ。でも結局別れた。――有宏に会いたかったから、別れた」
「……」
「おれがおまえを裏切ったって、ひどいと思うか? でも当然のことだと思うよ。もう大学生の頃のピュアな気持ちも飛んだ。好きなやつがいて、そいつもおれのこと好きなのに、年に一度しか会いに行けないって、我ながらばかな制約を設けたよな。――淋しくて、手近にいい人がいたら、流れるのも当然だ。ちゃんと愛せたら、おまえとは縁を切るつもりでいて、」
ふう、とため息をつき、出来なかったよ、と三ツ井は言った。三ツ井の深い悲しみが、苦しみが、有宏の足もとを這いのぼってくる。じわじわと心臓まで浸食されて、呼吸がうまく出来ない。
「……僕といまの関係が終わったら、その人のところに、戻る?」
「かもしれない。そうじゃないかもしれない。分からないけど、……おれはずいぶんと、楽になると思うよ」
「嫌だ」
力んだ拍子に、手に触れていた笹をちぎってしまった。それをぐっと握りこむ。
「三ツ井と会えなくなる?」
「……終わらせる、って、そういうことだろ、」
「嫌だ。嫌だいやだ……僕はようやく、自分を肯定できるようになってきたのに……」
これは、罰だろうか。恋を拒んだ自分への、天罰。三ツ井のやさしさに甘えきった罰。
「自分を好きになったら、……きみから好かれることも、いいと思えるようになったのに」
「有宏、」
ぐっと三ツ井の身体が近付き、顔を覗きこまれた。「それ、本当?」
「おれとちゃんと真正面から向き合った恋愛、する気、ある?」
「……」
「ちゃんと言わなきゃ、分かんないよ。言って、有宏」
「……」
「言え!」
三ツ井の目が、見たことのない色をしている。不安? 悲しみ? 期待? 分からないけれど複雑で、見惚れる揺らぎをする。
手には思い切り力が入っていた。それを三ツ井の指で、上からやさしく包まれる。
「三ツ井とまた、恋がしたい」
「……うん、」
「ちゃんと恋がしたいよ……」
まず、話がしたい。会わないでいた三百六十四日をどう過ごしていたのか、聞きたい。体温を感じる距離がいい。キスをいつまでも何度でもしたい。セックスをしたら、夜明けを一緒に迎えてみたい。
いままで拒んできた様々な欲求が、次々と溢れる。言葉にできるものも、できないものも、ごちゃまぜに口をぱくぱくと喘がせていたら、三ツ井に強く抱きしめられた。
商店街のはずれとはいえ、人なかだった。それもいまは構わない。
「……今夜、泊まって行ってもいい?」
泣きそうになりながら頷く。
「一年に一度じゃなくて、何度も会いに来ていい?」
また頷く。強く、三ツ井にしっかりと伝わるように。
「……そっか」
遠くでエイヤーエイヤーと、ぴーひゃららと、音がする。有宏が好きだよ、と言った三ツ井の、心臓の音も聞こえた。
End.
←前編
七月三十一日が迫ると、胸が高鳴る。一週間も前からそわそわして落ち着かなくなる。まだ今日は二十九日、明日が三十日で、と、指折って数える。表現でなく。
今年も鳴るだろうか? と家の固定電話を見つめる日々。有宏は携帯電話を持たぬ主義だから、三ツ井から自分への連絡手段はこれに限られる。住所は教えていないし、メールアドレスも作っていない。徹底的に俗世間から離れたくてこうしたのだが、世間一般はこういう時いくつも通信手段があって、こんな祈るような気持ちにはならないんだろうな、と想像する。
電話は、七月三十一日の正午と決まっている。それよりも少し遅れる場合はあったが、早まったことはなかった。遅いと、今年こそだめか、と絶望する。心臓が痛くてたまらない。
今年の七月三十一日は平日だった。あの頃のまま勤めを辞めていなければ、あるいは変えていなければ、商社のサラリーマン、三ツ井は昼休憩に入るかどうかという頃だろう。固定電話の前でうろうろしていると、やがて、ラジオから正午の時報が届いた。少しして電話が鳴り、飛びつくように応答した。
「――は、はい、有宏です」
『今時、電話の相手が名乗らないのに自分から名乗るのは、不用心だよ』
聞こえた先から身体がじんと痺れ、融けそうだった。三ツ井の声など普段は思い出そうとも思い出せないのに(だって年に一度のことだから)、身体は覚えている、と実感するのはこの時だ。優しくて耳に心地よい、三ツ井の低音。
『それともおれからだから?』
「……」
『冗談。からかっただけ。……ご無沙汰しています、三ツ井です』
と、丁寧に三ツ井は仕切り直した。はい、ご無沙汰しています、と有宏までなぜか敬語をつかってしまう。
『――今年も、行っていいか?』
「……うん」
待ってる、と言いたかったが、有宏からはそんなこと言えなかった。
毎年八月七日の一日だけ、三ツ井は有宏の元へやって来る。過疎化の進む超のつく田舎の、この町へ。バスの路線はほとんどないので、車を運転してやって来る。毎年車種は違う。わ、がナンバーにつくのはレンタカーだからだと、三ツ井に教えられるまで知らなかった。
八月七日という日取りは、祭りの初日でもあった。この辺りでは旧暦に合わせた七夕まつりを、八月に行う。日は祝祭日に合わせず、七月七日の一ヶ月遅れである八月七日と決まっている。高齢化が進む町だが、地域の無形民俗文化財がどうとかいう理由で、規模をなんとか保ち必ず開催される。
この町で生まれ育っている有宏は、子どもの頃から、この祭りが楽しみだった。この日だけはどんなわがままも許されたからだ。あれ買って、これが食べたい。つかれた、おんぶして。まだ両親も祖父母も健在の頃だった。日頃忙しいという理由でろくに構ってもらえなかった有宏は、普段から大人しく、優等生でいた。この日だけは自分のことを見てくれる、という日の存在は、有宏の中で大きかった。夏休み、屋台からしょうゆの焦げたにおい、お囃子の音、夕方になれば灯る灯篭。夜通し踊り狂う踊り連。祭りの記憶は、どれもこれも懐かしく大切だった。
だから大人になっても、八月七日だけは特別な日。この日三ツ井は、有宏を抱いてくれる。一年に一度、有宏が望んだからこそのペースと機会だ。こんなことをもう九年も続けていて、有宏にも訳が分からなくなっている。自分はどうしてそれを望んだかな、と思う。遠く若く青かった自分の思考を、無茶を、恨めしく思う。
毎日毎朝、あるいは毎晩、あるいはふと思い立つ瞬間、三ツ井が傍にいてくれたらいいのに、とずっと思っている。
そのたびに「自分で決めたことだから」と言い聞かせてきたが、いまやもう、限界が近い。会いたい、という気持ちだけが純粋化して、そればかり考えている。三ツ井はどうだろう。こんな生活、もう飽き飽きしているんじゃないか。こんなばかげた約束を――三ツ井の誠実を疑い、そのたびに自己嫌悪に陥る。
今年も来てくれると言ってくれて良かった、と電話を終えて、安堵する。
会った時……絶望されたりなんかしないか、少し、不安。
八月六日のうちから忙しい。町の中心部までわざわざ出て、遠くてあまりつかわない大型スーパーで買い出しをしておく。日用品から生鮮まで、もし明日三ツ井が来てなにか要望を口にしても(たとえば腹が減ったとかトイレットペーパーが切れてる、とか)、一歩も外へ出なくてもなにも困らぬように。布団は陽に当てておく。家じゅうの掃除をし、洗濯もする。汗だくになりながら、そんなことで、ほぼ一日終わる。
翌日は、朝のうちにシャワーを浴びる。と、庭に車が入ってくる音がした。続いて引き戸をあける音と、「こんにちは」の威勢良い声。髪もろくに拭わず、慌てて着替え、玄関へ飛び出す。
長身でがっしりとした体躯の三ツ井が、穏やかに微笑んで立っていた。去年より髪は短く刈られ、体格の良さから、Tシャツとジーンズがこんなにも似合う。濡れ髪の有宏を見て、三ツ井は「なんだ、風呂入ってたのか」と言う。
「朝風呂。豪華でいいな」
「三ツ井、外は暑かっただろう」
「車内はクーラーかけてきたから平気。こっち来たらさすが田舎で、涼しいしさ。……でもやっぱりちょっと、暑いな」
「あがってくれ」
三ツ井を居間へ促す。縁側を開け放っているから、家の中で(北向きの納戸を除けば)いちばん涼しい風が通る。三ツ井は「土産」と言って途中のSAで買い求めたらしい包みを寄越した。中にはパック詰めのあんみつとわらび餅が入っていた。
「夏には、いいだろ」
「ぴったりだ」
すぐ冷蔵庫へ入れる。三ツ井は「あーつかれた」と言ってその場に寝転がる。ここまで高速道路をつかって二時間半かかる道のりだ。無理はない。
寝転んだ三ツ井に「なにか飲む?」と訊くと、三ツ井はじっと有宏を見上げた。
「……」
「……なに、」
「疲れたから、膝枕して」
とんでもないことを言う。早く、と促され、戸惑いながらも座った。正座を崩したような格好になると、三ツ井は身体をずらし、太腿に頭を預けてくる。
チノパン越しに、三ツ井の耳が当たる。じわじわと熱くなる。
「あー、気持ちいいー……」
そう言って三ツ井は目を閉じる。風が通り、金製の風鈴がちりりと音を鳴らす。
有宏は、三ツ井の横顔をじっと見下ろした。短髪、額からくっと切れ込んで、そのままくっきりと流れる鼻筋。やや厚みあるくちびる。顎から首、肩へと、眺めおろしてゆく。髪を撫でたいと思ったが、有宏の手はじんと痺れて動かない。
その代わりに、「しないの?」と訊いた。三ツ井の目がそっと開く。
「――早くしたい?」ごろりと寝返りを打ちながら、三ツ井が訊く。上を向いた三ツ井と目が合い、とっさに視線を外した。
「おれと、したい?」
「……」
「ごめん、冗談。最近さあ、どうもしつこくなる癖が出てきてさ。これも親父化してるってこと?」
「まだそんな歳でもないよ」
「いや三十歳超えちゃったら焦りますって。有宏はない? そういうこと」
「僕は……よく分からないな」
一人暮らしで、自分のことにはとことん関心が薄い。三ツ井の手が有宏の額に伸びた。撫でられる。
「髪、もう乾いた」
「……」
「……無駄口言ってないで、早く布団、行こうか」
待ちきれない、と三ツ井は笑った。待ちきれないでいるのは有宏の方だ。
三ツ井とは大学時代に、付き合っていた。たった三ヶ月だけ。別れを申し出たのは、有宏からだった。
大学四年、就職だ卒業だと言っている時期だった。短期間で「別れたい」という有宏に、三ツ井は「なぜ?」と問うた。
「どうした? なにか、あった?」
「なにもない……別れてくれ、頼む」
「なぜ? おれたちうまくやっていたよな? おれのこと、急に嫌いになったわけじゃないだろう?」
「――耐え切れない」
そう口からこぼすと、涙がすっと一筋頬を伝った。三ツ井は驚いた風に、ぎくりと動きを止めた。
「不安が……いくつも沸いて出てくる」
「……言ってみな。全部、聞くから」
「……母さんに言えない。大学でつきあっていたのが男だなんて、男が好きだなんて……僕の故郷は田舎だから、ばれたら、すぐに広まる。偏見の目で、」
有宏の祖父母は、その頃には亡くなっていた。父も急な事故で早死にし、残っているのは田舎の大きな家と畑と母ひとり。兄弟はいない。卒業したら、否が応でも田舎へ帰らねばならなかった。
うん、と三ツ井は頷いた。眉根がきゅっと寄っている。
「……それから?」
「人を好きになることがこんなにつらいことだと思わなかった」
奥手な有宏にとって、はじめて本気で人を好きになって、付き合ったのが三ツ井だった。恋を喜びだとは思えなかった。たとえば三ツ井が誰かと話しているだけで、置いて行かれたような気になって、ものすごく淋しくなる。嫉妬もする。僕だけを見てほしいと思うのは、子ども時代に厳しくされた反動だろうか? 三ツ井とふたりでいても、常に不安が付きまとう。この人は本当に自分を好いてくれるのか、自分に自信がなくて。
携帯電話を、四六時中気にしてしまう。三ツ井からメールは来ないか、着信はないか。ふたりでいる時、三ツ井が携帯電話を構うことさえ許せない。いっそこの二つ折りの携帯電話をぱっきりと反対側へ折って、海へ投げ捨てたいような気にさえなる。
慣れない就職活動の疲れと、卒業論文へのストレスもあって、有宏はひどく弱っていた。恋人の存在は、強い味方にはならない。ひとりになりたかった。
有宏の言葉をひとつひとつ真剣に聞いて、三ツ井はため息をついた。
「――そうだよな、有宏はいつも、おれに緊張してるもんな」
三ツ井の手がそっと頬に伸びる。涙を拭おうとする手に、びくりと身体がこわばった。三ツ井も手の動きを止める。
手は、そのままコートのポケットに収まった。強引に触れてこない手に、自分から拒絶しておいて、失望する。
「じゃあ、こうしよう。年に一回だけ、おれが有宏に会いに行く。それなら許してくれる?」
三ツ井の提案に、有宏は目を瞬かせた。
「有弘は田舎に帰るんだろ? おれは就職先がこっちだし、ちょうどよく、離れちまう。だから、年に一回だけ、恋人になりに行くよ。他はなんにもしない。メールも、電話も、手紙も送らない。普段はおれのこと忘れて過ごして。それで年に一回だけ、思い出して」
「……」
「おれのこと、遠ざけるほど嫌いになったわけじゃないだろう?」
「好き。……だから、苦しい」
「うん、有宏はそれでいいよ」
優しく三ツ井は頷いたが、ずいぶんといびつで不器用なやり方だと思った。無理があるのは、はじめから分かっていた。それでも一年に一度だけの恋しか、自分には出来ないのだと思った。
もっと器用だったら良かった。そうしたら三ツ井と素直な恋人同士でいられたのに。
会うならいつがいい? と言われて、八月七日を選んだ。特別な日に、特別な恋をしたかった。
田舎に戻って六年目に、母も亡くなった。晴れてひとりぼっちになって、有宏は携帯電話も捨てた。
歳を重ねるごとに、重圧がひとつふたつとなくなっていく。いまどうしてこんな歪んだ関係を続けているのかなと、不思議に思う。
→後編
たまたま休日が合ったので揃って家を出た。「無口上手」と謳うだけあってお喋りな透馬だが、今日は無言だった。瑛佑も気を遣って喋ることをしない。静かなまま、駅まで歩いて、電車に乗った。空は雨が降りそうで降らない、薄曇り。陽がうっすらと差し、白い光を昼間の街にあてている。
カード型の電子マネーは便利でいい。改札を潜ってからでも、行先が決められる。乗り換えも自由だ。ひとまずあらゆる方面への接続があるターミナル駅の、S駅を目指す。週末の昼間、どこのホームにも人が溢れかえっていた。
「予報じゃ雨降るって言ってたのに」とぽつり、透馬がこぼした。「こんな日でも、みんな出かけるんすね」
「休みだからな」
「休みの日ぐらい家にいればいいのに」
「いまは雨が降っていないし」
「今日、本当に降るのかな」
と、ホームからは見えにくい空を見上げる。今日の透馬は元気がない。
恋人は昨夜、少しだけ泣いた。
真城綾から電話があったらしいのだ。詳細は知らない。瑛佑は仕事に出ていたし、透馬だってそれは同じだった。ただ、帰宅したらひどい顔の透馬がいた。先に帰宅をして夕飯の準備をしてくれていたようだったが、途中で電話が鳴り、だからまだ食事の支度が出来ていない、と。
真城綾の第一声は、元気か、だったという。伯父さんは低気圧に弱いから、梅雨時はてきめんにダメなんです、と前に話していたのを聞いたことがある。気まぐれに電話を寄越した理由は甥への気遣いか、懐かしくなったか、淋しくなったか。思い出しただけにしろなんにしろ、真城綾への恋心を吹っ切ったかどうか、透馬は伯父の話を聞くとひどく敏感になる。長く苦しい片想いだったのだから、時間がかかって当然だ。こちらとしては、勘弁してほしい、というのが正直なところ。透馬が不安定になることは、あまり喜ばしくない。
つらいか、と訊くと、透馬は自嘲気味に笑い、首を横に振り、「むかつく」と言った。
「突然電話とか、まじやめろよ、って感じ」
「……」
「『元気か?』って、元気だっつうの。別にもう、なんとも思っちゃいないし。瑛佑さんいるし、おれはここだし。全然、いいすけどね」
強がって、口調が乱暴になっている。「夕飯、ちゃっちゃと作っちゃいますから」と言う腕を引っ張って、身体を腕で包み込んだ。
「――いいから」
「……」
「強がるな、透馬」
そう言うと、透馬の身体に入っていた力が抜けた。と思いきや、渾身で胸をどんと叩かれた。「すげ、むかつく……」と真城綾の気まぐれへの怒りと、悲しみを、瑛佑にぶつけた。それでいい、と瑛佑は思う。透馬はもっともっと、感情をあらわにするべきだ。瑛佑に対してだけでいいから。
その肩がふるえだし、瑛佑は髪を梳いてやる。梳いた場所にくちづける。耳や目元にも落とす。涙を吸うと、透馬は顔をしかめ、なにか言いたげにまた口をひらき、それは新しい涙になった。
だから昨夜は、一晩中透馬を抱きしめていた。食事は取らず、あちこちをまさぐってキスをするだけの、セックスに満たないセックスに没頭した。明け方、雨が少しだけ降った。雨音を聞いた透馬が「今日どこか出かけませんか?」と言い出し、雨の止んだころ、表へ出た。
S駅から、S線へ乗り換える。どこへ行こう、という話はしなくて、ただ人が少なさそうな路線を選んだだけだ。地下鉄ではなくJRを選んだのは、鬱々と暗い地下よりも地上へ出てみたかったから。各停ののんびりした電車は、終点まで乗ると、隣県へ行く。
S駅出発直後は座れなかったが、次の駅でかなりの人数が降りたおかげで、座席に着くことが出来た。ふあ、と透馬はちいさくあくびをする。昨夜はまどろみとまどろみの間を抜けたような睡眠で、深さはなかった。瑛佑も眠い。
「梅雨のこの時期って、出かけられなかった」
と、透馬が言った。
「伯父さん、いつも頭痛いって言って、ひどいと寝込むし。だからどこか行きたくても、ひとり。まあ、元々外出の好きな人じゃなかったし」
「うん」
「……こんな時期なのに、暁永くんがいれば、平気なんだ。今日、こっち来てるらしいすよ。暁永くんが学会で、ついでに、あちこち観光に来るって言って……」
「そういう電話だった?」
「まあ、会えそうならどうだって言われて、……だから嘘ついちゃいました。仕事があるって」
「うん」
「今日、瑛佑さんが休みで良かった」
そう言って黙る。瑛佑は無言で頷く。
かたんかたんと軽く音を鳴らし、電車は街を縫う。やがて透馬は眠り出した。触れ合う肩と肩、瑛佑の方向に力が傾く。重心の定まらなかった頭は、瑛佑の肩先に落ち着いた。髪が当たり、透馬のつかう石鹸のにおいが鼻に届く。
少しだけ身体の位置を下にずらし、かしぐ透馬がきちんと瑛佑にもたれかかれるようにしてやる。そうして瑛佑も目を閉じる。
透馬に言ってやりたい。もう悲しいことはなにもない。今日だって電車はゆく。透馬と瑛佑を揺らし、どこまでも進む。
どこまでだって行けばいい、と思う。
透馬と過ごす三百六十五日のどこかに、あてのない休日があっていい。
End.
ウェブ小説マガジンフルールにて更新になっています。
web小説マガジン フルール
登録不要&閲覧無料
毎週火曜日&金曜日更新
これにておしまいです。高坂さんと日野くんの後日談は「花と群青」本編や番外編でも覗けるので、興味のある方はまた読み返してみてください。
ブログでは昨年5月の更新だったので、約1年前に書いたものになるわけですが、
いまの書き方(特にブログでは自由にやっているので)とはテンポが違って、自分で読み返しても不思議な感じがします。
あと、自分以外の誰かの手が入っての掲載、というかたちもはじめてでした。色んなはじめてを良い縁で頂けて、勉強にもなったし、今後の励みにもなりました。
毎週掲載して頂けて、たった3回でしたがされど3回、毎回どきどきどんで迎えていた掲載が終わるかと思うとしんみりします。もっとがんばろう。
ありがとうございました。
ご感想、ご意見、ありましたらぜひフルールの感想フォームへお願いします。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。
****
2022*08*11-21
暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。
2021*12*04-2022*03*17
お久しぶりです。短編長編更新。
短編「さきごろのはる」
短編「月の椅子」
短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」
2021*08*16-08*19
甘いお菓子のある短編「最善最愛チョコレート」更新。
| 05 | 2026/06 | 07 |
| S | M | T | W | T | F | S |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | |
| 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 |
| 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 |
| 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 |
| 28 | 29 | 30 |
