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web小説マガジンフルールさんにて、
本日(9月16日)の更新で短編「はじめての恋、ひかりの寧日」前編が掲載になっています。
フルールさんのサイトへ
フルール編集部さんのtwitterでも呟いていただいています。
フルールさんでの2作目となります。今回は過去のブログ掲載作ではなく、完全新作となっております。
こちら、楽しんで頂けると嬉しいです。
今回も素敵な紹介文をつけて頂きました。
フルールさん、文庫1周年を記念してリニューアルしましたね。
作家リンクに樹海も加えて頂き、まことに光栄です。こういう時、きちんとバナーつくっておけばよかったなと後悔します……
先日、編集さんとのメールの際に「文庫1周年おめでとうございます」と書いたのですが、
どさくさに紛れてあれが好きだのこれが好きだの、ただのファンメールになってしまいました。
編集さんとメールするときはまだなんとなく地に足がついていません。ふわふわしています。
◇
高校時代はなん年前になることやら、年々思い出うすれゆく、という感じですが、
やたら勧誘されていた(でも入らなかった)部活動に書道部があります。
あの頃はまだ習字と書道をなんとなく混同していて、習字が本当に苦手だった私は「綺麗な字なんか書けないやい」と思って入らずにいましたが、
癖字も味と取れば意外に楽しかったのではないかと、
教わっていれば今頃、さらさらっと粋な字で署名など出来たのではないかと、ふと思います。
あとは二次元におけるバランス感覚が養われそうですね。書道部。
そんな(どんな)書道科教諭前川先生と、ネガティブどん底男子(なんだそれは)真山くんの、ごく普通の、シンプルな恋愛短編です。
読んでくださる皆様の心がふっと温かくなりますよう。
◇
それから過去作の整理について。なかなかはかどらず、申し訳ございません。手こずっております。
現在、長編は「花と群青」を、短編等は2013年以降に書いたものを中心に上げております。
現在上げきってしまっているもの以外の作品に関しまして、手こずっているのは、大幅に改稿が必要かと思っているからです。
これがなかなか進まず……8月からずーっとやっていて、もう9月も半ばですが、うまいこといきません。
よって、ひとまず、過去作の整理は現段階で一区切りとさせてください。
申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。
これからもこまこまと整理は続けてゆきますので、ある日突然過去作が上がっている、ということも、あるかもしれません。
なんともばたばたしたブログで……申し訳ございません。
トップページに仕事情報も載せるようにいたしました。そんな感じであちこちいじくっています。
ひとまずフルールさんで新作をお楽しみください&後編もお楽しみに。
よろしければぜひ感想もお寄せください。
「川澄さん、またこっち来るそうです。昼間は用事があって、夜はあくから、それで一緒に食事をって連絡来たんですけど、瑛佑さんその日あいてませんか?」
透馬からそう聞いて、スケジュールを確認すると都合よく休みの日だったので、OKと答えた。川澄、懐かしい名で、透馬から名前を聞いた瞬間にあのFの、田舎の、髭面のやさしい主人の顔を思い出した。新花も一緒なのかと訊けば、透馬は首を横に振った。「新花ちゃんは来ないらしいです」と言う。
その理由は、川澄本人と直接対面して、判明した。和風創作料理が自慢のちいさな居酒屋で乾杯をした後、一拍置いて、川澄は「今日は息子に会いに来ていてね」と穏やかに話した。
息子――とりあえず新花が子どもを生んだ話は聞いていない。隣の透馬も「息子?」と怪訝な声をあげたから、どうやら透馬も知らなかったらしい。川澄は気まずいのか照れ臭いのか、かりかりと耳の後ろを掻いた。
「前の奥さんとの子ども」
「え、結婚してたの?」と、透馬。初耳だったようだ。
「そう、出版社勤務時代に、同じ職場だった元妻と結婚して、子どもはひとり。でも、性格の不一致というのかな、リズムが合わず苦痛が多くなってしまったから、別れたんだ。それで郷里のFに戻って、数年して新花さんと知り合って、いまに至るよ」
「えー、まったく知らなかった」
「ぼく個人のことだからね」
そう言いながら、川澄はお通しの、切り干し大根の煮物に箸をつける。瑛佑も先ほど食べたが、薄めの味つけがかえって出汁の良さを際立たせていて、美味しかった。店選びは透馬に一任してあったが、よくこんな隠れ家みたいないい店を見つけてきたものだと思う。
「じゃあ、息子さんはいま元奥さんとこにいるってこと?」
「そう。でもふたりがいま暮らしているのは奥さんの実家のあるA県で、ここじゃない。今回はじめてここで待ち合わせたんだ。春からこちらにある専門学校に通いたいと言っていて、学校の下見を兼ねて会ったんだ」
「息子さん、いくつ?」
「高校三年生」
「あー、進路の時期だ」
会話は主に、透馬と川澄とで進行していった。瑛佑は黙って頷くだけで、たまに店員を呼んでオーダーを取ったりしていた。透馬は川澄の息子に興味津々らしく、「学校って、なんの?」とさらに突っ込む。瑛佑はあいた川澄のお猪口に、冷酒を注いでやる。
「それがぼくにはさっぱり分からないんだけど、自転車の整備とデザインをする学校らしいんだ」
「へえ、自転車? 自動車じゃなくて?」透馬が目をまるくする。瑛佑も興味が沸いて、川澄の顔を見た。
「うん、自転車。ここら辺をどこから影響受けたんだか、文系のぼくと文系の母親のあいだに生まれていて、さっぱりなんだ」
「デザイン、って言った?」
「そう。初年度は基本的な仕組みや組み付けを教わるらしいんだけど、それが終われば、自分で自転車をデザインして製作するみたいだよ」
「すげえ、工業デザインじゃん」
「透馬くんはその辺りぼくよりも興味があるだろうし、知識も理解も広そうだから、もし来年度以降こちらへ息子がやって来たら、たまにでいい、気にかけてやってほしいんだ」
「ああ、そういうこと? 全然かまわないよ。ねえ、瑛佑さん」
同意を求められ、瑛佑も頷く。
「良かったよ。こちらにいるぼくの知り合いは年上ばかりで、息子と話が合いそうな若い人はなかなかいない。これからはじめて親元を離れて心細くもなるだろう、そういう時に、本人が頼りになる人を自分で見つけられるまでの短いあいだでいいから、誰かに頼むことが出来たら、と考えていたんだ」
「自転車のデザインって、おれもよく分かんないけど、デザイン一般の話なら出来る。瑛佑さんが、自転車は趣味で、自分で整備するぐらいには詳しいよね」
「そうだな、一通りは」
「こっちでの生活の、はじめの一歩みたいな感じでいいってことでしょ?」
「そういうこと。どうかよろしく頼みます」
「イイエー」
Fでは世話になってるからさあ、と透馬は少しだけ目を伏せて言った。世話になっているのは瑛佑も同じだ。そういう、恩の着せあいの話でなくても、未成年者の保護者役を頼まれて、大人として、きちんと受けてやりたいと思う。こんな都会に出てこようという少年のことなら、なおさら。
「本当は今夜同席させようと思ったんだけど」と川澄は呆れたように笑った。
「そうだよ、会えれば良かったのに」
「それがね、抜け目ないところも誰に似たんだが、地元にいる彼女も一緒にやって来ていて、今夜はふたりで、遊園地で花火とナイトパレードを見るそうだ」
「おっと」
「大人ぶるのもいましか出来ない経験だからいいか、と思って野放しにしたけど、大丈夫かな」川澄が苦笑いする。
「ちなみに、今夜の宿は?」
「ぼくと同じビジネスホテルだけど、帰って来るかな?」
「それは分かんないな。若いから」
彼女とホテルにしけこむ方がはるかに楽しいだろうし。瑛佑はそう思いながらも黙ってウーロン杯を舐める。
「――でも次回は必ず、息子と引きあわせたい」
「いいですよ」透馬は気軽に請け負った。アルコールが入っているおかげでにこにこしているのがかわいらしいと思った。
「ありがとう。ぼくはね、きみたちふたりのことを風だと思っていて」
思いがけない言葉が出てきた。透馬も瑛佑も、同時に川澄を向く。
「風穴をあける、っていう言葉があるよね。突き通されて、痛む、よりは清々しい心地よさがある、一瞬だけ吹く大風。停滞していたものが、よい流れに生まれ変わる瞬間」
「……」
「清かで青い追い風のようだと、ぼくは思ったんだよね、きみたちを見ていて。そういう人たちに、息子をお願いしたかったんだ」
風、というなら透馬だな、と瑛佑は思った。隣の身体は川澄の言葉の前にしばらく静かなままで、ほらそうやって感動できる純粋なところ、と愛おしく思いながら透馬の背中を数回、とんと叩いた。透馬は瑛佑を見て、「なんか褒められた気分」と照れ隠しに笑った。早くふたりっきりになりたいな、と唐突に思う。
「それにしても、ビジネスホテルに泊まるより、瑛佑さんに先に相談すればよかったね」と透馬が言った。
「あ、そうですね。うちのホテル、優待券付きでご案内出来ました。気が利かず」
「いや、いいんだ。シティホテルなんか父子ふたりで泊まっても仕方がない」
「じゃあ次回こちらへいらっしゃるときは、あらかじめご連絡ください。よければ新花さんと一緒のときに」
「ああ、それは喜びそうだな」
「……抜け目ないの、親父似だと思うなー……」
透馬がぼやいたのが可笑しくて、三人で笑った。
帰り道、電車を降りた後は部屋まで十分程度の道のりをのんびりと歩く。あまり人気がなかったのでちょっと調子に乗って、手をつないだ。透馬はご機嫌で、手を離せば弾みながら空まで飛んでいきそうな調子の良さだったから、酔っぱらいを介抱するみたいなふりをして、手を少し強めに握った。透馬は笑い、ますます足もと覚束なく歩き、瑛佑も引っ張られて空へ飛ぶかも、と想像した。それはちょっと楽しい想像だった。
「川澄さん、さすがですよね」
煌々と光を放つコンビニエンスストアの前まで来て、人目を気にした透馬は、ぱ、と手を離してそう言った。繋いでいてもよかったのに、と思ったが、帰る先は同じだしな、と思い直して、そのまま手を離す。
「なにが?」
「さすが作家だなあって。表現が違うっていうかさ。風、だって」
「はじめて言われたよ」
「いいですね。それ言われておれ、嬉しかった」
息子さんとうまくやれるかなあ、とこぼしたので、頭を撫でる。ぐりぐりと、押さえつけるようにして撫でまわすと、透馬はハスキーな地声を高くして笑った。
マンションまでたどり着き、玄関の鍵をあけ、室内にあがる。透馬より先に靴を脱いで室内に明かりを灯していると、やって来た透馬に背後から抱きしめられた。
「……どうした」
「んー、……いや、」
それがとても頼りなく、あまえる仕草だったので、瑛佑は透馬の心をはかりかねた。こういう仕草をされると、透馬の身になにか悲しいことが起こっていないか、心配になる。透馬は瑛佑の背中に顔をくっつけたまま首を横に振り、それから肩先に顎を乗っける。
「風穴をあける、って、いい意味でしたっけ、わるい意味でしたっけ」
そのまま囁かれるので顎のかくかくした動きが伝わり、瑛佑は鼻から息を漏らす。
「新風を送り込む、っていうような意味じゃなかったっけ」
「じゃあ、いい意味?」
「確か」
「ふうん……」
瑛佑の肩に耳を乗せ替えて、透馬は「じゃあ、おれにとって風は瑛佑さん」と言った。
「その人に出会って良かった、っていう意味なら、おれには瑛佑さんがあけた大きな穴があいてる」
「……」
「おれはあなたにとって、そういう風に、なれているかな」
脈の音でも聞いて、答えを聞き出そうとでもしているのだろうか。そんな風に熱心に耳を擦り付けられて、瑛佑は思わず、ふっと笑う。
瑛佑にだって透馬のあけた大きな穴があいている。新風が常に巻き起こっている、すこやかな風。失ってしまったら、そこには冷たい風が吹き荒ぶのだろうと思う。
風は透馬。透馬は風。このイメージは、出会いの当初からあった。フルネームが判明した瞬間に瑛佑の心に湧き上がった情景は、風だった。冬の風だ。これから寒くなってゆく季節が、透馬にはよく似合う。
答える代わりに、瑛佑は胴に巻き付いた透馬の腕を外した。それからくるりと振り返る。見つめあうと、透馬の瞳はこちらが怖気づきそうなほどに澄んでいて、やはり瑛佑は、風を見る。
その清かな風を抱くために、瑛佑は腕を伸ばした。
End.
今年の夏は出かけることが多く、ろくろく家におりませんでした。ようやく帰宅してみればすっかり秋の気配で、びっくりしています。
そんなこんなで外出が多かったために、いまさらの告知となりますが、
webマガジンフルールさんで6月に掲載させて頂いた「楽園~パラダイス・ブルー~」が、
すでにフルールさんでお知らせしてある通り、10月15日(水)に電子書籍配信となります。
伴いましてフルールさんではお試し読みに切り替わっています。
どうぞよろしくお願いいたします。
はじめての電子書籍となります。
当然、表紙&口絵つきでなんぞや、というのがはじめてです。え、誰が誰の小説に挿絵なんかつけてくださるんですか? 表紙って表紙? 的な戸惑いが。
web掲載もはじめてでした。はじめて尽くしで初心者はどきどきが半端ではありません……。
色んな方の手を借りて生きているなあ、と思います。
本当にありがたいことです。続けてきて良かったな。
秋は他にもお知らせがいくつか出来そうです。
どうぞお楽しみに。
上倉(かみくら)が前の恋人に振られたのは去年の秋だった。よりにもよってこれから寒くなる時期に、よりにもよって別れの原因は相手の浮気だった。酷く傷ついて淋しくて、でもさすがに男も三十歳に突入していればそれなりに淋しさの逃し方は知っていて、それでもやっぱりつらくなった。
あんまりにも寒かったので、髭を伸ばしてみた。
失恋をすると髪を切る心理、と同じなのかはよく分からないが、これが案外あたたかで楽しかった。平均よりも身体が重い上倉に、髭は似合った。手入れをしてやるとさらに見栄えが良く、密に編んだ重たいニットや飴色の革靴といった冬のアイテムにもぴったりだった。
上倉は、三十歳に突入した記念(?)に会社を辞め、現在は学生だ。このまま一生を会社勤めで終わるのがちょっと惜しい気がして、前々から興味のあった文化財修復保存コースのある大学に入り直したのだ。よって髭も服装も、会社勤めの頃よりははるかに自由だ。
髭の評判は上々で、周囲からの呼び名は「クラさん」から「クマさん」か「ヒゲクマさん」に変わった。教授など本気で「ヒゲクラ」などと呼ぶのだから可笑しかった。失恋の痛手は薄れ、ああ髭いいかもと思った矢先に新しい恋人が出来た。
新恋人の仁保(にほ)は上倉よりも二つ上で、大学付属の美術館で学芸員をしている。講義だワークショップだと言ってなにかと美術館に訪れる上倉たちの世話をしてくれる。知識は豊富で文化財を見る目も確か、言葉の選び方が丁寧で深い。何事にもスマートな仁保には、前から仲良くなってみたい(けれど高嶺の花すぎて話しかけられない)想いがあった。
付き合いのきっかけは研究室の仲間たちとひらいた忘年会だった。誰が呼んだのか、研究室のOBであるという仁保も来てくれた。酔った仁保は力の抜けた身体を上倉に預け(寄っかかっていいですよ、と上倉が言ったのだが)、普段はきつめの口調を和らげて、「上倉くんはあったけえよなあ」と呟いた。
「髭ですから、超あったかです」茶化してみたが、内心はドキドキした。肩に頭を乗せている仁保には心臓の高ぶりが伝わってしまっているんじゃないかと、また脈を速くしてしまった。
「見た目もそうだし、中身もさ。おおきくてあったかいのって、いいよなあ」
それはもう、その場で抱きしめて頬ずりしたいぐらいの衝撃だった。酔ってふわふわした仁保をアパートまで送り、後日お詫びになにか奢ろうかとまんまと申し出てきた仁保をしめたと思い、初詣に誘って付き合いを申し込んで、現在に至る。仁保は案の定というかなんというか、髭が好みらしい。二人っきりだと顔に触れて感触を楽しんでいるし、時間がある時はグルーミングまでしてくれる。
そうは言っても髭はヒゲで、夏は暑いのである。
ちょうどいいと思ったのはゴールデンウイーク過ぎまでだった。梅雨入りすると一気にべたついて、海の日目前の頃には剃りたくてたまらなくなった。さぞやさっぱりするのだろう、と。切れ味爽快、と流行りの俳優がいい顔で笑うシェーバーのCMを見るたびに頬を掻いた。
そもそも髭をたっぷり生やせる上倉は、体毛が濃い。高校の体育や学生時代(いまも学生時代なのだが)に行った海水浴で、特に女子のみなさんにはきゃあきゃあ言われまくった。思春期はこれを気にしたこともあり、現在はそれほど気にしていないとはいえ、夏場はいつも、真剣にメンズエステの広告なんかを眺めてしまう。(見てくれを綺麗にしたいのではなく、さっぱりしたいという意味で。)
仁保は髭をうざがったり暑がったりはしないが、むしろ楽しんでいる風だが、上倉はそろそろ限界だ。顎鬚だけにスタイルチェンジしてみるとか。色々考えて仁保に「剃ってもいい?」と訊くと、少し間をあけてから仁保が頷いたので、そうした。散髪ついでに理容師に頼んでやってもらった。すっきりでさっぱりでつるっつるで満足だ。
剃ったら剃ったでまた評判が良かった。なんだ今年の俺はモテが来ているのか、と思ったほど。
元の上倉を知っている同期生にさえ「そっちの方が絶対にいいよ」と好感触だった。女子のみなさんには、振り返られることが多くなった。今までは好奇心でしか向かなかった目が、あからさまに色味を持って向けられている状況。自意識過剰になるなと言い聞かせても、どう考えても、どうやらもてている。
痩せたせいもあるだろう。髭が思わぬダイエットになったのか、今年の気候が安定しないせいか、今までのベスト体重よりも三㎏減っている。髭を剃ったら、思わぬシェイプの輪郭が現れて自分でもびっくりしたぐらいだ。ちょっとだけストイックに見える。憧れの仁保に近付けたみたいで、なかなか嬉しい。
その仁保には、会えない日が続いた。夏の美術館というのは忙しいようで、九月いっぱいまでのんきに夏休みである上倉とは時間が合わなかった。会えない時間はバイトをしたり、一人旅をしたりと、会社勤めでは出来ないことも楽しんでみた。自由気ままでそれも良かったが、やっぱり淋しい。
淋しさが募り、仁保の住むマンションに突入を試みた。なんだ、はじめからこうすりゃ良かったじゃん、と合鍵をつかって入った仁保の部屋で、そう思った。仁保にはあらかじめ了解を得ている。すうっと息を吸うと仁保から漂うあの香り(コーヒーとか、つかう洗濯用洗剤とか、仁保の汗とか、そういう色々混ざった生活のにおい)がして、上倉の胸がきゅ、と痛んだ。
シンクに残っていた食器を片づけ、衣類かごに放り込まれた洗濯物を洗濯して干してやった。今日はよい天気だからよく乾くだろう。それから、仁保のベッドで昼寝をした。このベッドで過去に仁保としてきた、いやらしいことを思い返して、早く仁保が帰ってこないかなと思ったり。
それで目をあけたら仁保が上倉を覗き込んでいたりするので、びっくりした。
「――あれっ、おかえり?」
「ただいま。人のベッドでよく寝てたなあ」仁保は息を大きく吐きながらネクタイを首から抜く。
「もう夜? いま何時?」
「夜、夜。十時だよ、もう」
ベランダの外を見れば確かに真っ暗だった。急いで洗濯物を取り込む。仁保が帰宅したら上倉ご自慢のチキンライスを食べさせるつもりでいて、まだなんにも用意できていない。うわあ、うわあと慌てる上倉に、仁保は「ガクセーは暇でいいよな」と呆れ顔だ。
「ていうか、」
シャワーを浴びるのだろう、タオルや部屋着を持って部屋を出て行こうとする仁保は、ふと振り返った。
「髭じゃん。剃ったんじゃなかったっけ?」
「あー」
いま上倉の顔は、髭で元通りだ。仁保にはなかなか会えなかったから仁保は「イイ男」の上倉を知らなかった。上倉は頬を掻く。
「ニュージーランド行ってきた」
「あ?」
「夏休みの一人旅。あっちは南半球だから、冬なのな。南に行けばいくほど寒いってわけで、冬を堪能しに南島っていうところへ行ってきた。氷河見てきたよ。でもねえ、寒くて」
「それで元通り、ってわけか」
「帰国してまだ暑いけど、なんとなくそのまま。ああ、そうだ」
お土産、と言って仁保に重たい包みを渡した。中身はダークグレイのセーターだ。メリノウール100%で、ちょっといいお値段だった。
「まだ暑いっての」仁保は文句を言う。ようやく九月、当然だ。
「いいじゃん、冬が楽しみになるでしょう」
「サイズもでかい。おまえサイズじゃん」
「一緒に着ようよ。ぼくが着ない日は仁保さんが着て、仁保さんが着ない日はぼくが着る」
上倉の提案に仁保は「うーん」と唸ったが、最終的には「まあ、いいか」となった。
「おまえさ、髭、どうすんの」と仁保が訊く。
「え?」
「剃る? このまま秋に突入?」
「仁保さんどっちがいい? って、聞くまでも」
「ないな。俺、おまえの髭が好き」
「じゃあ、剃らない」
そう言うと、仁保は嬉しそうな顔をした。
「シャワー浴びてくるから、ちょっと待ってろよ。浴び終わったらその髭整えてやるからな」
「一緒に浴びようよ」
「やだよおまえ、でかいから」
「どういう意味?」
「狭い、っていう意味」
仁保はにやりと笑って浴室へ消えていった。ちょっと悔しい気もするが、仁保が楽しそうだから、上倉は嬉しい。いま最高にハッピー、と上倉は思う。
End.
工事がなかなか進んで行かなくてすみません。こういうのを書いているから進まないんですよね……
大きな天災の夏でしたが、皆さんがハッピーな日々を過ごされていますよう。
タイトルは「HAPPY」(Pharrell Williams/Walk off the Earthのカバーもお勧めです)から頂きました。
今日は涼しいですねとひとりごとのようなつもりで言葉を口にすると、先生はそれを聞き漏らすことなく、「せやなあ」とお答えしてくださいました。
「もう盆過ぎて……夏も終わるな、」
「朝、浜へ出てみたんです。風が強うて、波も高うて、海、荒れとりました」
「無理ない、台風のすぐ後やからな、……今年の夏は台風ばっかで、漁師は泣いとるのやろ」
そう言って、先生は身体を後ろへそっとずらします。起きていることがつらいのです。私は傍へ寄って、先生がその場で横になるのを手伝ってさしあげます。
「布団、敷きましょうか」
「ええて。……ちいと、横んなるだけや」
「なら上掛けをいま、」
「あ、七生(ななみ)」
先生が私の名を呼ぶとき、私はいつも胸を高鳴らせてしまいます。この後とてもいいことを先生は仰ってくださる、そういう、人に期待をさせるのが上手な声音だと思います。私は「はい」と答えます。
「おまえの膝がいい」
「……はい」
やはり先生は私を喜ばせるのがお上手なのです。なにを言えば私がどう喜ぶのかを、熟知しきっていらっしゃるのでしょう。私はその場へ座り込み、先生の頭の高さにちょうど良いように正座をします。そこへ先生がゆっくりと倒れ込むのを手伝ってやりながら、足の位置を調節します。
横になった先生は、再び私を「なあ、七生」と呼びました。
「なんでしょうか?」
「いくら台風一過言うてもな、直後や海はまだ危ないんやで。波にさらわれたり、大風に吹き飛ばされて転んだりしたらどうすんねや。あんまほいほい外出たらあかんで」
「……様子見に行っただけです」
「ははは、責めとるわけやないで。心配なんや」
それから先生は、ぽつりと、こうしとったらおまえはどっこもいかへんもんな、と仰いました。
「僕はここにいます。どこへも行きません」と答えると、先生はいつもの調子で「ほうか」と答えました。
たまらず、私は先生の髪をゆっくりと梳きます。
先生は目を閉じ、私の手に甘えるように頭を押し付けてきました。
◇
先生の絵をはじめて見たのは、私がまだ一美大生のころでした。
質素とも言える掛け軸は、流麗な線を持つ美人画でした。芙蓉を頭に挿して、美人はこちらをそっと振り向いていました。着物から見えるうなじがなまめかしく、振り向きざまの表情は、わずかに微笑んでいます。花は華奢なピンク、反映するかのように頬もばら色でした。私は生身の女性に虜になったことはありませんが、絵の中の女性の、妙な生々しさに、胸が鳴りました。夢中で眺めて、何時間も経ったころ、ようやく絵の下に貼られたタイトルと作者名に目が向いたのです。
その公募展に、私は、当時教わっていた教授の勧めで作品を出品したのですが、落選したのです。せめて入選された方々がどんな絵を描いているのかを見ようと思い、足を運んだ美術館でした。先生は、公募展を主催するF画会の会員として出品されていらっしゃいました。いままでどの図録を見ても先生の名がなかったのは、病気療養で長いこと筆を持てなかったからだと、後に知ります。
手帳の一ページを破り、その場で先生への短い手紙(感想のようなものです)と住所を書いて、受付の方に託しました。後日、先生から私のアパートへはがきが届きました。今度先生が関西の画廊でひらくという個展の案内で、先日は素敵な感想をありがとう、と記されていました。文字は流れるように美しく、そのたった一言に、また見入ってしまいました。私が通っていた学校は東京にありましたが、わざわざ新幹線の切符を取り、私は先生の個展会場へ向かいました。
会場で、私は先生本人とお逢いすることが出来ました。想像していたよりも痩せていて、和服のよく似合う、粋、という言葉が似合う方でした。東京からわざわざよく来てくれたね、と温和に笑う先生に、実は私も西の出身で、と話すと、先生は口調を崩し方言で話はじめました。
――ここにある絵は女性ばかりですが、女性だけをお描きになるこだわりみたいなものは、あんのでしょうか?
――せやなあ、こだわりやないけど、男は描けんのや。それに男が微笑んでいる絵よりは、女やろ、やっぱりな。
――いまにもこの世に現れ出てきそうです。モデルは立てられるんですか?
――立てる、けど、あくまでも幻想や。実際こんな女はおらん。
熱い談義は会場が閉まっても続きました。私は宿を取ってその場にとどまり、何日にも渡って会場へ顔を出しました。先生も嬉しそうにしてらっしゃいました。だから大学で日本画を専攻する私が先生への弟子入りを申し出るのに、流れはスムーズでした。
――大学卒業したら、おいで。
先生はそう仰ってくださいました。私は嬉しくて、すぐにでも大学を辞めてこちらへ来たいのをこらえるのに必死でした。卒業までの半年間、私は毎日のように先生にはがきを送りました。まだそのはがきはちゃんと全部残っている、と先生は言います。
卒業してすぐ先生の元へやって来て、このあいだの春で五年を迎えました。
先生と過ごす五度目の夏はとても涼しく、夏らしい日がありません。去年はほんま暑うてかなわなんだし、今年はこんな涼しい、異常気象や、と先生はおおらかに笑います。
◇
台風が去れば普通は晴れるものでしょうが、さして晴れもしませんでした。あの、なにもかも洗った青空がろくに見られなくて、私は少しだけがっかりしています。嵐の後のあの青が好きなのです。先生に見せて差し上げられるかと、嵐が来るのにわくわくしていたほどです。
嵐を前にして、私は思っていました。このまま先生と永遠にふたりきりにならへんかな。すべての生物を一対ずつ舟に閉じ込めて地上を洗ってしまった神様の話を思い出します。あのように、私と先生とを舟に乗せて嵐が来れば、世界は私たちをふたりだけにしてくれるだろうか、と。嵐が去ってみれば、隣の家のおばあさんは朝から元気に畑に出ているし、港では漁師が台風の後片付けをしていて、こんな日でも海水浴客は浜辺をうろうろしています。実際はふたりきりではありませんでした。邪魔やな、と思いながらも、私は今日も先生のお世話の出来る日常に、世界に、感謝しています。結局私たちは日常を離れることは出来ないのです。
夕方、私は先生と少しだけ散歩をしました。先生は足を悪くされているので、先生の手を引いて、ゆっくりと歩きます。たかが私より二十歳ばかり上でもうこんなに生命力を希薄にさせている先生のことを、憐れで、せつなく、いとおしく思います。先生の痩せて骨ばった手を握ると、私の心臓は高鳴り、身体中が芽吹きを迎えるようです。
松の生える海岸の、舗装された道路をゆきます。蟹がざわざわと渡っていくのを見て、先生は「蟹や蟹、」と嬉しそうに仰いました。海からの風が強く、先生の髪も私の髪も横に流されます。
「やっぱり風が強いよって、あまり長く潮風に身体を晒さないようにしましょう」と私が言うと、先生は「おまえは医者か」と笑いました。
「さすがに海水浴客は少ないな」
「もう夕方ですし、今日は泳ぐには寒かったですから」
「沖合からの風が強い。海月がよう流れて来とる」
「あ、ほんまや」
「ほんまに、今年も夏が終わてしまうな……」
そう言った先生の目が、とても遠いのを、私は心を痛めながらも目を逸らしません。
先生には、約束した人がいるのです。将来を約束した、先生だけの男が。その人しか先生にはあり得ないから、女性しか描けないのです。いつまでも帰ってこない男を待ち続けている先生のことを、私はずっと想っています。
その人は、次の夏には帰って来るよと言って、先生の下を去ったそうです。再会を先生は信じています。しかしもう、半分ぐらいは諦めているでしょうか。帰って来なければいいのに、と私は願っています。そういう私の醜い思いも、すべて、先生は見通されているはずです。
何年も帰って来ぬ人がいるから、先生は淋しいのです。胸にぽかりと大きな穴があいているのです。淋しいからこそ、先生は私を傍に置いてくださるのです。師弟と大きく銘打って実は絵を描くだけの体力もない病弱な先生と、先生が絵を描かなくても傍にいるだけでいいと思っている私は、とうに師弟関係など破たんしていて、それでも淋しさが私たちを離しません。かたく結んだロープは、水につけることでより結びを強くします。淋しさの海にさらされて、私たちは互いの手を強く握ってたゆたうように、日々を過ごしています。
散歩が終われば、先生の家に戻り、私はまず、潮風で冷えた先生の身体を洗います。丁寧に、指先、毛先まで温めるようにして、先生をお風呂に入れてさしあげます。終われば夕食です。今日は魚のアラを煮てあります。先生はこれが大好物で、たった一杯だけ、お酒を飲みます。私もお付き合いして同じく一杯だけ頂きます。
先生を布団に入れる時、私は先生を背後から抱きしめます。そうやって私たちは眠りにつきます。先生が私を抱いたり、求めたりすることは、この先もないでしょう。しかし私は充分だと思っています。帰ってこない男よりずっと、先生に人間の温みを教えてあげられるからです。先生が大好きです。愛しています。そういう思いをすべて腕に込めて、最大限にやさしく先生にしがみつきます。
今日も波の音が聞こえます。寄せては沖へと戻る波の音は、私と先生のふたりだけの生活に深々と響き、私の心を不思議と凪へと導くのです。こんな醜い心があるのに、私は穏やかです。
End.
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。
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