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村上の言う通りに、三崎にはいつも通りに仕事があった。三月、年度末で、忙しいころだった。朝、早速だらだらと寝ている村上を横目に、出勤した。普段は出勤時間がかぶることが多いので共に取る朝食も、別だった。
帰宅すると、居間から笑い声が聞こえた。複数聞こえる、と思って玄関をよく見れば、知っているブーツが脱ぎ捨てられていた。あ、これ、と思いながら靴を脱ぎ、廊下を進む。飼い猫がすり寄って来るのを適当にいなしながら居間に顔を出すと、村上と共にいたのは野口だった。
「おー、おつかれ」と野口は赤い頬で言った。酒が入っているらしく、食卓にはビールやチューハイの缶が載っていた。
「なあなあ、『うららかに』ではじまる歌、知ってる?」唐突にそう訊かれた。
「……、分からない」
「小学校で卒業式に歌わなかった? 村上は知らない、って言うんだけど」
そう言って野口は、歌ってみせた。少し音痴で、高いキーで音を外した、と思う。
うららかに はるのひかりが ふってくる
よいひよ よいひよ よいひ きょうは
出来上がっているなあ、と酒の缶の数を確認しながらそれを聞く。一節を歌い終えた野口は「知らねえ?」とまた訊いた。
「知らない。なんでそんな童謡みたいな歌なんか持ちだしてきたの、」
「なんか、そういう日差しじゃなかった、今日」
「……あったかかったけど、図書館は基本的に陽が当たらないように設計されているから、よく分かんない」
「外出てさー、超気持ちよかったなー、って話」
にっこりと笑って、「おす、久々」と野口は仕切り直した。
「先輩、村上が呼んだ?」
「そう、暇だったから」
だからって野口を家に呼ぶか、と思った。野口と三崎は過去、身体だけの関係を続けてきた。現在の恋人である村上が野口を誘う理由としては、ちょっと考えが甘い気がする。だがそんなのも、野口が「おまえらふたりともめしろくなもん作れないからよー」と言って台所からいい匂いをさせる惣菜を取り出すと、どうでもよくなった。呼び出された野口は、先輩という身分にもかかわらず、その人の好さを発揮して、得意の(というより、職業の)中華を振る舞ってくれていたらしかった。
余計なことを考えるから眠れないのだ、と考えることにした。
「村上も、災難だったよな。俺も今日休みでさ、暇だったから点心包ませていただきました。ってことで、いまおまえの分蒸してやるから待ってろよ」
「三崎も飲むか?」と村上はビールの缶を軽く振る。三崎は頷いて、シンクの水きりかごからグラスを取り出すと、村上の向かいに腰かけた。
ガスコンロの前に立った野口が、せいろ(持参したようだった)に蓋をかぶせながら、「おまえらうまく行ってくれて良かったよ」と直球を投げつけて来た。
「なんか、いい感じにまとまってくれて」
「……」
「三崎、眠れてるんだろ」
それには、うん、と頷いた。野口は芯から嬉しそうに「ほらな、良かった」と言うので、あくまでも三崎を寝かそうとするばか親切な男ふたりに対して、なんだか神妙な気持ちになった。
「あの夜から、うまく行くような気がしてたんだ、俺は」
「……先輩、彼女とは?」
「あー、俺な、結婚することにした」
と火加減を見ながらさらりと言う。三崎は驚いて顔をあげた。村上も初聞きだったらしく、向かい側で同じ顔をした。
「こないだ、プロポーズしてきた」
「え、本当に?」
「まじ、まじ。言うのが遅いよ、って泣かれちまった。そういうわけで、今年中には籍入れるから」
温め直したエビチリも食卓に出てきた。それで野口もいったん座る。ぷしゅ、と音をさせてチューハイの缶のプルタブを引っ張りあげ、一口くちにして「うまいな」と言った。
「高校から苦節十年、ってやつ」
「十年」
「すげえな」
「忙しいぜ、これから。俺、実家帰るもん。帰って家継がなきゃ。中華料理屋」
「え、辞めるの、仕事」
「そう、この春で辞める。引越し、サービスしてくんない?」
と言って野口は村上に笑った。村上は「多少は」と答えていたが、やはり驚きを隠せていない様子だった。びっくりしたまま細い目がまるくひらかれている。
「……あの、おれとのことは、彼女さんに、」と三崎は訊きにくいと思っていたことを野口に訊ねる。野口は笑って「ぜってえ言わねえ、死んでも言わねえ」と答えた。
「彼女にはね、一生黙ったまんまで行くって決めた。夫婦になるからってなんでも話せってのもね、違うかなって。俺ひとりのことならともかく、おまえのいる話だし」
「……別に、おれはいいのに、」
「なにがあっても黙っているから、おまえも黙っていろよ。なかったことにしろ、ってのはちょっと違うんだけど」
「それは、思わない、」
「ふふ。おまえ、ちょっとは俺のおかげで眠れてただろ。そういうことでいいよな」
野口は再び立ちあがり、蒸し加減を見て、せいろの中身を皿にあけた。つやつやと皮が透きとおる、噛んだら肉汁の溢れそうな焼売だった。「俺のおすすめはからしと酢醤油」と言って、小皿もくれる。三崎は、本心から野口のことを、はじめて、ありがたいと思った。野口とはセックスばかりしていたから、いつも後ろめたさがあった。決して陥ってはいけない関係。それがひっくり返る。穏やかに凪いでくる。高校のころみたいに、野口にはなんでも話せてしまいそうな気さえした。
村上がいない時から、野口は、こうしてたまに手料理を振る舞ってくれていた。満腹になったら眠くなるだろ、と言いながら。セックスなんかしなくても、甘やかされていた。事実はもう変わることはないけれど、これからの関係なんて三崎と野口の努力次第でいくらでも変えられる、と思った。
後ろめたささえなくなれば、あとは友人として気持ち良くふるまえそうな気がして、三崎は嬉しくなる。
「……先輩、ありがとう」
「おうよ。それ、村上にも思っておけよ。おまえは鈍感で、自分の気持ちにも他人の気持ちにも疎いんだから」
「うん、」
と頷いて向かいを見ると、村上は三崎の分の焼売に遠慮なくがっついている最中だった。左手でフォークをつかっているからか食べ辛そうで、犬食いに近い。
「大丈夫、思ってる」
この大きな身体なくしては、眠れないこと。三崎の安心。
泊まって行くかと思ったのに、野口は帰った。大きなせいろをぶら下げて、自転車を漕いでいく後ろ姿を村上と見送る。見えなくなったところで、村上は前を向いたまんま「淋しいか?」と訊いた。
「先輩、引っ越すって言ったじゃん」
「淋しいよ」
結婚とそれに伴う引越し。おめでたい事柄ではあるけれど、やはりすうすうした。結婚てのは絶対にその人との関係性が変わるから、と誰かが言っていたのを思い出す。その通りだ。野口との別れが近付いている。惜しくなる。
「おれも引っ越そうかな」と村上が言ったので、三崎はびっくりして隣を振り返った。
「――引っ越しちゃうの?」
「……なんて声出すんだよ。あんたも一緒だよ」
人差し指で村上は三崎の眉間を突いた。
「ネコと、あんたと、住めるところ。ここじゃちょっと狭いし、古い」
「やだ」
「やだってあんた、まだあのアパート契約しとく気か? ろくに帰ってもいねえくせに、金がもったいないぜ」
「そうじゃなくて、村上がこの家から越しちゃうのが、やだ」
三崎と村上はまだ、正式な同居人ではない。三崎には、村上宅とは別に賃貸しているアパートがある。しかしいまやほとんど帰っておらず、ほぼ同棲状態だ。三崎は村上の住むこの家を気に入っていた。古くて、なんと言うのか、肌にしっくりと馴染む。べたべたと遠慮なく壁に写真を貼れるのも、大きな音をさせても近所から苦情が来ないのも、猫と暮らせるのもひっくるめて気に入っていた。村上という男にぴったりな場所だと思っている。狭いながら庭があり、大家の趣味なのか庭木にちいさな椿が植えられているのも、好ましかった。
「おれのアパートのことは、おれが決める。けど、出来れば村上はここから引っ越さないでほしい」そう言うと、村上は「ふうん」と笑った。笑った拍子に傷がひきつれたのか、続けて「いて」と言う。
「……傷、痛む?」手を、村上の額に伸ばす。
「まあな、生きてるから」
「そうだね……」
そのまま村上の顔が近付く。三崎は、村上のくちびるがうまく重なるように首を傾げ、くちびるをひらいて村上を迎え入れる。外でのキスだったが、構わなかった。誰が見ていようがこんなに純粋に恋をしている三崎と村上を攻撃しようがないし、きっと堂々としていられる、と思う。
ちゅ、と軽く音をさせて、村上は離れた。大きく伸びをする。「もう、休むか」
「あんた、明日も仕事か」
「うん」
「つまんねえな。頭の傷だけだったら、カメラでもいじってられんのにな」
連れだって村上と家の中へ入る。その夜、村上はそれでも、本を読んでくれた。三崎は安心して、すぐ眠る。きっとそのうち、声を必要としなくなってしまうんじゃないか、と思えるほど最近は入眠が早い。そのことがすごく惜しい。
眠りたくないと思える日が来るなんて、村上と会うまでは思わなかった。
← 1
→ 3
村上の帰宅が遅いな、と思っていた。いつも、よっぽどの遠出でない時なら六時をまわるころには帰って来るというのに、今夜はもう八時を過ぎている。別に村上は小学生ではないし、三崎もその親というわけではないから、好きに遅くなったっていいのだ。寄り道をいちいち断る必要はない。勝手に飲みに出かけようが、写真を撮りに出かけようが。しかしこれまでの村上は、遅くなる時は三崎に一言断った。それは三崎の眠る時間やタイミングを考慮してのことであり、「今夜遅くなるけどひとりで眠れるか?」という、知らない他人が聞けばなんとも甘ったるいメールの文面は、ひどい不眠の三崎を気遣ってのことだ。その優しいメールが、その夜はなかった。メールを打つ暇もないほど仕事が押しているとか、忙しくしているとか。理由をあれこれ考えて自分を納得させようとしたが、やはりどう考えても帰宅が遅かった。
本来の終業時間よりも四時間ほど遅れたと思う。村上が帰宅したのは、夜九時をまわっていた。飼い猫ブチのブラッシングをしていた三崎は、玄関に現れた大きな影を見て、驚いて声を出し損なった。
「――ど、うしたの」しばらくしてかろうじて出せた。
「業務上の過失。わるい、荷物受け取ってくれ」
そう言って村上は、三崎にバックパックを背中から下ろすように指示をした。声にはなんの傷もなかった。それだけ聞けば、いつも通りの村上だ。
村上は元々、うざったい、と思うぐらいに髪を適当に伸ばしていた。その髪が、いまはさっぱり散髪されている。短すぎる、と思うぐらいだった。変化はそれだけではない。右目の上に大きな絆創膏を貼っていた。右頬はひょっとしたら少し腫れているかもしれない。血こそ滲んでいないが、擦り傷があるのが分かった。そして右手首に、包帯を巻いていた。明らかに重大な事故が起きている。
三崎の困惑をよそに、村上はぐいぐいと廊下を進み、台所へ向かう。どうやら下半身には「業務上の過失」はなかったらしい。再度三崎は「どうしたの」と訊ねた。
コップに水を汲んで、一気に飲み干してから村上は「男前になっただろう」と茶化した。
「ついでに散髪してきた」
「わけが分かんないよ」
「まあ、そんな長い話でもないぜ。仕事中に、荷物が崩れてきた。あと少しで荷を運び終える、ってときで、気が緩んでた。いま、人手が足りなくて人を多く雇ってるから、不慣れなやつが多いのも原因のひとつかも。バイトのひとりが巻き込まれそうになったのを、慌てて引っ張った。そいつは大丈夫だったんだけど、おれは頭かすっちゃって、倒れ込んだ時に手首も捻挫した」
「……大事故だよ、」
「周りの方が騒ぐんだ。もう、やかましいったらなかったよ。頭打ったから念のためって言って、精密検査をした。ちょっと切ってて、思ったよりも出血があって、一針縫ったよ。処置に邪魔だから髪切っちゃいますけどって言われて、まー不格好になったんで、伸びっぱなしもどうかと思ってたし、病院帰りに散髪してきた」
「……よく分かった」どうして怪我と散髪が同時だったのか。
「そりゃ良かった」
そのまま村上は、ベッドに倒れ込んだ。ふーっと長いため息を吐く。疲労が色濃く伺えた。「お風呂とごはんは?」と訊いてみたが、「どっちもいらねえ」と返された。
「面倒くせえ」と少し怒ったような表情になったから、世話を焼かれるのがいやなのかと思ったが、その口はそのまま職場への愚痴へと切り替わった。
「荷の積み方が甘かったんだよ。労災扱いなのはいいけど、報告書も出さなきゃいけねえし、お客さんの荷物破損したから、始末書も、か。捻挫直るまで仕事は出来ねえしさ。手がつかえないのも、うっとうしい」
「額と、手首だけ?」
「ああ」
「ほか打ったとか、痛いとか、」
「ねえよ」
それを聞いてほっとして、三崎は寝転んだ村上の胸の上に、そっと覆いかぶさった。心臓の上に頭を乗せて、唸りを聞く。どくどくといつもの音がした。なんの変わりもなさそうで、安心した。
左手で、村上が三崎の頭を撫でた。指で耳をくすぐってくる。「不安にさせたか?」と訊かれた。
「……顔に傷が残らなきゃいいな、」
「ある程度は残るだろうよ」
「やだ。……おれ、村上の顔、好きだから」
「そりゃあ、……わるいことしたな、」
ふ、と村上は吹き出した。三崎にとっては笑いごとじゃない。村上の胸にすがるように頬を押し付けると、村上は「ははっ」と声をあげて笑った。
「顔が好きとか、はじめて言われたな。こんな細い目ぇしてんのに」
「そこが好き」
「今夜、眠れそうか?」
「……眠れない、村上のせいだ」
そう言うと、三崎、と名を呼ばれた。顔をあげる。村上は三崎の額にキスをひとつ落とし、「大丈夫さ」とまた枕元に頭を戻した。
「まあ、そういうわけでおれはしばらく休みだから、なんかどっかで遊べるといいんだけどな」
「……遊び、」
「あんたは仕事あるから、必ずってわけじゃないけど、考えといて。――来い、三崎」
村上は身体の位置をずらし、隣に三崎が眠るスペースをつくる。電気を消してから、三崎はそこへ潜りこんだ。風呂に入っていないおかげで、普段より濃く村上の体臭がした。
そうか、デートに誘われたのだ、と暗闇、村上の体温でぬくまる中でようやく思い至った。となると、元日の初詣以来となる。しかもあの時、三崎は村上から逃げたから、「きちんとしたお出かけ」になるのだろうか。だとしたら、はじめてかもしれない。
村上の左手が、三崎の背を規則的に叩いている。こんな時でも、と三崎は思う。こんな時でも、村上は優しい。
→ 2
三崎と村上:「この夜が明けたら」
付きあいはじめてひと月ぐらい。
三崎の仕事が終業するのを、村上は傍のファミリーレストランで待っていてくれていた。現れた三崎を見て、村上はほっと息をついた。そして「なにか食うか」と訊ねたが、三崎は首を横に振った。なにもいらないし、入りそうになかった。ただ、村上の傍にいたい。
村上からもらった紙袋を片手に、村上の部屋へと並んで進む。寒い夜で、雪がちらちらと舞いはじめていた。その雪片を眺めながら、「人物写真は撮らない主義じゃなかったの、」と三崎は訊ねた。
「おまえ見てたら、気が変わった」
「あのね、おれはそんなに綺麗な人間じゃないんだよ。野口先輩とだって、……」
「知ってる」
きっぱりと言い放たれ、三崎はとっさに村上の横顔を見た。心臓が飛び出しそうなぐらいに鳴っている。村上は「はじめの夜にそう聞いたからな」と穏やかに言った。
「なんてかわいそうなやつだと思った。そんないびつな寝方しかできないのか、って。おれの声で寝られるなら、って本気で思ったよ。『朗読は絶対に誰かのためにあるものだ』、そうおれはボランティアで教わってたんだけど、この声は、三崎のためだけにある声だと思った」
「……」
「おれは多分、高校の頃からあんたに惚れてたんだ。あの時はあんたの不眠なんか知らなかったけど、知ってたらっていま後悔してるぐらいさ。あの晩、ああいうかたちでも出会えて本当に良かった」
「……おれでいい?」
「あんたはおれじゃなきゃだめなんだろう。おれもそうだよ。……眠いか?」
村上の問いには、「抱いて」と答えた。するりと出てきた言葉に、村上が目をまるくする。
「眠りたくない。もったいない。――身長が高いところが好き」
三崎は村上の肩にすがり、頬をすり寄せた。
「声が好き。細い目が好き。自由な性格も、もう、全部、好き」
「……参ったな」
村上は立ち止まり、三崎の頭の後ろを掴むと、三崎を抱き寄せた。三崎がずっとそうされたいと思っていたことだ。
「早く帰りてえのに、帰りたくない」
「……」
「夜が明けなきゃいいな」
ぽつんと、村上はそうこぼした。
全裸の三崎に、同じく全裸の村上が重なる。村上の手はあちこちを這い、三崎の肌をたわむれに弾き、引っかいて、摩擦し、三崎を高めようと躍起になる。三崎は「待って」と言って、村上の背を引き寄せ、抱きしめた。心臓の音を聞き、体温を共有して、血液の循環を確かめる。「いいよ」と、背を抱く腕の力を緩めると、村上は「ははっ」と笑ってから唐突にキスしてきた。
くちびるを吸いあげられる。二度のキスでは果たせなかった口内へ、舌は自在に伸びる。そのあいだにも手指は三崎のわき腹のラインをずっと擦っている。先ほどそこを触られて三崎が声をあげたから、感じる場所だと認識されて、辿られている。
キスも、セックスも、こんなのいつの間に、どこで覚えて来たんだろうな、と思う。誰としてきたんだろう。村上と過去体温を共有した誰かがいて、きっと村上の胸を掻き毟った存在で、でもいま村上はこうして、三崎の上で、瞳を弧にして笑っている。高校生だった三崎と村上はいつの間にか二十代も折り返し地点に来ていて、どんな縁だというんだろう、こうして互いを愛おしく思いながら行為に没頭している。村上は三崎の反応を窺い、それが良くなければ次を試し、良いようだったら、安心するらしい。もどかしいほど優しく触れるかと思えば、強く引っかかれる。乳首を甘噛みされて、三崎は鼻から声を漏らす。
「――あっ、」
「……だめか?」
村上の手が三崎の臀部、ごく奥まった場所を押した。そこへの刺激に三崎はふるえる。指の腹で撫でるように押されると、つかうのは久々のはずなのに、そこは勝手に収縮をして、村上の指を誘った。
「……だめじゃない、いい。――ほしい」
「……なんか持ってる?」
と、村上は潤滑剤のことを言ったが、ここは村上の部屋なので、村上が持っていなければ三崎にも準備がなかった。そのことを告げると村上は「まあ、そうだよな」と照れ笑いして、おもむろにずり下がった。三崎の股間に顔を埋め、まずは性器を、舐める。直接的な刺激に三崎は背をのけぞらせ、足先を引き攣らせた。
「あっ……はあっ……」
三崎の先端も自然と濡れはじめるから、卑猥な音が室内に響いた。ちゅ、と音を立てて村上はくちびるを離し、「なあ」と三崎に呼びかけた。腹部を見れば、村上の顔が自分の育ちきった性器と並んでいて、恥ずかしくなって顔をそむけた。
「野口先輩もこういうことしたんだよな」
「……」
「悪い、人のセックス聞いて対抗心燃やそうとか嫉妬しようとかそういうつもりじゃねえんだ。ただちょっと、思っちゃっただけだから」
「なにを……」
「おれだけが知れる三崎の表情はあんのかね、ってさ」
それなら、あのカメラ雑誌に掲載された写真。あれがそうだ。そう言おうとして、言えなくされた。村上は三崎の膝裏を抱えあげると、身体を深く折りたたんできた。でんぐりがえしでも促すかのように転ばされ、膝頭が、顔の横についた。苦しい、と思う間もなく、羞恥がよぎった。なにもかもをも村上に晒している状況で、あろうことか村上は、先ほど指で手繰った、奥まった場所に、舌を這わせてきた。
「あ……やっ、やめ、」
わずかに抵抗を試みるも、無駄だった。三崎をほころばそうという動きはぬるりといやらしく、体勢のおかげもあって、簡単に身体はひらいた。こんなあられもない格好にされて、喜んでいる。そのうち指も入れられた。広がると、村上は嬉しそうに息を漏らした。唾液でよく濡らして、指を抜き差しする。また濡らして、広げる。丹念に繰り返す。
もうころあい、と思ったから、どこまでも広げようとする村上に、そう言った。村上は頷いて、身体の位置をずらす。性器を、よく広げた窄まりに当て、ゆっくりと挿入した。もう我慢ならなくなっていた三崎は、村上の長い性器が内部をずり上がってゆく、その感触と衝撃だけで、あっけなく達した。びくりびくりと身体を痙攣させ、精液を数度にわたって吐きだす。内部が絞られたのがたまらなかったのか、村上も低く呻いたが、射精はしなかったようで、浅い呼吸を繰り返していた。
「気持ちいいか?」と村上は訊いた。
「……あ、気持ちいい……」
「おれはまだだよ、三崎」
「ん……いいよ、動いて、……おれでいっぱい、いって」
三崎の台詞に村上はまた笑い、腰を強く掴むと、動きはじめた。三崎を貪り食うかのような遠慮ない獣の動きがかえって良かった。また沸点が、ちらつく。と村上は前傾姿勢になり、三崎の両頬の隣に手を突いた。
「――名前、呼べ」
「……むらかみ、」
「じゃなくて、下の名前」
「……しのぶ、」
「ああ」
「士信、」
村上は微笑んだ。心底嬉しいようだった。また「士信」と呼んでみる。そのくちびるに、キスが落とされる。
「しのぶ、っ……あっ、あっ、ああっ」
呼べ、と言っておいて、そのうち名前もろくに呼べなくされた。村上は再び三崎の腰を掴むと、夢中で腰をつかってくる。注挿は次第に早く深くなり、やがて最奥に、生暖かいものがじわりと注がれた。三崎はまた痙攣する。深い充足感に包まれながらも、村上がキスをしてきたので、三崎も舌を伸ばす。
目が覚めてはじめに見たのは村上の寝顔だった。辺りはまだ薄暗く、夜明け前ということを示している。よく寝ているな、と思う。わずかに身じろぐと、村上の手が身体にしっかりとまわされていることが分かって、嬉しかった。
村上、と呼ぼうとして、呼ぶのをやめた。眠る前に散々呼んだ「士信」の言葉も、言おうと思ったが、これもやめた。村上を起こしたくない。本当にいつもしみじみと思うけれど、村上は見ているこちらが気持ちのよい寝方をする。
安寧が胸の内にじわりと広がる。こうやって眠れること。あるいは眠れないこと。三崎はまだ眠りたいと思う一方で、じっと目をあける。村上の顔を見つめる。
村上は目覚めない。外の雪は止んだろうか。
夜が白々と明けゆくこの一瞬に、村上を見ながら思う。
End.
← 6
なんとなくこのふたりは「Counting Stars」(OneRepublic)を聴きながら書いていました。
作品とマッチするか分かりませんが、気になった方は聴いてみてください。
それから三崎は、村上の元へ足を運ぶのをやめた。村上の家に置きっぱなしの荷物はほったらかし、必要なものは新しく買い足して、元通り自分のアパートで生活をした。眠れない夜でも、野口にはコールしなかった。ましてや村上に連絡など、取れるはずもなかった。
仕事に出かけ、帰宅し、くたびれた身体をつめたいベッドに横たえる。心臓は唸り、不眠はひどくなる一方だった。やはり医者にかかるべきなんだろうな、とスマートフォンで近くの心療内科をサーチしてみたが、行動には起こさなかった。すべてがだるく、頭に靄のかかる日々がまた、やって来た。判断力が鈍り、思考が霧散する。
村上からはなんのメールも、電話もなかった。否、一度だけメールが入っていた。それはたった一言で、「眠れているか?」だった。三崎は返信をせず、ため息をつく。村上とした二度のキスを思い出し、身体の大きさを想い、声を反芻した。村上のあの声を聞きたいけれど、それは純粋に眠りたいからではないことぐらい、分かっていた。欲望だ。三崎は村上に抱かれたいと思っている。あの逞しく長い腕に絡め取られたい。その、なんと強欲なこと。
村上が三崎をなんとかして休ませようとした、純粋な思いとはまったく異なるのだ。それは不誠実であるような気がした。卑怯だと思った。たとえばいまからでも、三崎が「眠れない」と言って村上の部屋へ行けば、きっと村上は、傍にいてくれるだろうから。
眠れないよ、と三崎は心の中で村上に答える。
眠れない、傍にいてくれなきゃ。
長いあいだ不眠と一緒にいるから折りあいぐらいはついていた。共存、というやつかもしれない。眠れない日が続く時は、思い切って休みを取る。できるだけリラックスする環境を整える。そうやってだましだまし日を過ごして、いつの間にか、二月も半分ほど終わっていた。
職場の、新刊雑誌コーナーを三崎は整えていた。前号から汚損防止の透明カバーを外し、それを新刊にかぶせる。古い号は書棚を移し、旧本コーナーに置く。普段は三崎より年下のアルバイトがやる仕事だったが、彼女がインフルエンザで休んでいるからこその作業だった。
一冊のカメラ雑誌を手に取る。同じように旧本からカバーを外し、新号に掛けかえる。それをなんとなくぱらぱらとめくったのは、この雑誌を以前、村上が読んでいたことを覚えていたからだ。写真家のエッセイが載っているのもこの本だった。プロカメラマンの特集記事がはじめに並び、続いてエッセイなど読み物があり、各種カメラの批評が載って、最後の十数ページは読者からの投稿写真が評とともに掲載される。膨大な量の視覚情報、その中に、見たことのある人物を写した写真が載っていた。よく知っている、三崎自身だった。
驚いて、まじまじと記事を読む。読者の投稿コーナーで、一ページをまるまるつかって載った写真には「一等」の評がついていた。投稿者氏名は村上士信。年齢と都市名も載っている。間違うことなく、村上だった。
雑誌の中の三崎は、目を閉じうすくくちびるをひらいて、眠っている。毛布から半分身体を出して、陽の光に当たっていた。濃い陰影。ほのあかるく発光する頬や首筋。いつ撮られた写真なのかさっぱり分からない。ただ、村上が「あの声」で朗読してくれたからもたらされた睡眠なんだろうな、ということは容易に想像がついた。部屋の様子は、よく知っていた。なめらかにかけられた毛布の柄も、間違えようがなく覚えている。村上の部屋だ。
こんな顔で眠るのだ、という発見があった。こんな姿を、村上には見られていた。自分でも眩しく思う寝姿で、三崎は安心と不安を、同時に思う。こんな風に映っているのなら、村上が三崎をクリーンだと勘違いするのも無理はない。会いたい、会って声が聞きたい。囁かれたい。三拍子のリズムで、穏やかに、甘く。
つい雑誌に魅入ってしまった三崎の肩を、誰かがとんと軽く突いた。びくりと身体がこわばる。三崎を突いたのは先輩司書で、「カウンターにお客さん見えてるけど」と告げられた。
立っていたのは縦に長い影。村上本人だった。
髪が前より伸びていて、うざったい。無精ひげも生えていた。三崎を見てわずかに首を傾げ、それから彼は手にしていた紙袋を三崎に寄越した。中身を改める。まさにいま、三崎が夢中になっていたカメラ雑誌だった。
「そこに写真が載ってる」と村上は言った。
「あんたの写真。勝手に写して投稿した」
「知ってる」
もう見たから、と答えると、村上は「そうか」と頭を掻いた。
しばらくの沈黙の後に、しっかりと正面から、三崎を見据えた。
「逃げんなよ、三崎」
「……」
「逃げんな」
村上のその台詞には、三崎は「うん、ごめん」と答えた。村上はふっと息をつき、わずかに微笑んだ。
「眠れているか」と村上は訊いた。三崎は首を横に振る。
「眠れていない」
「だろうな、隈がひどい」
「村上じゃなきゃだめなんだ」
そう言うと、村上は細い目を少しだけ大きくしてから、うん、と頷いた。
「村上じゃなきゃ、だめだ」
観念して三崎は言う。ここが職場でなければ、いつまでももっとだって話をして、声を聞いていたかった。
← 5
→ 7
SにあるS大社はほどよく人がいて、しかし全く歩けないというほど混んでいたわけではなかった。参道はさくさくと進んだが、手水舎のあたりで少しもたつきはじめ、その最深部、拝殿の前が混みあっていた。賽銭を用意し、順番を待つ。白布がかけられた賽銭箱に五円玉を放って手を合わせ目を閉じたが、考えるのは村上のことばかりだった。あのキスはなかったことにされたのか。気持ち悪いと思われなかっただろうことは分かるが、その先が見えない。本音を言えば、もっとキスがしたいと思った。くちびるを合わせただけだなんて、野口に言ったらきっと、笑われる。
Sは、想像以上に寒かった。吐く息が白いのは当たり前で、幾日か前に降った雪は半端に溶けたまま凍り、足元を危なく光らせている。それでも村上は平気な顔で進み、カメラを構え、写真をぱちぱちと撮った。撮るのはやはり空ばかりで、そのまま後ろに転んで頭でも打たないか、ひやひやする。たまに三崎にもレンズを向けた。どういう顔をしていいのか分からず、三崎はマフラーに顔を埋める。
出店が境内にまで並んでいた。飴屋、だるま売り、熊手売り、ジャンクフードなど。村上はお神酒を買い求め、それをちびちびとやりながら、参道をくだった。くだった先に、村上が行きたいと言っていた銭湯があるはずだった。路地を入ったところにあったから少々迷ったが、営業していた。そこへふたりで入る。
ここは境内と違って、番台に座るばあさんの他には誰もいなかった。雑誌に掲載されていたくせにおかしいな、と村上は笑った。笑顔に胸を引き絞られながら、三崎も笑う。村上はぱっぱと服を脱いで先に浴室へ入っていった。
背の高い村上の、肉体が晒される。薄着のところは見たことがあっても、脱いだところまでは見たことがなかった。長い手足。きゅ、とくびれた腰も、締まった臀部も、三崎とは違って高い位置にある。肉体労働者らしく、上質な筋肉を備えていた。ふくらはぎはまるく、足首へと締まる。
思わず三崎は目を閉じた。一緒に風呂など、入れそうになかった。脱衣所にうずくまり、身体を反芻しながら、もだえる。あまりにも三崎が遅かったせいだろう、村上が全裸で戻って来た。
「――具合、わるいのか」
村上の声は不安に揺れていた。その声に、安堵する。村上、そんな声も出すんだな、と。三崎は首を横に振った。
「平気。ありがと」
「無理しなくていいぜ」
「いや、風呂入ってあったまりたいから、すぐ行く」
再び村上を浴室へ押しやって、三崎も服を脱いだ。村上に比べれば白く貧弱な身体にため息が出る。それでも寒い冬の日の風呂、という温みに、勝てない。
深呼吸をして風呂場へ向かった。
風呂からあがった後は髪をよく乾かしてから、外へ出た。少し歩こう、という話になり、自然と人のいない道を選んだ。神社の参道は混み始めていたので、商店街の方へ歩く。新年から営業している店はなく、人通りもない。シャッターの閉まった通りを、村上は写真に収めた。三崎はその少し後ろを、ぼんやりと歩く。
好きだという気持ちが溢れてくる。振り向け、と三崎は心の中で念じてみる。同時に、足元から不安が這いのぼってきた。村上は野口と三崎の関係を知っているのかどうか。村上と眠るようになってから野口とは連絡を取っていない。そういう薄情な関係を、村上に知られていたとしたらどうしようと思う。知られていなかったとしたら、黙っておきたい。つまりは自分をよく見せたいのだ。あくまでも純粋を装って。好かれたい、村上に。
振り向け、振り向くな。揺れる三崎の心に、村上は振り向くことで応じた。「そういえば」と言ったが、その後は継がなかった。
「――そんな顔、」
「え?」
呟くと同時に、村上の大きな身体が三崎に一歩近付いた。三崎より上部にあった顔が落とされ、くちびるとくちびるが重なりあう。風呂上がりに村上が舐めていた薄荷キャンディの甘さがうつされた。下唇をそっと舐められ、三崎はふるえた。
「三崎、」村上が囁く。低く、甘く、よく練られたダークチョコレートのような声で三崎を呼ぶ。
「高校のころ、前の座席は必ず空席だったけど、テストのときだけ埋まった。おれたちの席はいちばん窓側の通りで、陽がよく当たった。それで、」
至近距離で村上は熱心に囁く。三崎は耐え切れない思いでうつむく。
「埋まった前の座席に座るやつの、後ろ姿をよく見ていた。詰め襟と刈った黒髪のあいだ、首筋が見えた。陽に当たると、そこだけ発光してるみたいに白くて」
村上は手のひらを三崎の背後にまわす。コートのフードとマフラーとで隠されているが、村上に確かにそこを触られた、と思った。
「……それをよく見ていたことを、思い出した」
「……」
村上は瞳を細くさせ、蠱惑的に微笑んだ。三崎はたまらなくなり、村上から一歩身体を引くと、そのまま回れ右をして走り出した。
そんなに綺麗な人間じゃない、と思う。
村上が思うような、清い存在じゃない。眠るためにセックスがほしい、欲と欲が蛇のように絡んだ、あさましい人間だ。
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暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。
2021*12*04-2022*03*17
お久しぶりです。短編長編更新。
短編「さきごろのはる」
短編「月の椅子」
短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」
2021*08*16-08*19
甘いお菓子のある短編「最善最愛チョコレート」更新。
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