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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 終業後、駐車場に停めた車のキーをポケットから探っていると、背後から足音がして同時に「塩谷くん」と呼ばれた。
「川名さん」
「お疲れ様」
「先に帰ったんじゃないの?」
「んー、みんなにお土産ばら撒いてたら遅くなっちゃって」
 川名の車は、暁登の車の隣に停めてあった。彼女は傍に寄りつつ、「ちょっとだけいい?」と暁登を呼び止めた。
「――なにかあった?」
「……塩谷くん、そんなに思いつめて聞く話でもないから」
 軽く肩をはたかれ、暁登は瞬間的に昔を思い出した。「やだなあそんなに心配しなくても大丈夫だよ」とかつて彼女は暁登の肩を叩いてそう言った。修学旅行で、ちょっと友達と悪ふざけして一時行方をくらました彼女を、いたく気を揉みながら先生と必死で探して見つけ出した、その時の台詞と行動だった。
 それを告げると、川名は「あった、あった、そんなこと」と情けなさそうに笑った。
「あれは京都だったよね。ちょっと夜の京都を歩いてみない? って、エミちゃんたちと夕飯後に宿抜け出して。覚えてる? エミちゃん。いま警察官やってんだよ」
「え、意外。ヤンキーみたいになってなかった?」
「中高のときはね。でもその時お世話になった福祉のボランティアさんにすっごい影響受けて、頑張って警察学校入って、出て、警察官になったんだよ」
「へえ、すごいな」
「福祉ボランティアさんに、『きみの中には正義がある』って言われて、その気になっちゃったんだって。好きな人にそんなこと言われたらもう、目指すしかないよねえ」
「好きな人だったんだ、その、ボランティア」
「うん。恋はかなわなかったけどね」
「詳しいね」
「仲いいんだよ。結婚式の時も来てもらったし」
 川名はそう言ってスマートフォンを操作し、フォルダに収めたピクチャを見せてくれた。川名の結婚披露宴の写真は社内でも数回見たが(出席した女性社員に見せられたのだ)、新郎と新婦の背後にかつての級友らがいる写真ははじめて見た。なんだかんだ面影が残る写真は、単純に懐かしかった。
「元気そう」
「元気だよ、みんな」
 そう言うも、川名がスマートフォンの電源を落としたので、画面はすぐに暗転した。
「こないだも集まったんだ。お酒飲みながらねー、誰ちゃんは誰くんが好きだったとか、嫌いだったとか、そんな話したの。あのね、さっきの詩を見て思い出したよ」
「ん?」話がころころと変わるのでついていくのに必死だ。
「エミちゃんには、川名の初恋は絶対に三組のショウマくんでしょ、って言われて、私もそうそう、なんて言ってさ。確かにショウマくんのこと好きだったけど、でももっとたんぱくでシンプルに好きだった人がいる、って。それを思い出した。きみだよ」
 きみ、なんて滅多につかわない言葉で指されて、暁登は思わず目をひらく。きみ、と暁登を呼ぶ誰かがいるとしたら、あの人だけだと思っていた。
「え?」
「私、ちゃんと塩谷くんのこと好きだった時期が、あったよ」
 正面きって言われて、どうしていいのか分からずうろたえた。だが川名の方は大したことではないようで、「昔の話だよー」といたずらっぽい笑みで手をひらひら振った。
「あ、いや、」
「塩谷くん、ひとりだけなんていうのか、雰囲気あったもん。静かに滾ってる感じ。それが好きだなって思ったの」
「そうなんだ」
「そうだったんだよ」
「いや、なんか、……ありがとうございます、っていうか、ご愁傷様です、っていうか」
「ご愁傷様なんて言ったら、彼女が泣くんじゃない?」
「彼女? 誰?」
「いるんでしょ? すきな人」
 と言ってから、川名は「大事な人か」と言い直した。
「……うん、いる」
「だよね。よかった」
「どうして」
「告白しないまま終わった恋だったけど、あのころの私が報われた気がするから」
 川名の感情がいまひとつ汲めないまま、しかし彼女は「初恋ってそういうもんだよね」と続けた。
「あの詩集、早く出版にならないかな。エミちゃんとか、いろんな人に薦めたい。そういう、はやる気持ちにさせるよね。読んで、想像して、わーっていろんな感情に浸されたい」
「川名さん、それでおれにこんなこと話してくれてんの?」
「ならない? なんか大事な人にすぐ会いたくなっちゃうような気持ち。昔を懐かしんで惜しむような気持ち。不思議なあったかみ、みたいなの」
 私は旦那さんの顔が見たいよ、と川名に優しく押され、暁登は目を細めた。
「――そうかもしれない」
「ねー」
 今夜約束をしていても。
 あの人に会いたい。



→ 3

← 1




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 土はスカスカで乾いていた方が水を含む、といつか早が言っていたことを思い出した。
 異国の言語もそういうものかな、と暁登は思う。飢えていた方が吸収する。いままで乾いてひび割れていた場所にひとたび水が落ちれば、それをあっという間に吸い込まれる。乾く前に次の水が欲しい。欲しい、欲しいと切実に欲しがっていたら、雨水は猛烈なスコールとなって暁登に降り注いだ。
 いくら乾いていたとはいえ、ある程度の容量しか含むことは出来ない。そこへまだ水が注がれるなら、飽和する。いまの自分は多分そこにいるんだと暁登は想像した。飽和すれば、溢れ出す。どこへ溢れるのか。――体の内側に言語を留めておけなくなったのだ。つまり、言葉として勝手にこぼれる。
 塩谷くん、と呼ばれて我に返る。昼過ぎにメールで届いた原稿を読みふけっていて時間を忘れていた。気付けば三時をまわっており、事務の川名がコーヒーを入れたカップを手に傍らにいた。
「休憩しましょうって社長が」
「――あ、悪い、集中して全然気付かなかった」
「何回も呼んだのに」
「ごめん。ありがとう」
 カップを受け取ると菓子もまわってきた。個包装のそれの中身はレーズンとクリームを挟んだビスケットのようだ。今夜は樹生に会うので持っていってやろうかと考えて、やめた。包装を剥がしてビスケットを齧る。
「あ、美味い」
 誰に聞かれても聞かれていなくてもどうでもいいようなひとり言のつもりだったが、隣の椅子に移動してきた川名が「でしょう?」と嬉しそうに答えた。
「お土産なんだから、それ」
「ああ、新婚旅行の。北海道だっけ」
「そう」
「せっかくなら海外に行けばよかったのに」
「いいんだよ、新婚旅行なんだから。見知らぬ海外行ってなにも分かんなくて苛ついて喧嘩したなんて思い出作るより、絶対にアタリだと分かってる場所で楽しい気分でいた方が」
 そう言って川名はころころと笑う。カップを持つ手が揺れて、川名の左手薬指にはまった結婚指輪の存在を意識した。
 川名柚葉(かわな ゆずは)は暁登の中学校時代の同級生だった。三年間同じクラスで、臨海学校やら修学旅行などの野外活動時に同じ班で行動もしたのでわりとよく覚えていた。高校から違ったが、暁登の再就職先であるこの「詩烏出版」に事務として雇われていて、再会となった。そしてこの冬の終わりに入籍し、隙を見て新婚旅行に行ったのがつい先週のことだ。
 結婚したのだから姓が変わったのだが、本人は「手続きが面倒だから」と言って職場では当分は旧姓で通すという。かつての同級生同士、あれやこれやの全てを知っている訳ではないが、気心は知れている。成長期のお互いを知っているというだけだが、いちから説明しなくていい分、楽だ。気安く話せる人がひとりでもいると違うものだな、と暁登は川名の存在をありがたく思っている。
 熱心になに読んでたの、と机に据え付けのデスクトップパソコンを川名が覗き込んでくる。暁登は椅子を下げてモニターを見やすいようにしてやった。
「――ああ、メイ先生の?」
「うん。原稿の翻訳。さっき届いて」
 ふたりが勤めるこの詩烏出版は、絵本や図鑑、地域に関する本の出版がメインだが、海外の作家の本を翻訳して出すこともしている。国もジャンルも様々で、担当者が「この本」「この作家」と思ったものを見つけてはいち早く連絡を取り、出版にこぎつける。暁登はこのいわゆる「海外部門」に採用されているので、作家とのやり取りも他言語を使うことが多かった。
 もっとも、作品の翻訳はプロに依頼している。暁登はただ仲介をして、編集をするだけだ。それでもやりがいを感じている。アルバイトで採用された身だが、留学の面倒を見てもらったばかりかその後正社員として雇ってもらえた時は、本当に嬉しかった。
 いま暁登が担当しているのは、台湾出身の作家の書いた詩集だ。作家自身は親日家で、日本語に堪能なのでメールや電話のやり取りは苦労しない。ただ、原稿は中国語で書いている。受け取った原稿を翻訳家に渡し、その訳が戻ってきたところだった。
 この作家は詩烏出版からすでに二冊、本を出している。今回は三作目だ。センシティブに見えて強かな詩は、地味ながらもじわじわと販売数を伸ばしている。今回の出版を心待ちにしているファンもいる。
 翻訳家が示してきた日本語訳を読んでいると、原詩に目を通してみたい気持ちになった。これは毎回、どの国のどの作家に対しても思う。ウインドウをひらき直して中国語の詩と日本語訳とを比べて読んでいた。だから暁登のデスクトップにはいまいくつかの窓が開いていた。
 今回は恋の歌が多い。作者がそういう恋をしているのかと錯覚するようだ。三作目にして、これは大きく当たるだろうな、という予感がしていた。ついのめり込んで読んでしまった自分がいるのだから、きっとそうだ。
 川名が「これ知ってる」というので驚いて隣を振り返った。
「知ってる?」
「うん」
「え、それってちょっと」既に発表されているのだとしたら、大きな問題だ。
「ああ、そういうことじゃないの。この文章を読んだことがある、ってことじゃなくて、この表現を知ってる、ってこと。ここの意味が分かる、ってことかな。よく使う言い回しだから」
「そういうこと」単純にほっとする。
「川名さん、中国語が出来るんだ?」
「出来るってほど出来るわけじゃないよ。大学時の第二外国語で選択してただけ。ただまあ、こんな会社の事務とかしてますからねえ。言葉や言語に全く興味がないわけじゃないのよ」
「それもそうか」
「そうそう」
 どこ、と彼女が「知ってる」と言った箇所を訊ねた。川名はマウスを動かし、その部分だけくるくるとデスクトップ上に円を描いた。
「なんて読むの?」
「xiǎng」
「あ? なに?」
「ふふ。この漢字は、xiǎng。ここはね、――」
 そう言って川名は詩の一節を流暢に発音した。


→ 2



暁登が留学先から帰ってきたその後の話。
「秘密」番外編もこれでいったんラストの予定です。(5話ほど。)
最後までお付き合いください。





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 性急なセックスの後、外へ出た。夕立はあっという間に過ぎ、暗くなった空には星が見えている。雨のおかげでそこらはひんやりとしており、ここのところ熱帯夜続きだったので冷涼な風は気持ちがよかった。
 ふたりとも腹が減っていた。近いところでいいか、とアパートの傍にあるラーメン屋に入る。冷やし中華を注文してから、暁登が「そういえば今年は冷やし中華を食べるのがはじめてだ」と呟いた。「もう夏も終わるのにな」
「おれは早先生の家で食べたよ。暁登のいないとき。ああ、藍も一緒だった」
 この夏、樹生の姪・眞仲藍は早の家に滞在していた。二週間の約束だったのですでに家に戻ったが、その後早の元には丁寧に礼がつづられた手紙と、写真が送られてきたそうだ。それは新生児を抱いた母親を中心に家族が取り囲む、眞仲家の記念スナップだった。
「藍ちゃん、元気?」と暁登が尋ねる。
「おれが会った時はあんまり元気じゃなさそうだったから」
「元気だよ。藍はあのテンションが通常だから。そう、暁登にもお礼を言ってくれ、と頼まれてたんだ」
 思い出して、樹生は財布に挟んでいた紙片を取り出す。年頃の女の子が使うようなパステルブルーの便せんを複雑なかたちに折りたたんである。暁登に渡すとわけが分からないという顔で紙片をひらく。中にはまるっこい字で「水晶、ありがとうございました。綺麗です。大切にします。」と綴られていた。
 暁登はそれを読んですっと目を細めた。照れや喜びを、この男はこういう表情で隠す。樹生はすこし笑った。
 紙片は樹生の財布から、暁登の手帳へと移る。やがて冷やし中華が運ばれてきた。ふたりで麺をすする。
 店を出た後、暁登が「少し歩きたいけどいいか?」と言うので、アパートへ戻る道をわざわざ大回りに外れた。車通りのない道を選んだら、住宅街に入ってしまった。家々にはそれぞれの明かりが灯り、時折、食卓のこうばしい香りや、風呂場の湿気た入浴剤のにおいが漂った。空き地で花火をしている親子もいて、そのちいさな火力の閃光をふたりで眺めつつ、歩く。
 子どもらのはしゃいだ声を遠くに聞きながら、「留学する」と暁登が唐突に言った。樹生は驚いて恋人の顔を見る。暁登は前を向いたままだ。
「――え、」
「うん、すこし日本を離れて生活するんだ」
「いつ?」
「早ければこの冬から。遅くても来年の春には、かな」
「どこへ?」
「ウェールズ……イギリスの、西の方」
「……どのくらい?」
「まず、三カ月がめどかな。長くて半年」
 それを聞いて、樹生はなにも返答できなかった。暁登は樹生の顔を見上げて、「そんな顔するなよ」と言った。
「するだろ、『そんな顔』……。どういう経緯? 仕事は? せっかく続いてるのに辞めちゃうの?」
「辞めないよ。そもそもこの留学ってのは会社と相談して決めたんだ。海外部門をもう少し拡充させたいって前々から社長は思ってたみたいでさ。人手不足もあるし、おれをバイトから正社員にあげようか、って話があった。ただ、語学にもうちょっと堪能であってほしいんだよねって言われた。
 それはおれも思ってて、出来れば海外留学をしてみたいんです、って思い切って言ったんだ。そしたら社長、その必要性を感じてくれたみたい。日本を懇意にしてくれているイギリス在住の絵本作家がいて、その人のところにホームステイしながら語学学校に通うってのはどうだっていう案を出してくれたのは同じ部署の先輩。いまその絵本作家とやり取りして話を詰めているところ。……それで戻ってきて、一定の語学力を認めてもらえたら、正社員に」
「……すごい話じゃないか」
「おれもそう思う。もちろん、ある期間内に結果を出さなきゃいけないから、プレッシャーや、怖いって気持ちがないわけじゃないけど、チャンスだから、……だから行こうと思ってて」
 暁登の表情に迷いがなかったので、樹生はほっとしつつ、淋しさに貫かれた。帰って来るのだ。帰国を前提に話が進められている。けれど三カ月から半年はこの国からいなくなる。その間、会えない。
「淋しい」と口をついた。本来ならば「おめでとう」とでも言って祝福すべきだったのに、本音がぽろりとこぼれる。
「あんたには早先生も姉ちゃん一家も、職場の仲間もいるだろ、」
「うん。だけど、あきに対してはそういう淋しさじゃないんだ」
「……分かるよ」
 暁登は周囲をそっと見渡してから、手に触れてきた。約束ごとをするみたいに、小指と小指だけを絡ませる。
「でも、行くって決めた。これから準備で慌ただしくなると思う」
「そっか」
 繋いでいない方の手で樹生は額を押さえた。「あー」
「あんた、浮気すんなよな」
「こっちの台詞だって」
「あっという間だよ、きっと」
「いや、……淋しいよ」
 淋しい、淋しい、と子どもみたいに口にする。「うるさい」とまたうんざりした顔で言われると思ったが、暁登はなにも言わなかった。
 軽く握られていた手に力がこめられ、それからすぐに離された。しばらくして車が通りかかる。ライトで照らされ、車が過ぎて、また暗くなる。とん、と指に触れ、それを合図にまた小指同士を絡めなおす。
「アパートはどうするの?」
「借りてても仕方がないから解約だろうな」
「まあ、……そうだよな、」
 大回りしているはずが、いつもの道に戻った。明日はお互い仕事なので、今夜のうちの暁登は帰るだろう。だがそれが嫌だ。今夜はひとりで夜を過ごしたくない。
 アパートの前まで来て、手が離れる。じゃあ、また、で去ろうとする背中に「帰らないで」と懇願していた。
 暁登は驚いた顔でこちらを向きなおした。
 それからふっと笑う。
「――どうもおれはだめだな」と言った。
「あんたには甘くなる」
 どうやら今夜は一緒にいてくれるようだ。樹生の傍までやって来ると、背をはたき、先立って部屋への階段をのぼり出す。
 留学を自分で決めても、離れることが辛くないわけじゃない。暁登も暁登の淋しさを抱えている。
 部屋の鍵を開けると同時に樹生は暁登を抱きしめた。よく抱き馴れている体だけれど、抱きしめるたびに自分は恵まれていると実感する。こういうぬくもりをいつでも誰もが手にできているかは分からない。人と人とのことだから。
 暁登の心臓が速い。自分のそれも速い。抱きしめ返されてうっとりとその感触に酔う。こういう日がこの先も幾晩も迎えられますようにと、願う。


End.


← 前編




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 遠くで雷鳴を聞いた気がして、眠りから浮上した。
 目を開ければそこは見慣れぬ天井で、次の瞬間には「見慣れない」と思ってしまった自分に苦笑いする。ここは樹生の部屋だ。引っ越してもう数カ月は経つ。だというのにそんなことを思うのは、樹生がこの部屋にろくに帰って来てはいないからだった。
 暁登との暮らしを手放し、改めてひとり暮らしを始めてみたものの、樹生にとってこの部屋はあまり「いらない」ものだった。以前に比べて頻繁に早の家に出入りしているし、暁登のアパートにも行く。樹生は淋しがりなので、ひとりの空間、ひとりの時間を持つよりは、そこに誰かがいなくても「この人が存在している」と思えるような場所で過ごす方が好きだった。安心して、落ち着く。自分だけの空間を持つ大切さも分かるけれど、例えば仕事あがりに暁登の部屋に合い鍵で入って、暁登がそこにいなくても暁登が暮らしている空間でごろごろしている、その方が自分という人間に合うと感じている。
 だからこの部屋は本当に仮宿だ。だがその生活に不満を持っているわけではない。とりあえず、いまのところは。
 辺りはほんのりと暗くなりはじめていた。樹生はそっと体を起こす。ブルーグレイの夏用の掛布団をめくると、そこにすっぽりと潜りこんで眠っている恋人の裸体があらわになった。
 樹生に背を向けて、丸くなってすうすうと眠っている。暑くないんだろうかと肌に触れると、さらりと乾いていた。昼間、わざわざクーラーを効かせた部屋で汗まみれになる行為に没頭して、そのまま眠り込んだはずだった。あんなに熱く湿った肌がもう乾いている、その事実に情欲がむくむくと頭をもたげる。髪に触れ、撫でながら、こめかみにキスをする。伝って耳を甘噛みし、頬にまた唇を寄せる。
 ん、と声を漏らして恋人がゆっくりと目を開けた。ごろごろとまた遠くで雷鳴がする。先ほどよりも音が大きいように思う。雨が近いのか。
「……どうした?」
「……」
「淋しいの?」
 眠りから覚めたばかりの、舌足らずに掠れた声で問われる。目覚めなんていちばん自分と外界との境界が危ういときに、樹生のことがいちばんに出たことがとんでもなく嬉しい。たまらなくなって唇を唇で塞ぐ。開いた唇から舌を入れて絡ませると、はじめは戸惑っていた恋人もうっとりと舌を押し付けて来た。
 のしかかりながら空いた手で片方の胸の尖りを探る。摘まんで少し強めに潰すと、暁登は鼻にかかった甘い声を漏らす。キスが気持ちよくてやめられないのに、息が上がって苦しくなったから仕方なく唇を離す。樹生の腕の下でとろりと融けた目をしている恋人は、寝起きを襲われてなにがなんだか分からない、という様子だ。それでも徐々に瞳の焦点が合って来た。
「――あき、起きた?」と目を覗き込んで訊く。太腿で恋人の性器を押してやると、暁登は心底鬱陶しそうな顔をした。
「起きた。――起こしてくれてありがとう」
「どういたしまして」
 あー、と暁登は顔を手のひらで顔を覆い、揉む。太腿の辺りで熱くなり始めている性器に直接手を伸ばすと、そこはみるみる硬く勃起した。
「していい?」
 暁登の手を取って、樹生の性器に触らせる。暁登は「いやだ」と言った。樹生の手から逃れるように体勢を変え、うつぶせになってしまう。樹生は「どうしていやなの」と恋人にぴったりくっついて耳元でささやく。
「――それ、ずるい」
「ずるいって、なにが?」
「あんたの声。……あーもう、起きたらどっかめし行こうって、言ったじゃん」
「でも外、雨になるんじゃないかな」
 応えるようにして再び雷鳴が轟く。部屋の中が急速に暗くなり、やがてばたばたと雨の落ちる音が響き始めた。
 いったん降りはじめれば、それはもうバケツをひっくり返すかのような土砂降りになった。
「ほら」
「すぐ止むよ……」
「なあ、暁登」
 うつぶせた暁登の尻たぶに、樹生の猛った性器を擦りつける。ぬるぬると先走りでぬめる。暁登は戸惑うそぶりを見せたが、やがて樹生が暁登の片足を持ちあげ窄まりをあらわにすると、抵抗らしい抵抗も見せなかった。
 昼間、散々つながった場所に、性器を潜り込ませる。たやすく呑み込んで、そのねっとりとした心地よさに樹生は荒く息を吐く。片足を持ちあげたまま背後から樹生は注挿をはじめる。はじめはゆっくりと、小刻みに揺するように。暁登は枕を引き寄せてそこに顔を埋め、声を必死で我慢していた。
「声、聞かせて」と言うと、「いやだ」とまた言われた。
「……壁が薄い、」
「雨音で聞こえないよ」
 体勢を変え、暁登を膝の上に乗せて後ろから抱きしめる。胸の先はピンと男を誘うように尖っていて、性器はすっかり上を向き、精をたらたらと垂らして結合部分へと垂れていく。
「聞こえないよ」
「――あっ!」
 そのまま前に倒し、獣がつながるような体位で暁登を穿つ。こらえきれなくなった暁登の声が漏れる。暁登が気持ちいいと感じる場所のことならとうに分かっている。そこを性器でこすると、暁登は「やだ、だめっ」と言って太腿を震わせ、次の瞬間にはシーツに射精していた。
 放出でぐったりする体を、樹生は容赦なくむさぼる。雷鳴とどろく土砂降りを安全な屋内で感じ取りながら、今日幾度目かの精を暁登の中に吐いた。



→ 後編



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 さらに数日が経ち盆が過ぎた。夏休みもいよいよ終盤だ。家のインターフォンが鳴らされ、藍は早に言われなくても玄関へと向かう。扉を開けるとそこに立っていたのは「アキト」だった。登山の帰りなのか、スポーティないでたちだった。
 家にあがるのか、早を呼ぶかと迷っていると、暁登は藍に向かって手を突きだした。なにかを握っている。
「え?」
「やる」
 ぶっきらぼうに言い、藍の手のひらにぽとりとそれを落とした。手のひらに収まるサイズで、土で汚れてはいたが白く、所々に透明で、ずしっと重たかった。
 暁登は「綺麗な三角錐じゃないけど」と言う。
「これはなんですか?」
「水晶の原石、だと思う。沢筋に落ちてたの、拾った」
「水晶って拾えるんですか?」
「場所による。おれが今日行ってきた山はY県なんだけど、そこは拾える」
 藍は目をぱちぱちと瞬かせる。こんなきれいなものをこの人は拾って来た。
「今度は落とすなよ」
 そう言って暁登は早に挨拶もせずに身を翻して行ってしまった。
 水晶はなめらかで、藍はそれの感触を確かめるように何度も指でなぞる。確かに綺麗な三角錐などではないが、面で構成されているつめたさは、いつか藍が失った三角錐を思い起こさせた。そうやって玄関に立ち尽くしていると、また扉が開いた。今度は叔父だった。玄関すぐそこにいた藍を見て驚いていたが、すぐに笑みに変えた。
「藍。それ、なに?」
「水晶、……だそうです。暁登さんがいまさっき来て、くれて」
「そっか」
 なんとなくそれを触っていると、叔父が「行こうか」と言った。
「え?」
「病院」
「どうして?」
「藍のきょうだいが生まれるって、いまさっき曜一郎さんから連絡があったんだ。茜もちょうど帰国したところで、空港からこっち向かってるって。眞仲家は全員集合せよ、だってさ」
「生まれるの?」
「そうみたいだ。急いで支度をしておいで」
 藍は頷き、早に断ってから鞄と帽子をひっつかんで叔父の車に乗り込んだ。早はにこにこと笑ってふたりを送り出してくれた。
 きょうだいは、女の子と男の子、どちらが生まれるのだろうか。ニューフェイスは美人だろうか、不細工だろうか。どっちでもいい。生まれれば五人家族になる。
 五角形って好きだな、と藍は思う。星みたいなかたちで。五つの頂点を持つ立体は双三角錐だ。そういえばここへ来る少し前にそういう菓子を食べた。琥珀糖、という菓子は半透明に色がついていて、藍が食べた琥珀糖はどういう作り方をするのか、頂点が五つあった。あれは甘いもの嫌いの母が珍しく買ってきた。「藍が好きそうだと思って」と母は言った。
 私、お母さんのことちゃんと好きなんだな、と思ったらなんだか可笑しくて、おなかの奥底がじんわりと温かくなる。お父さんも好きだ。藍に甘い。茜だって好き。喧嘩するときもあるけれど、離れていたら会いたくなっているからきっとそういうことだ。
 五人目のことも好きになれる。
 手の中の水晶をそっと転がす。なにか底から聞こえるものがあると思っていたら、それは叔父が低音で歌う鼻歌だと気付いた。


End.


← 6



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プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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