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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 考え直せと言われても、こちらとしては考えに考えた結果の進路希望だった。
 昔から絵本や図鑑、写真集など文字よりも絵のついた本を眺めることが好きだった。子どもっぽいと言われればその通りだろう。年頃になり、中でも惹かれたのがとある冒険家兼写真家の随筆集だった。作者の言葉の数々と共に随所に写真が入った。普段は文字など読みたくもないくせに、そのときばかりは耽った。中でもある一節が心に刺さった。
『一瞬は簡単に過ぎる。いつの間にか美しいときも醜いときも悲惨なときも幸福なときも過ぎている。だがいまのカメラはそれを収めることが可能だ。南フランスの教会で行われていたささやかな金婚式の、老婆のあの笑みを写したとき。ひるがえったレースのスカートのひだの造形のなめらかさ。もしくはタイでバイクの荷台いっぱいに荷を積んだ青年の、金を稼ぐために必死でいる顔の、額の、汗のひと筋。強いまなざし。これを写せたとき。僕は僕として生きた価値を見た。』
 これにやられてしまった。それから父親から古いカメラを譲り受けて写真家の言う「一瞬」に目を凝らすようになった。意志があれば、技術はスポンジに垂らす水のように次々と吸収できた。高校に入って当たり前のように写真部に入部したが、家ではできないような暗室作業も出来て、楽しくて仕方がない。これをこの先も続けていきたいと思う。それはゆるぎない決意だった。
 進路志望を変えつもりは毛頭ないし、ありがたいことに家族もそれを応援しているのだからもう道はひとつだった。進路は変更しません、家族も認めてくれています。柾木にそう伝えたのは青沼も同じで、柾木はいつもの人を小ばかにするような醒めた目でふたりを眺め、「ふん」とだけ言って冬休みに突入した。柾木がなにを考えているのかは分からないが、本人が望まない進路指導をするわけではなかった。外れものふたりのことは、どうでもいいのかもしれない。
 冬休み、学友たちは予備校通いに忙しい様子だったが、慈朗は短期のアルバイトをすることにした。学校では基本的にアルバイトを認めていない。している暇があるなら勉学に励みなさいということだ。接客業ではばれると思い、時給がよいこともあって運送会社の荷の仕分けのアルバイトをした。配送に使うトラックの発着口と接しているため、仕分けするラインは構内にあるといえどもほぼ外にいるのと変わらない。体を動かす作業なので体は温まるのだが、指先はいつまでも冷えたままで、これが困った。口元に何度も手を運び、息を吹きかけてはまた荷を分ける。分けた荷は方面別に分かれているパレットに載せておく。歳暮のシーズンでもあるので仕事はいくらでもあった。
 佐々木(ささき)というベテランの社員にくっついて仕事をしていた。五十代中ほどの人の好い性格で、頼りになった。大晦日、「明日は休んでいいよ」と言って蕎麦を持たせてくれた。なんでも蕎麦打ちが趣味で、ゆくゆくは店を構えたいと考えているほどだという。礼を言い、職場から帰る途中、見慣れた背中を発見する。青沼だった。
 どこからの帰りなのか、うつむき気味に道を歩いている。声をかけると驚いた風に振り向いたが、慈朗の顔を見るなり笑顔になった。鼻と頬が冷気で赤い。指摘すると「おまえもだぜ」と笑った。
 自転車を下りて一緒に歩いた。予備校にでも行っていたかと尋ねると、「バイトの帰りだ」と答えた。
「え、バイト? おれもバイトの帰りだよ。どこでバイトしてんの?」
「A物産っていう会社の冷蔵倉庫。超でっかい冷蔵庫の中で荷物をあっちに運んだり、そっちに下ろしたり」
「まじで? おれもおんなじようなことしてる。運送会社の荷物の仕分けだよ」
「あー、だよな。接客業は学校にばれるもんな」
「そうそう。コンビニとかだと家から近くていいんだけどな」
 柾木の言う通りで、美大は金がかかる、という話になった。だから微々たる金額であっても、いまのうちに少しでも稼いでおきたいのだ。とりわけ青沼の家は事情が少し重い。母子家庭で、母方の祖父母が支援してくれているとはいえ、いまのうちからの稼ぎは重要になってくる。
「あ、そーいやあさ」
 自転車の前かごに乱雑に入れたビニール袋に手を伸ばした。
「青沼んちって、年越しそば食う家?」
「年によるかな。今年はおふくろが夜勤で――あ、おふくろは看護師なんだけどな、まあそんなわけで今年はおれひとりで年越しだから、蕎麦の用意はしてないよ。ふたりのときは、なんだかんだでおふくろが作るんだけどな」
「あ、そうなの? だったらさ、これからうちに来ねえ? この蕎麦、手打ちなんだけどさ、バイト先の人がくれたの。でも余りそうだから、せっかくだし食ってけよ」
「え、でもいきなりは悪いだろ」
「気にするような家じゃないんだ。家族が多いからやかましくてうるさいってのは勘弁なんだけど。ちょっと美大予備校の話も詳しく聞いときたいし。青沼の方が詳しそうだから」
 そう言うと青沼はすこし困ったような顔をして、しばらく思案したのちに「ならお言葉に甘えようかな」と言った。決まれば早い。ぐずぐず歩いてると寒いまんまだからさっさと行こうぜと言って、自転車にふたり乗りして家まで戻った。


← (1)

→ (3)




拍手[6回]

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A.


 提出された二枚の進路調査票を机に並べ、教師はあからさまにため息をついた。
 そのため息の後、教師の向かいに座るふたりの生徒のうちのひとり、青沼恵士(あおぬまけいし)に鋭い視線を寄越し、また書類に目を落としてから、今度は雨森慈朗(あまみやしろう)の方を見た。吊り上がった目は怒っているようで、実は呆れてもいるのだろう。とにかく不愉快極まりないという体で、教師は二度目のため息をつき、口をひらいた。
「青沼、雨森」教師の声は普段よりも低かった。
「なんでふたりとも揃ってS美術大学だ。青沼は工芸科、雨森は映像科――おまえらふたりの成績なら一般四大で充分通用する。考え直せ」
 高校二年生の十一月、進路指導が進路指導室にて進路指導教諭である柾木(まさき)によってふたり同時に行われていた。柾木のこの異例ともとれる進路指導には理由がある。ここがもう少し学力のランクの低い、進学校ではない高校であったら、あまり問題はなかったのかもしれない。しかしここは県内有数の進学校であり、進学希望も有名私立大や難関国立大学の名がずらずらと上がる。事実、そこへの進学率は非常に高い。その中で芸術を極めたい――しかも理論系ではなく実技系へ行きたいと希望するのだから、柾木の頭は非常に痛いに違いなかった。
「まず、青沼」と柾木は雨森の隣に腰かける友人を名指しした。
「おまえの成績ならS美よりも狙えるところがたくさんある。どうしても美術にこだわるなら一般大学の教育学部で美術教師の手もある。分かってることとして言っておくが、工芸の道で食べて行けるやつはそう多くはない。それに、S美は絵画や彫刻に明るくても工芸の分野はおそまつな限りだ。工芸を選んでもどうしてもアート系に流れる学生が多くてな、技術もろくに習得できない。だったら直接生活に結びつく進路がおれはいいと思う。せめて陶芸の研究所とか、木工の技術専門学校とか」
「どうしてもS美がいいんです」友人は譲らない。
「夏にオープンキャンパスに行きました。あ、雨森も一緒だったんですけど。構内や学生の明るくて豊かな雰囲気に惹かれました。キャンパスが広くて緑が多いのもいいですね。おれ、……僕は、S美術大学へ行きたいです」
 それを聞いて柾木は心底面倒くさそうな顔をした。そして「次は雨森」とこちらの名を呼ぶ。
「おまえはなんだ。緑が多いのがいいってお前まで言うのか?」
「僕も確かにキャンパスの明るい雰囲気には惹かれましたが、……単純です。映像科写真コースの非常勤講師に、自分の好きなフォトグラファーがいるんです。その人に教われたら、と思って」
「ふん」
 ふ、と柾木はため息をつく。それから「美大は金がかかるぞ」と言った。
「私立大以上にだ。生活費や学費に加えて画材、機材、制作費。実技試験対策の予備校にも通わなきゃならんが、この辺りの予備校だと美術を教えるところはないからな。遠い街のアートスクールに、下手すれば下宿で通う羽目にもなるだろう。一浪二浪は当たり前だ。そうまでして行きたい大学かどうか、もう一度考え直せ。まだ、間に合う」
 なにに間に合うのだろうと思ったが、口にはしなかった。きっと隣の青沼も同じことを考えているだろう。柾木は眼鏡をはずして眉間を揉み、「もう一度ご家族含めて進路を検討しなおすこと」と言い、退出を促した。
 その際、青沼がぽつりと「赤城(あかぎ)先生は」と口にした。
「あ?」
「いえ、なんでもないです」
「なんでもないならもう帰れ。次も同じ進路希望出してきたら親も交えるからな」
 行け、行け、という風に柾木は手を向こうへ振った。失礼します、とふたりで進路指導室を出る。廊下を歩きながら、中庭に植えられたイチョウがかなり色づいてきたなとどうでもいいことを思った。
「なんであんなに柾木のヤローは美大進学を嫌がるのかね」
 そう言うと、青沼はうーんと考え、「美大ってよりも、S美だからじゃないかな」と答えた、
「そうなの?」
「今度、赤城先生のところに行こうよ」
「赤城? 国語科の?」
「うん。赤城先生はS美出身だから」
「え、でも国語と関係ないじゃん」
「本人の中では繋がってんだ。面白い話、聞けると思うよ」
 昇降口までやって来て、青沼は市立図書館へ寄るから、と言った。慈朗は自転車通学で、帰る方向が違う。じゃあまたな、と手を振って別れた。


→ (2)


ご無沙汰しております。
だいぶ前に書き散らかしていたものを、今頃になって書き直したものです。
しばらくお付き合いいただけますと幸いです。









拍手[11回]

 崩れるようにシーツに沈む。樹生は着ていたシャツを脱ぎ捨て、暁登の上にのしかかってくる。無我夢中でキスをした。暁登は樹生の両の頬を包んだし、樹生は樹生で暁登の体をまさぐり、衣類を簡単に剥がした。
 ふたりとも互いの体を残らず喰ってやろうと躍起になる。キスの痕ぐらいは簡単で、舐めるよりは噛んだし、噛むよりは齧った。手でひっかいては爪痕を残し、体がしなれば、そこばかり嬲った。擦って、すすり、吸いあげる。思いがけず樹生の精液を顔で受け止めるはめになっても、夢中で全く気にならず、むしろ喜んでそれを舐め、体に取り入れる。
 男の長いもので体を割りひらかれて、暁登は歓喜の声をあげた。同時に猛烈な寒気を感じて、気付けば射精していた。つま先が反り返る。いつもなら一度出してしまうと男に動かれるのがつらくて、出した後はすこし待ってくれと頼んでいた。それをよく分かっている男は、暁登がいったのを確認して動きを止める。浅く息を吐きながらも快感を殺している。それが今夜ばかりは、もったいない気がした。
 動いていい、と伝えると、樹生は戸惑うそぶりを見せた。
「辛いんだろ、」
「辛くていい」
「いいの?」
「いい。――おれ、多分、きっと、いままでで最高にどうにかなってるから、あんたもなってよ」
 言うと同時に奥の奥まで押し込まれて、息が詰まった。内部が熱く男に絡んでいるのが分かる。樹生とのセックスはいつも優しく、気遣われてばかりだった。樹生以外の他の誰とも経験はないし、これからもするつもりはないから比較しようがないが、こんなに擦り切れそうに肌を合わせておいてもどこかに「気遣い」という隙間があった。ほんの少しのゆとり、もしくは境界。
 そんなの惜しいに決まっているのに、いままで気付かなかったな。
 激しく腰をつかわれて、暁登も樹生の腰にしっかりと足を巻き付けて応える。ふたりしてヘッドボードへずり上がっていくのを樹生の腕がとどめ、態勢を変えてまた貫かれた。酩酊していく意識の底で、暁登には不思議と昼間の川名の発音が響いていた。これはね、恋人同士がつかう表現なんだって。愛している、よりは少しニュアンスが親密なの。
 乾いていた土は樹生でいっぱいに満たされる。満たされて、飽和する。
 ――ウォシャンニィ。
 貫かれたままたくさんキスをした。その合間、吐息とともに唇から言葉がこぼれ出る。樹生は低く呻いて暁登の中に熱く精を放つ。乗っ取られたみたいで、同化したみたいで、――それが本当に気持ちよかった。


 湯を浴びるとやんちゃをしたせいで体のあちこちがヒリヒリした。あー、こんなとこ引っ掻いたな、などと思いながらも遠慮なくシャワーをつかわせてもらう。朝の光が浴室を金色に染めていて、自身についた傷もよく確認出来た。
 約束は約束なので、暁登はこれから洗濯などの家事を担当する。ついでに弁当も作る。休みの日だからベッドで寝こけて樹生を見送らない選択をしても良かったのだが、どうせ炊いた米を握るぐらいしかしないしな、と思って起きた。シャワーを浴び終えて脱衣所を出ると、樹生は洗面台で髭をそっていた。おはよ、おはよう、と短く挨拶をする。
「昨夜、なんて言ったの?」と訊かれ、暁登は素直にとぼけた。
「なんとかかんとかって」
「なんとかかんとか」
「早口で聞き取れなかった。けど、あんな風に囁かれたらもう、だめになるよ」
 頭をかりかりと掻いて照れを逃している恋人を見て、あああれかと思い至る。飽和してしみ出したあの言葉。
「xiǎng」
「シャン?」
「うん。あんたはそれだけ分かってればいい」
「いや、全然分かんないんだけど」
「おれはあんたに対していつもそうだよ、ってこと」
 心底分からない、という顔をしていたから、その眉間を指で軽く突く。いて、と樹生はのけぞる。
「それっておれが自由に解釈してもいいってこと?」
「そうだね、お好きに」
「そういやおれ、暁登くんから好きだとか愛してるとか言われたことないよね」
「あんたも言わないだろ」
「恥ずかしいじゃん」
「そうだな」
 適当に答える中で、でも分かってしまった。恥ずかしいから口にしないだけで、想ってくれている、ということ。
「なあー、シャンってなにー?」
「ほら、着替えろって。遅刻すっぞ」
 暁登ぉ、とうだうだ言う大きな体をのかして、暁登はキッチンへ歩いて行く。
 ウォシャンニィ。よくも咄嗟に出て来たな、と暁登は思う。
『我想你(ウォシャンニィ)は、文字通り“あなたを想っているよ”って意味。我愛你(ウォアイニィ)はアイラブユー、とてもストレートで強い言葉だけど、親密な仲になるほどそういうのって使わない気がする。だからかな、こういう表現を持ってくるってのが、この人の詩がすごく深いところに突き刺さるっていうか』
 川名は、こう説明してくれた。早く出版にならないかな。暁登もそう思う。
 好きだ、も、愛してる、も、暁登は今後も言わないだろう。咄嗟に出た我想你でさえもきっとあれで最後だ。大事なことはいちばん伝えたいときに伝えられた。
 もう二度と言わない言葉の数々。けれど出版された愛の詩集は、恋人に贈るだろう。暁登からの数少ない贈り物。恋人は活字なんかまどろっこしくて嫌いだから、きっと読まない。三行読んで眠るのはもう分かりきっている。それでも贈りたい。
 あなたがかけがえなく大切で大好きだと、いつも思っている。あなただってそうなのだと、昨日よく教えてもらった。
(同じところに帰ろうよ)
 早と、樹生と、暁登と、三人で暮らすなんて。
 そんな夢みたいなこと。


End.


← 4


「秘密」は番外編も含めてこれでいったんおしまいとなります。
4月から約4か月間、ほぼ毎日お付き合いくださってありがとうございました。
この間、過去作を含め拍手をいただいたり、コメントをいただいたりと、あらゆる方にご訪問いただきました。こういうことが久しぶりでしたので、単純に嬉しかったです。
またしばらく地下潜伏に戻るわけですが、浮上した際には、よろしくお願いいたします。

暑く、災害の多い夏ですが、楽しい日々でありますよう。





拍手[31回]


 週の半分ぐらいは早の家に入り浸るので、樹生の部屋は「最低限確保している」という感じがする。ホテルに近いかもしれない。眠る場所、食べる場所、排せつする場所、清潔を保つ場所。訪問のたびに生活の気配が薄れていくのは、暁登が留学先から帰国して再び日本のこの地で暮らし始めて、樹生がいていい場所がまたひとつ確保されてしまったことも要因のひとつだと思う。思い上がりかもしれないけれど。
 早先生と暮らしたら、と言ったら、樹生はしばらく考えて、「暁登にだから話すけど」と真面目な顔をした。
「先生、あの家売るんだって」
「――え、」
「うん。もう、いつ死ぬかなんてわからない年齢だから、家の処分を考えないといけない、って言ってて」
 シンクへと向かった樹生は、そのままコップに水を汲んで飲んだ。暁登にも「何か飲む?」と聞いてくれたが、水ぐらいしかないのだとは分かったので、首を振って辞退する。
 それよりもいま聞かされた話に、心臓が痛いぐらいに鳴り始めた。確かに早も高齢なので、自分が死ぬときの「後始末」のことを考えてもおかしくはない。子どものいない人なので、全くもって冷静な判断だと言える。けれどあの家は樹生が暮らした家だ。樹生にとって必要な場所だった。それはいまでも変わらない。樹生のことを全く無視してその判断はできない、と思った。
 なにより暁登自身が、あの家がなくなることが嫌だった。違う、よその家になってしまうことが。
 コトン、とコップをシンクに置いた樹生は、わずかに首を傾げて暁登を見た。思いがけず優しい目をしていた。
「それで、おれがあの家を買おうと思ってて」
 その台詞には二重に驚く。いまきっと自分の目は大げさなくらいにひらかれているだろうなと思いながらも、言葉が出てこなかった。
 シンクに腰を寄せて、樹生は腕組をした。この人の、大事なことを話そうとする姿勢はいつもこれだ。相手の反応を窺いながら、考えて話してくれる。
「おれと早先生は、親子関係に当たらないからね。引き取ってもらったけど、養子縁組はしなかった。未成年後見人、ってやつ。相続っていう意味じゃあ、全くの他人に贈与ってかたちになるのかな。よく分かんないんだけど」
「うん、」
「早先生が家の始末を考えているって話をしてくれたとき、だけどあなたにこの家を譲りたい気持ちがある、って言ってくれて、……嬉しかったな。そういう『気持ち』だけでとどめておけばよかったんだけど、欲が出た。だから色々と話し合った。おれと早先生が納得するかたちで、あの家で暮らせるようにするにはってのをさ。ない知恵絞って出たのがこの案。まあでも、おれに買える家かどうかも分かんないし。もっと別の方法があるかもしれないし。だから今度専門家に相談しましょうってなって、そういう方面に詳しい人が惣先生の繋がりでいるみたいだから、その人にいま連絡とってて」
「そっか」
「うん、いまのところは、そんな感じ」
 それを聞いて暁登はなんだか気が抜けてしまった。息を吐きながら暁登はその場にへたり込む。うなだれていると、男が近づく気配があった。
「塩谷暁登さん」
 低音でフルネームを丁寧に発音され、背筋がぞくぞくした。顔を上げる。
「おれが家を買ったら、またきみと暮らせないかな」
 そこには切実な表情があった。答えを怖がる風に、でも、決意している顔。
「あの家に、おれと、早先生と、きみの、三人」
  どう答えようかと迷っていると、樹生は「同じところに帰ろうよ」ととどめを刺した。
「――だめ、」
「どうして」
「早先生にさすがにばれるから」
「おれときみのこと?」
「うん」
 少し考えて、樹生は「もうばれてるんじゃないかな」と言った。
「表向き気付かないふりしてくれてるだけで」
「じゃあそうだったとして、表現を変える。早先生の前だとさすがに、……ちょっと、色々」
「なにが?」
「分かるだろ、」
 含んだ意味を汲み取って、樹生はちいさく笑った。「おれも確かにそう思うよ」
「だろ?」
「その時はそのとき考えればいいんじゃない? どっか出かけるとかさ、早先生の留守を狙うとか」
「なんだかな」
「暁登、」
 近いところに、男の顔がある。だったらいま思いきりしよう、と発情を隠さない目と声音で殺される。眼鏡を外され、鼻の頭が触れあう。吐息が熱く唇を湿らせた。おそらく暁登のそれもそうなのだと思う。
「あっち行こう」
 なんとか立ちあがって、手を引かれてベッドへ行った。


→ 5

← 3

拍手[16回]


 早の家に着くと居間がだいぶ様変わりしていて驚いた。大きな段ボール箱が転がり、見たことのなかったボードが組み立てられ、その上には小型ながらもテレビが載っていた。そのテレビに向かって樹生が設定をいじっている。
 台所から早が出てきて、「おかえりなさい」と声をかけてくれた。
「テレビ、買ったんですか?」
「はい。正確には、買っていただきました」
「誰に?」
「樹生さんにです」
 それを訊いて驚く。岩永樹生という男は、誰かになにかを買ってやる、プレゼントを贈る、と思考する部分が完全に欠落している。樹生とわりない仲になってもう長いこと経つが、彼からなにかを贈られたことは一度もない。それは暁登も別に求めてはいないので、なおさらふたりの間に「贈り物」の習慣が存在しない。
 ある程度の設定を終えたらしい樹生がようやく振り返って暁登を見た。
「あき、おつかれ」
「どうしたの、テレビ。この家にそんなのなかったじゃん」
「あ? うん、なかったね。でも早先生が欲しいって言ったから」
 それで早の方を見ると、彼女はやわらかく微笑みながら「見たくなったんです、テレビ」と言った。
 この家に暁登が出入りするようになった時点でもう、テレビという存在はなかった。樹生がここで暮らしていたときはどうだったか知らないが、いつか早が言ったのは「必要ないですから」だった。早は情報を主にはラジオと新聞とで得ている。それで充分だと言い切っていた。
 その心境の変化は一体どういうことなのだろうか。と暁登が訊ねる前に、早が自分から話してくれた。
「少し前に、私の古い学友が『テレビ取材されたから放映日になったら見てね』と連絡をくださったんです。全国放送で大きく取り上げられたみたいで。遠いところに住んでいる友人ですからなかなか会えないのもあって、それは見たいと思ったんです。はじめは樹生さんに頼んで録画をしてもらおうと思ったんですが、考えてみれば録画していただいてもうちにはそれを再生する機器が存在しないな、と。それを樹生さんにお話しして、色々相談した結果、買いましょうということになったんです」
 樹生を見ると、「まあおれも見るからさ」と答えた。
「現品限りの展示品で、小型だから、そんなに高いものじゃなかった。レコーダーも買ったから録画も再生も自在」
 よし、と樹生は立ちあがり、いったんテレビの電源を落とした。リモコンに電池を入れ、再びテレビの電源を入れる。買ったばかりの新品は、正確な配線のおかげですんなりと映像を流し始めた。
「ついたついた」
「綺麗に映るな」
「早先生、場所はどうです? ここでいいなら据え付けちゃいますけど」
「大丈夫ですよ」
「じゃあちゃんと置こう。あき、手伝ってくれる?」
 樹生の依頼に頷いて、暁登は傍に寄る。テレビボードを動かし、固定して、配線を綺麗にまとめた。箱を片付け、操作説明書と保証書は早に渡す。彼女はそれをファイリングして、棚に仕舞った。
「食事にしましょうか」
 早がそう言って、居間のテーブルをざっと台拭きで拭う。暁登も手を洗い、配膳を手伝った。樹生はまだなんとなくテレビの動作を確認していたが、やがてチャンネルをニュース番組にすると、自身も手を洗いに行った。
 今夜の草刈家の夕飯メニューは、魚がメインだった。「フェンネルを収穫したので」と早は嬉しそうにしていたので、暁登も嬉しい。白身魚を香草で包んでオーブンで焼く調理法を、暁登は留学先で知った。帰国後に早にそれを教えると「食べてみたいですね」と好奇心を覗かせたので、暁登みずからが包丁を握って早にふるまった。早はそれが気に入った様子で、フェンネルの種をどこからか仕入れると家庭菜園の一角でそれを育て始めてしまったぐらいだ。
 香草焼きのほかには、夏の終わりでもまだ収穫されるトマトやナスを使った炒め物や、丁寧に出汁を取った味噌汁、きゅうりの漬物などが並ぶ。こうして三人で食事を取る機会は、最近とみに増えた。樹生など自分のアパートにいる機会よりも草刈家にいる方が多いようだから、変な意地を張ってひとり暮らしを続けるよりも、またこの家で一緒に住んでしまえばいいのに、と暁登は思う。
 テレビはニュースと気象情報を終えて、コマーシャルを挟んでドキュメンタリー番組へと移った。はじめのうちはものものしい音楽が流れても食事にありついていたからさして気にならなかった。けれど食事を終え、食器類を下げ、三人それぞれでくつろぎ始めると、内容の重さが痛々しく伝わった。交通事故で当時未成年だった子どもを亡くした、親の話だった。ナレーションが淡々としている分、親の痛みが切々と伝わる。こんなの見ていて大丈夫なんだろうかと樹生や早の様子を窺ったが、樹生はいつの間にか横になって眠っていて、早は縫い物をしていたので、なんだいいのか、とこの家の住人たちの逞しさに心の中で息をつく。
 そろそろ帰ろう、となったのは、十時に届こうかという時間だった。明日、暁登は休みの予定だったが、樹生は仕事なので泊まらずにアパートへ戻ると言った。早に別れを告げ、互いの車を停めたスペースまで歩く。夜は秋風が吹いて、虫の音がうるさいぐらいになった。わずかな道を辿る途中、樹生がふと「覚えてなきゃいけないもんかね」と呟いた。
 なんのことか、はじめは分からなかった。
「さっきのドキュメンタリー。いつまでも子どもが死んだことにしがみついて、もう死んで何年も経ってるってのに泣いてたじゃん。悲しいくせに忘れたくないとか言って部屋をそのまんま残してたり、後悔の言葉を口にしたり。……子どもは死んだけど、あんたは生きてんだから、だったら忘れたくないって過去の出来事を振り返って泣き暮らすより、忘れても楽しく生きてる方がいいって、おれは思うんだけど」
「寝てたんじゃなかったの、」
「音声は聞こえてた」
 樹生はややうんざりした口調で続けた。
「なんで忘れることを嫌がるんだろうな」
 その台詞の方が、先ほどのドキュメンタリーよりもぐっと胸に迫った。
 この人が歩んできた人生は、傍から見れば壮絶に痛ましく、同情を禁じ得ない。それでも彼はいまの生活を楽しんでいるし、思い煩うこともさほどないのだと言う。樹生いわく「おれは忘れっぽいから」だとかで、けれど彼を苦しめた事実は間違いなく存在する。彼の姉の場合はそれが「復讐」という形になったようだが、樹生の場合は「淋しい」という感情となって表れた。極度の淋しがりやを、暁登はそう解釈している。
「ま」と車までやって来て、樹生は暁登の背を軽く叩いた。
「ひとり言。あんま気にしないで」
 背に置かれた手は自然に離れ、樹生は車のキーを取り出す。
「あき、またな」
「樹生さん」
 そう呼ぶと、樹生はまんまびっくりした顔をこちらに寄越した。
「今日これから、部屋に行ってもいい?」
「……」
「明日仕事で朝早いって、分かってる。なんにもしないから。ちょっと、同じところに帰ってみたくなっただけ」
「いや、」
 驚きを樹生は苦笑に変えた。
「そこはなんかしようよ」
「あー、じゃあ洗濯か掃除でも引き受けるよ」
「そうじゃないやつ」
「朝起こしてやろうか」
「あき、」
 甘える響きが胸に染みる。
「――いいよ」
「うれしい」
 男は喜びを素直に口にした。


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プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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2022*08*11-21
暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。

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短編「さきごろのはる」
短編「月の椅子」
短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」

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