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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 メールアドレスを交換した後、はじめて届いたメールが「たすけて」だったので、驚いた、というよりは怖くなった。助けを求めなければならないなにかがあの人に発生している、という事実に。気が急いて、即座に電話をかけた。電話に出た元貴(もとたか)はごくシンプルに「めし、食いに行こう」と言った。
 朝の七時半である。こんなに早く営業している店のことは、すぐには思い浮かばなかった。元貴はS駅構内にあるベーカリーカフェを指定し、「すぐ来て」と言った。平静と変わらぬ声で言われたから一瞬わけがわからなくなったが、言葉の内容はメールの「たすけて」と変わらぬように思えて、ますます焦った。いてもたってもいられず、部屋の最寄駅からの移動は、苛々した。絶対に電車をつかった方が早いと分かる距離でも、走っていきたい気持ちだった。
 もどかしい三十分を経てカフェに着くと、元貴はいなかった。店は早朝なのに混んでいて、この中のどこかにいるんじゃないかと必死に視線をめぐらせたが、どれも違う。電話をしても出なかった。からかわれたか、本当に「たすけて」と言わせるなにかが元貴の身に起こっているのか。半々の気持ちの決着もつかずただ混乱していた十分後、元貴は悠々と現れて「おはよう」と笑った。
 まぼろしを見ているかと思うぐらい、さっぱりと落ち着いた笑みだった。見た途端にからかわれていたことに気付き、「なんだよ、あんた」と首を折ってうなだれた。
「……なにかあったかと思って、焦ったじゃんかよ、」
「電車が遅れたんだ。線路に人が立ち入ったとかで」
「すぐ来て、って言ったくせに。メールぐらい寄越せよ」
「時間の指定はしていないよ」
 言われて、むっとした。確かにその通りだが、はいそうですか、と納得はできない。黙ったまま怒った表情でいると、元貴は軽く笑ってから「ごめん、つい」と悪びれなく言う。
「からかいたくなる。――めし、食おう。まだだろう?」
 このまま置いて帰ろうかと思ったが、そんなことができないぐらいに、元貴のことが好きだった。朝食を共にする日がこんなに早く来るなんて、信じていなかった。元貴に促され、二人でレジカウンターへ向かう。当店おすすめ、と書かれた、イングリッシュマフィンとコーヒーの、少ししゃれた(でもしっかりとした腹の足しにはならなそうな)モーニングセットを頼み、狭い店内に無理やり立ち食いのスペースを見つけて食べ始める。
 出されたコーヒーを、元貴は「まずい」と言ったが、横顔は楽しそうだった。一口つけて「美味い」と口にした。本当に沁み入る味のコーヒーだった。


 ◇


 「この後いいか」と訊かれ、朝食後も元貴に同行した。本当はアルバイトが十時から入っていてあまりよくはなかったのだが、それまでの少しの時間でもいいから元貴といたくて、頷いた。駅を出て、周辺をうろついた。まだ街のほとんどは朝を始めていない。スクリーンの下りた本屋に、電飾の消えたレンタルビデオショップ。どこへ行くのか車と人の行き交いだけはあって、しかしみな朝の空気の清々しさに後ろめたさを感じているかのように、重く口を閉ざしている。
 ずっと元貴の言った「たすけて」の意味を考えていたが、さっぱり分からなかった。
 なにをたすけて? なにからたすけて? いま隣を歩く元貴はひょうひょうと機嫌よく、なにかに困っているようには見えなかった。大体、初対面の時から元貴の態度はこうだ。なにを考えているのかいまいちよく分からない。気分にも行動にも一貫性がなく、自分よりも五歳年上だと言うが、落ち着きがない。
 ふと元貴が足を止めた。雑居ビルの案内を眺めている。
「なに?」
「ここ、入ろうか。こんなところにギャラリーが入っている」
 元貴の指差した先には、各階ごとに入っている店舗名が記された看板がある。その中の四階に、確かに「ギャラリー・K」と書かれていた。なにを展示しているギャラリーなのかまでは不案内に書かれていない。
「まだ早いんじゃねえの?」スマートフォンで時間を確認する。朝の九時から営業しているギャラリーであるのなら、行っても構わないが。
「なにが展示してあるんだろうな」
 聞いちゃいない。ビルのエレベーターは時間外だからか使うことが出来ず、わざわざ内階段をのぼった。案の定、「十時半からのご案内です」と受付嬢に言われた。中はまだ準備中で、それを眺めながら、開くのを待った。アルバイトのことは心底どうでもよくなっていた。
 たっぷり一時間半待って、入った先にあったのは写真の展示だった。
 全体的に青と白のトーンで、若い男ばかり写っていた。引き伸ばされたプリントは案外に大きくて、写真ってこんなサイズにもなるんだなと思った。写真の展示数はさほど多くないが、人気なのか有名なのか、開廊直後でも次々と人が入った。いかにも写真に興味ありそうな初老の男性から、主婦とおぼしき女性の二人組まで、様々だ。写真に興味を持てず、やって来る人間に気を取られていると、元貴が「あ」と写真の前で声を出した。
「これ知ってる」
「作者のこと?」
「じゃなくて、この構図とまったく同じ写真を見たことがある。写真集がうちにある」
 元貴が眺めていたのは、手が写しとられたものだった。誰かの腰に(多分、先ほどから写っている若い男の)、撮影者の手が当てられている。やさしく触れた、ごつごつと骨ばった男の左手。これになんの意図があるのかさっぱり汲めず、芸術って退屈だと、思った。それを元貴は興味津々に眺めている。
「面白いな。オマージュ、ってやつかな」
「有名なの?」
「見に来る?」
「え?」
「これからうちに来いよ。見せてやるから」
 元貴は嬉しそうに笑った。ちいさく舌打ちをする。元貴の家に行きたくは、なかった。


 ◇


 電車ではなく、バスをつかった。元貴の住む部屋は住宅街にあるマンションの三階で、ダークグレイのスタイリッシュな外装がいかにも最近出来たばかりのマンションらしかった。途中の家の庭に、藤の花が垂れているのを見た。うすい紫の見事な枝だ。日頃あるいているはずの元貴も一緒に足を止めて、しばらく二人で見入った。
 エレベーターを上がり、玄関を入るとまず、女物のローヒールの革靴と男物のサンダルが並んでいるのが見えて、ずきりと来た。靴箱の上には黒猫が描かれた版画が一枚、飾られている。上がってすぐ居間と台所になっていた。奥にもいくつか部屋があり、そのうちのひとつは扉が半開きになっていて、中が見えた。ベッドルーム、衣類が雑にベッドに脱ぎ捨てられている。
 部屋に着くなり居間に置かれた本棚に向かう元貴に一言断って、コーヒーを入れる準備をした。日常的に飲んでいることはよく知っていた。姉が好きだからだ。出しっぱなしの器具に豆をセットし、湯を沸かす。流しの中に沈んでいるカップをつまみあげて洗い、丁寧に拭いた。こっくりと深い茶色あるいは生成りの、色違いで揃えたマグカップ。
 新居に来たのははじめてだが、知っている人間の知っているにおいが、確かにただよっている。それから気配。揃いの食器や、壁にかけられたかばんや帽子、活けられた花に、姉のすきなオレンジ色のクッション。そのどれもが元貴のものと混在して、混ざり合って、ひとつの空間をつくっている。濃い姉の気配。
 部屋に入った瞬間から、身体中の鳥肌が止まらなかった。分かっていたことだというのに。もうなんべんも、元貴と姉が二人でいる想像をしてきたというのに。
 コーヒーを入れ終わる頃、元貴が傍へ寄って来て一冊の本をひらいた。
「見つけた。ほら、同じだろう」
 元貴の言う通り、まったく同じ構図の写真が本の中に収められていた。裸の男の胸に、撮影者と思われる男の手が当てられている。なぜこの写真を撮ろうとしたのか、いきさつは読み取れないが、濃厚な親密さは伝わって来た。古い白黒写真のタイトルは「恋人」だった。
 マグカップを持つ手がぶるぶるとふるえた。先程からずっと苦しかった胸から、酸素という酸素がすべて出て、肺がぺしゃんこになったような気分だった。ひどく気持ちが悪い。たすけて、というなら、いま自分の状況を言う。
 写真集を閉じた元貴は、静かにはっきりと、「現、」と名前を呼んだ。びん、と背筋が唸る。
 この人に名前を呼ばれるのは、二度目だ。初回は姉の紹介で、お互いに「元貴さん」「現くん」とぎこちなく呼び合っていた。
「――たすけてくれ」と元貴が言う。
「僕はずっと、女の人を愛せる男だと思って来たんだ。それで、結婚までして、……どうしていまさら」
「……」
「どうしていまさら、男と、……義弟と、恋に落ちなきゃならない」
 元貴の目は、苦しげに歪められていた。それでも恋の色に潤んでいた。おびただしい数の絵具を好きずきににぶちまけたような、極彩色の目をしている。それはきっと自分も同じで、苦しいのに、妙に煌いていたりするのだろう。
 手の中から揃いのマグカップが滑り落ちる。ごとん、と重たい音を立てて、それらは床にぶつかり、割れた。同時に元貴の肩を引き寄せて、腕の中に収める。元貴はずっとふるえていた。憐れで、悲しくて、なによりも愛おしくて、それがますます悲しかった。
「――現、」
「……なに、」
「きみを愛している。きみもそうだ。僕らは、恋に落ちたんだ。どうしようか」
「……他人事みたいに、言うな。余裕に思えて腹が立つ」
「そんなんじゃない。……僕は弱いから」
 元貴も、現も、この先は行き止まりだと気付いている。
 気付いていて、まだ行き止まるまでに少し道があることも知っている。だからそちらへ歩き出そうとしている。たとえわずかでも、なにがなんでも、この人と道を歩いてみたかった。
 まったくどうして、恋なんかに落ちるんだろう。義兄のいくつもの台詞が、頭の内側でがんがんと響き、頭痛と眩暈を引き起こす。たすけて、すぐ来て、どうしようか、愛している。
 混乱を振り払うように、元貴の頬を両手で挟んで顔を近付ける。いま、姉はいない。


End.



関連:「いきどまり



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みふゆさま(拍手コメント)
こんにちは。いつもありがとうございます。
更新、早かったでしょう(笑)
突き抜けた感じ、というのは私自身もなんとなく感覚としてあります。突き抜けたかどうかはともかく、最近は文章の書き方が以前と変わってきたように思います。
この二人、終わりが見えそうで、見えないですよね。先を考えるとどん詰まりでうーんと落ち込むので、少し過去のことを書いてみました。お楽しみ頂けていると嬉しいです。
またメールをしますね。
コメントありがとうございました。
粟津原栗子 2014/04/25(Fri)14:49:52 編集
mu-cun**さま(拍手コメント)
はじめましてですね。
読んでくださってありがとうございます。
嬉しいコメントを頂いてしまいました。各お話ごとに「色」を設定しているのですが、それだけでなく、mu-cun**さんの仰る気持ちになれていたらとても嬉しいことだな、と思います。拙い作ではありますが、私の作品で日常にちょっとした息抜きの時間が存在したとしたら、これはもう、私の目標達成です。
またちょこちょこと更新出来たら、と思っています。その時はおつきあいくださいませ。
拍手・コメントありがとうございました!
粟津原栗子 2014/04/27(Sun)08:29:05 編集
プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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