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成人女性を対象とした自作小説の物置です。
 今年のバレンタインは週明けの月曜日とか言うタイミングだったのだが、俺としてはいつまでもチョコレートを持っているのが嫌だった。とっとと渡して、とっとと失恋してしまいたい。
 それで、だいぶフライングだったがその前週、金曜日の放課後に国語科準備室を訪ねた。もっとさわやかに渡して伝えてさいならのつもりだったのに、いざとなると声が出ない上に、やたらと緊張してきやがる。結局押し付けて逃げるように退散してしまった。
 こんなんで伝わるはずがないとめちゃくちゃ自己嫌悪に陥り、やっぱり言葉として伝えねばと決意して登校した月曜日、14日当日。4時間目の体育が早めに終わって教室へ着替えに戻ろうとすれば、職員玄関に金井先生ともうひとり、でかい男の人影を見た。
 
(…あ、)
 
 例のパートナーと先生が、こんなところで何をと思えば、どうやら弁当を渡している。その姿があんまりにも自然で、先生の表情が心から寛いだものだったから、それを少し眺めてからそっと退散した。
 
(…やっぱちょっと痛い……けど、いたく、ない)
 
 もうふたりを見ても、締め付けられるような、突き刺すような、胸のうちが重だるく苦しくなることはなかった。それを新鮮な気持ちで受け止めながら、また左手を意識する。好きだった人。はじめて真剣に好きになった人。先生。
 

 
「―見ましたよ」
 
 放課後、再び国語科準備室を訪ねた。先週末と違い、月曜日のせいかまだ数人の先生が残っている。俺の言葉を受けて「何を見たの?」と首を傾げる先生もいたから、金井先生はずれた眼鏡を押し上げ、「ちょっとあったかいもんでも飲むか」と穏やかに笑い、俺を準備室から引っ張り出した。
 講堂脇の自販機で、先生はコーヒーを、俺はレモンスカッシュを買った。(お金を出してくれたのは先生だった。)「この寒いのによくそんな冷たいもん飲むなぁ」と先生は呆れるような顔をする。「炭酸がいいんで」と答えたら、「今のうちだ」と笑った。
 しばらくそのままだったが、少しして先生が「あのチョコレート」と言った。
 
「家族で食べた。コンビニ菓子ってうまいのな。ぼくはあんまり甘いものは得意じゃないんだけど、久々で、悪くなかったよ」
「あれ、センセーも甘いものキライ?」
「ものによる。藤もだめそうだな」
「だめですね。俺はえーと、例えば、カスタードとか生クリームとか、チョコレートも、出来るだけ遠慮したい。こういう炭酸のジュースは平気なんですが。なんていうか、舌に残る甘さがねっとりしてると嫌な感じします」
「ああ、じゃぁきっとうちの娘の作った菓子なら、藤は平気だろうな」
「…美味しいですか」
「そりゃぁもう」
 
 そこで同時に息を吐いた。あんまりにタイミングが一緒だったから、顔を見合わせてしまった。
 困ったように笑ったのは、俺も先生も一緒だった。
 
「―昼間、ええと、ガクさん? 来てるの、見ました」
「授業中だったろ?」
「体育、早く終わったんで、着替えに」
「ああ、そうか。うん、弁当忘れてったって、わざわざ。」
「センセー、見たことない顔してた」
「ん?」
「俺たち生徒の前じゃ絶対にしない顔、です」
「はは、参ったな」
 
 また一口コーヒーをすすってから、先生が笑う。照れているような、気まずいような、でも開き直ったような、ちょっと複雑な笑みだ。
 先生だって、毎日が宝石みたいに輝いている日々だとは限らないのだろう。あんな娘とあんなパートナーと暮らしていて、なんらかの摩擦が起きないわけがない。
 でもそれを生徒には見せず、絶対の幸福の中にあると思わせていたのが先生だ。そこが妬ましかったし、でも、好きだった。
 ぽつりと、先生は「背が伸びたなぁ」と言った。顔を向けると、確かに目線が先生とほぼ同じだった。
 
「はじめは目つき悪いちっちゃいやつが威勢よく竹刀振り回してるだけだと思ってたのに、いつの間にか立ち姿がいちばん綺麗な奴になってた。剣道、楽しいか」
「おかげさまで」
「来年は期待できるって、垣田先生が張り切ってたぞ。団体戦はこれから入部する生徒によるけど、個人戦は絶対上位に行く、行かすって」
「センセーもなんだかんだで、俺のことよく気にかけてくれてましたね」
「藤がなついてくれたからなぁ、ついかわいがっちゃったなぁ」
 
 こういう会話が、自然に先生と出来る。
 そのことでもう俺はよかったのに、先生はあろうことか俺に「ありがとな」と言った。
 
「は?」
「チョコレート」
「ああ、はい。いやでもあれはもう、なんていうか」
「あと、ぼくを好いてくれた」
「――」
「同性愛って響き、ぼくはあんまり好きじゃない。恋愛に異性も同性もないんだ、そこでカテゴライズしないでくれって思うんだ。しかもそれだけで言葉が勝手に重たくなって、あんまりよいイメージを与えてはくれない。藤、苦しかったな」
「…はい」
「しんどかったか」
「すごく」
「ぼくもそうだったし、そういう思いを大切な人にさせてきた。…だから尚更。ありがとう」
「いえ、あの……」
 
 レモンスカッシュを一気にあおり、のどに流し込む。目を閉じて静かに深呼吸。
―諒人。
 
「―いま、好きな奴がいて」
「うん」
「次はちゃんと真剣に話したいなと思っていて。…その、恋は後ろめたくなんかないっていうのを、俺はセンセーから教わったんで、」
「そうかなぁ? 職場にはほぼ内緒なんだ、これ」
「職員玄関でいちゃついてたくせに。なんか…羨ましくなって、俺もああだといいなって、思いました。だから俺も次は、ああいう恋がしたいから、とりあえず話そうって決めたんです。……でもあの、困ったことになったら、相談していいですか?」
「いいよ、いつでも。でもぼくは、藤にそれは必要ないと思う。きっちり悩んで、誰にも言わないけど潰れない。いつの間にか悩み倒してその先に自分で結論見つけてくる。見つけて決意したら一直線だ。吸収も速い。―だからぼくは、補習じゃない別の方法がいいなと思ってた。大丈夫だよ、藤だもん」
「どうでしょうかね。…だと、いい」
 
 飲み終えた缶を握り潰し、かごに投げ入れる。それから先生の方をしっかりと向く。
 眼鏡の奥の瞳が、いまだけは俺を真摯に、見ていてくれている。
 
「金井先生のこと、ずっと好きでした」
「―うん」
「ありがとうございました」
 
 心から、丁寧になるように頭を下げる。
 たっぷりみっつ数えて頭を上げると、先生は穏やかな笑みで「頑張れよ」と言った。
 
 もう一度頭を下げて、俺は先生の前から立ち去る。
 
(…ありがとう、だなんて)
 
 最後まで先生らしい言葉をもらえて、俺は立派な失恋をさせてもらえた。
 今すぐは無理でも、いつか先生の家を訪ねられたらいい。そう、いつか。
 
 涙は出なかった。今すぐ諒人に会いたかった。


  


スパークリング・レモン 31


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この時の穂高さんのバレンタイン→甘いお菓子のある短編ハニー×ビター


本年はたくさんお世話になりました。みなさまよいお年をw
それにしても大晦日にバレンタインって…(笑

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 気付いたからと言って意識したからと言って、特に行動に出られる俺でもなかった。まずセンター試験が終わったとはいえ諒人はこれからが本番なのだし、先生はとにかく多忙を極めているらしく、話どころか呼び止めることも気が引けた。
 うだうだと考え込むのは性に合わない。こういう時いちばん手っ取り早くすっきりするのは身体を動かすことだと、部活動にはよりいっそう励んだ。前田などは「足が凍る!」と散々文句を言っていたが、冬は冬。俺の好きな季節でもある。裸足で剣道場の床を踏むのは、突き刺す冷たさに背筋が一層伸びる気がして、感覚が研ぎ澄まされる。
 
「なんかすげぇなぁ、藤」
 
 帰宅途中、いつもの3人でうだうだと歩いていたら吉村が実に感慨深げにそう言った。
 
「何が?」
「最近。お前さ、踏み込む前に剣先がわずかに右にぶれる癖があるから、それを見切っちゃうともうどこに打ち込んでくるかもわかるって、須藤先輩が前に言ってたじゃん」
「ああ、そうだな」
「でも今日の試合、全然分かんなかった。攪乱される感じ。全然ぶれずに真っ直ぐ打ち込んでくるかと思いきや、わずかにぶれさして『来るか?』ってのを裏切ったり。参ったよ。お前とガチでやって手も足も出なかったの、はじめて」
 
 吉村が珍しくまともなことを言った。確かにこいつの普段はただの色ボケ部長なのだが、こういう冷静な目で的確なことを言えるのが彼で、だからこそ采配が問われる部長などに選出されたのだと、改めて思い知らされた。
 前田も同意して、「悔しいけど格好良かったよね」と言った。
 
「え、前田熱でもあんの? キモチワルイぞお前」
「うっさいなぁ、褒めてんのに。カナちゃんがぽわーんってなって、それを沖田がちょっと面白くない顔で見てたの、知らなかったでしょ」
「知るかよ、そんな他人のカップルの事情なんざ」
「そのあとカナちゃんが『だってすごかったでしょ藤センパイ!』って真剣に反論したら、沖田も神妙な顔で『うん』って言ってた。まぁだからつまりさ、藤センパイはすごくいい試合見せてくれたってことだよ。今なら須藤先輩と対等にやれるかもよ?」
「なぁ、その試合の相手したの俺なんだけどー」
「え、みんなフジに夢中だったから吉村はどうでも…」
 
 前田の言葉に吉村はあからさまにふて腐る。俺はと言えば、意外だった。確かにここ数日の部活動は集中できている。大気が冷えて深々と透明度を増すごとに、その冷たさが身体にしみこんで芯をかたく強くしていく、そんな気がする。
 
「ええい、寒いものは寒い! おでん食う!! もっちりかまくらはんぺんが俺を待っている!!」
 
 前田と何か話していた吉村が、とうとうブチ切れて通りがかったコンビニへ自転車を止めてさっさと入ってしまった。苦笑しながら前田と後を追う。店内はこれでもかというほどあたたかく、吉村はおでん売り場の前で真剣に具を選んでいた。
 
「あ、もうそんな時期かー」
 
 前田が足を止めたのはおでんのコーナーでも肉まんのコーナーでもなく、バレンタイン特集の一角だった。ポップで愛らしいものからシックで大人っぽいものまで、色んな包みが積み上がり、もうコーナーとして出来上がっている。
 
「あげる奴、いんの」
 
 ひとつ手に取りながら、前田に訊いてみた。
 
「いるよぉ。実は例の1年生といい感じなのだよ、藤湊クン」
「例の1年生って、いつかの甲斐甲斐しいあいつ? まだ好きだった?」
「育んでんの! メールしてね、バレンタインは何作りますかって聞かれた!」
「…それ、なんか間違ってねぇ?」
「クリスマスにわたしが作ったクッキーあげたの。そしたら今度一緒に作りましょうって。なんか料理とかお菓子とか作るの得意なんだって。剣道部の合宿じゃぁ献立及び炊事係だってほど。確かに美味しくて」
「もう食ったんかい」
「だからバレンタインはガトーショコラを一緒に作るの」
「…激しく間違ってるって前田……」
 
 でも前田は楽しそうだ。「一緒に作って食べてもらうのはキミだよってなんかイイ作戦じゃない!?」とはしゃぎ、ラッピングされたチョコレートよりは製菓用の板チョコの方をじっくりと見ていた。
 
「フジはいないの?」
「あ?」
「くれる人」
「姉ちゃんと母ちゃんと多分カナコと前田とクラスの女子あたりが」
「そうじゃなくて、本命!」
「……」
「今は逆バレンタインとかもアリだよ。あげちゃえば?」
 
 前田がにっと笑ってチョコレートのコーナーを指差す。そこに吉村がおでんの容器をぶら下げてやって来たので、話がそれた。
 
(…チョコレート、……ああ、そうか、)
 
 その時俺は、2月14日のチョコレートに力を借りて告白する女子の心理というものを、少しだけ理解した気持ちになった。
 
「フジー? なんか買うのー?」
「先行っておでん食ってろ」
 
 菓子のコーナーから150円ほどのチョコレート菓子を適当に選んで、レジに向かった。
 

  


スパークリング・レモン 30 


 
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 受験なんて本人じゃないから分からないが、冬休み明けからセンターまではあっという間だった。センターの前日に電話で諒人と話し、頑張れよともう一度伝えて、当日は家でごろごろしていた。部活動も自主練程度だったので(顧問がセンターの会場まで付き添いに出かけたからだ)、いつにも増して何もする気が起きなかった。
 明けた月曜日の放課後、いつもの時間に(と言っても久々に)、諒人といつものMで待ち合わせた。彼はとっくに来ていて、いつものように手を振りながら、俺に笑う。
 もうすでに自己採点を終えたのだと言う。出来は良かったようだ。表情を輝かせて「頑張ったもん、俺」と言うから、つい、本当に無意識に、夏より伸びた黒髪に手が伸びた。
 わずかに触れた髪の芯が、指にぴりっと刺激を伝えた。それに驚いて、手を止めてしまった。心臓が、また鳴っている。どくんどくんと熱く、血を巡らせる。
 恥ずかしいような、嬉しいような。
 甘いような、くすぐったいような。
 逃げ出したいような、もっと触れたいような。
 
(――あ、)
 
 そうかと、俺はようやく合点した。
 いつからなのか分からないけれど、意識した。金井先生を忘れるほど、いつの間にか大きく果てしなくなった、存在。
 
「―ミナト?」
 
 くりっとした大きな黒目が、不自然に停止した俺の手を見つめ、それから俺自身を覗き込む。
 ぎこちなかったかもしれないが、そのまま手を伸ばして髪に思い切り触れた。五指をひらいて、乱暴に、気付いたばかりの気持ちに今はまだ彼が気付きませんようにと願いながら、くしゃくしゃと撫でる。
 好きなんだ、諒人が。
 恋は多分、痛いばかりじゃない。…前を向ける。日なたを歩ける。同性が好きだとか嫌いだとかそんなの関係なく。
 好きなんだ、こころから。
 
「―頑張ったな」
 
 かろうじて絞り出した声は、ちゃんと諒人の耳に届いたのだと思う。彼はうっとりと目を伏せ、それから「えへへ」とはにかんだ。とてもかわいらしくて、また胸の内が熱くなる。鼓動が速くなる。
 わざとぐしゃぐしゃにかきまぜて、からかってやった。諒人は少し頬を膨らませて不満げな顔を見せたが、でもすぐに笑ってくれた。
 
 気付いた。
 気付いたと同時に絶望するのではない、泣きそうなほど、あたたかな気持ちになれる恋。
 
(…ちゃんと、失恋しよう。先生に。…諒人に向き合いたい、伝えたい)
 
 こんなの初めてだった。はじめてで、とても――満ちていた。
 

  


スパークリング・レモン 29



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 冬休みは、バイトで終わった。諒人との初詣のほかは特に何もなし。おまけに彼はますます受験勉強に集中するようになり、直接会うどころかメールも減った。
 けれど俺はなんとなく、胸のつかえが取れたようなすっきりとした日々を過ごせている。よっぽど諒人に直接「頑張れよ」が言えたことが嬉しかったのだろうかと思いつつ、休み明けすぐの部活に行けば、吉村・前田がにやけながら近寄ってきた。
 
「冬休みに何があったの?」
「あ?」
「機嫌よすぎ。バイトバイトって言ってたくせに、絶対なんかイイことあった!」
「恋か? 恋だろ? 恋なんだな藤!!」
「色ボケ部長と一緒にすんな」
 
 うちの高校は2学期制なので、3学期の始業式というものが存在しない。今日は早速休み明けの「実力テスト」なるものがあって、そのために朝練もなく、ようやく竹刀を握れた放課後だった。
 着替えのために前田とは別れたが、吉村はしつこくついて回る。それを聞いていた沖田が「そういえば」と口を開いた。
 
「うちの担任、ようやく登校しましたよ」
「金井先生? あれ、いなかったの? 病欠かなんか?」
「分かんないですけど、なんか親族の都合だとかで、冬休み前からいなかったんですよ。今日ようやく来て、『悪かったなー』って言いながらお土産配ってくれました。ほら、チョコレート」
「え、すげぇ、分かんない言葉書いてある。何語?」
「ドイツ行ってたみたいですよ」
 
 沖田の言葉で、ようやく思い出した。ようやく思い出したことに驚いた。あれだけ痛みをこらえながらも見つめていた人の存在を、いまの今まで、俺はすっかり忘れていた。
 
(…ドイツって、確か、ガクって人…)
 
 秋に見たやわらかな栗毛の、背の高い男を思い出す。クォーターだと言っていたが、金井先生がドイツまで行ったとなれば本当なのだろう。
 
 去年の今頃は、冬休みは、辛かった。家族で初詣に行って願ったのは金井先生のことだったし、休み中はずっと本を読んでいた。挟まった落ち葉を見ては落ち込み、休みが明ければ会えると思うと苦しくて仕方なかった。
 それが今年はどうだろう。本のことなんてすっかり忘れていた。バイトと諒人で、なんだか埋まっていた。休みが明けたら準備室にすぐに行こうだなんて、考えてもいなかった。
 
(…あれ?)
 
 左手を意識する。親指と薬指をこすり合わせてみる。金井先生の左手には指輪がはまっていて、それはガクという男と揃いで、俺には何もなくて、でも初詣の日に諒人の右手にしっかりと触れた、左手。
 
「お藤? 着替えねぇの?」
「あ…いや、ちょっと考え事が」
「恋か、やっぱり」
 
 とりあえずその左手で、吉村の頭を思い切りはたいてみた。痛み。いつも通りだ。


  


スパークリング・レモン 28


 
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「―順番」
「……」
「来たな、」
 
 いつの間にか喉が干上がっていて、定規できっちり引っ張ったみたいな、干からびた棒読みの台詞しか出てこなかった。少し間を置いて諒人はちいさく頷き、そっと手が剥がれる。離れたんじゃないし、離したんでもない。接着されたものがほどけたみたいな、不自然でぎこちない去り方だった。
 指がかたまってしまっていた。甘くやさしい疼きを訴えて、存在を主張している。強く握られたからか、俺の意識の問題なのか、判別がつかない。
つかないまま小銭を取り出し、放り投げ、鈴を鳴らして頭を下げる。痺れを振り払うように手を打ち、目を閉じる。
 
(―なに、思ってたんだ)
 
 目の前にいるはずの神様に願い事をするというよりは、部活の最初と最後にする瞑想に近かった。だって、まとまらない。純粋に諒人の合格と俺の1年の無事を祈るはずだったのに、さっきまで触れていたおかげですっかり混乱していた。
 
(なに、したかった?)
 
 合わせた手のひらは、でも俺のものだ。もう諒人の手は遠い。だというのに熱がまだ、鎮まらない。
 内側は嵐のように荒れているのに、金井先生の家を訪れた時みたいな暴力的な感情にはならない。色んな俺がいろんな言葉を囁いては通り過ぎていく。こんな雑念ばかりでは、願ったとして叶えてもらえないとさえ思う。
 
 最後は、やけになっていた。とにかくどうにかなれ、というような。たまらなくなって目を開けて、無理やり儀式を終わらせる。頭を上げてようやく、諒人はとっくに参拝を済ませていたことを知った。小動物みたいなまるいふたつの目が、こちらを見ていた。
 改めて見た諒人の瞳は、こちらがうろたえるほど澄んでいた。透きとおりすぎた瞳に、芯まで見透かされた気がした。急激に頬が熱くなる。その変化は多分、しっかりと伝わってしまった。
 ものすごく恥ずかしい。
 俺を見ていた諒人にごまかすように笑って、足早に拝殿の前から去る。腹が減ったとぼやきながら人の流れる方向へ歩くと、ふと諒人が足を止めた。視線の先に、授与所。「お守り買おうかな」と彼は漏らした。
 いまごろ。本当にいまになって、当初の目的とポケットの中を思い出した。ろくにお祈りも出来ずにお守りも渡せないのでは、何しに来たのか本当に分からない。
 
(…そうだよ。諒人がどこの大学受けるのか気になってたくせに、)
 
 俺も立ち止まり、あのさと話しかけてみる。きょとんと瞳をまるくしてこちらを見る諒人に、また俺という人間がぶれそうな気がする。
 
「お守りなんだけど」
 
 どこのポケットに突っ込んだかもおぼろげで、両手で探った。ウインドブレーカーの左ポケットにようやく存在を確認できて、安心しながら、でも戸惑いながら、それを引っ張り出した。
 
「お前、受験だから、これ、」
 
 恥ずかしいし、なんか怖いし、震えがくるしで、まともに顔が見れない。最悪だと思いながらお守りを押し付ける。押し付けた途端に後悔した。こんなの買わなければよかった。もっとスマートに、さりげなく渡せるはずだった。
 包みを開けて、諒人は「わぁ」と息を漏らす。散々迷ったわりには最高に素晴らしいものでもないし、諒人の趣味をいちばんに考えるならむしろ地味すぎる気がする。今すぐ取り返して遠くに放り投げたい気持ちでいっぱいだった。もしくは無邪気な彼の目から、走って逃れたい。
 
「ありがと!」
 
 歓喜の声が降る。おそらく目の前の人間は、屈託のない顔で俺に笑っているんだろう。でもその顔を、俺はきちんと見ることが出来ない。諒人が笑えば笑うほど苦しい。以前は笑えばいいのにと願っていたくせに、俺はすっかり卑屈になっていた。
 
「…あのさ、そういえば大学ってどこ、受けんの」
 
 あたかもいま思い出しましたみたいな言い方で、訊ねた。ほんの少しの間がとても長い。
諒人は自信満々に「S大」と答えた。知ってるも何も、下宿の必要もないほど近くにある、地元の有名大学だった。
 ようやく顔を見る。少しいたずらっぽい目が、俺を見ていた。射抜いていた。
 
「大学生になっても、ミナトとMに行けるねえ」
「…S大、そっか」
 
 先ほどから気付いてはいたが、呼び名が、もう君付けではなくなっている。泣いていると俺より断然子どもに見えるくせに、こうやって余裕たっぷりに笑えるのは、俺よりひとつ年上の大人だ。
 夏を思い出す。そうだった彼ははじめから、強い自信であふれていた。それが魅力だと感じていた。だから横顔をひっきりなしに見ていた。
 俺も、笑う。
 
「頑張れよ」
「うん!」
 
 答えを聞いたら、一気に気が抜けた。空腹も限界だった。それから俺は猛烈な勢いで屋台をめぐり、両手いっぱいに食べ物を調達する。
俺が塩辛い食べ物ばかりだったのに対し、諒人はタコ焼きとベビーカステラというころころしたチョイス。おまけにホットミルクティなんて、名前からしてもう甘ったるい飲み物まで手にしている。諒人のこういうところは(怒るかもしれないが)女子みたいだと思う。前田みたいな「頑張っても男臭くなる」残念なタイプではなく、カナコみたいにふわっと甘い、自然なやわらかさ。それがきっと誰からも好かれる要因なのだ。
 まるいものばっかり買ってると笑ってやったら、その丸いものを口に押し込まれた。よりにもよって甘い方、ベビーカステラだ。甘すぎて、でも両手がふさがっているからどうにも出来なくて、飲み込むしかなかった。
 文句を言えば、また押し付けられる。でも可笑しくなって笑い出して、来た道を戻る。いつもと同じような会話、戯れ。でも、何かが明らかに違っていた。少なくとも、俺の方は。
 ふっと息を吐く。隣を見遣る。諒人が微笑みながらミルクティをこくりと飲む。
 先生を好きになって、同時にひどく傷んで凍り付いていた何かが、ゆっくりと緩んで、癒えていく。確認できたのはそこまでだったが、気分はいい。今日この日に誘って良かったと心から思った。
 

  


スパークリング・レモン 27



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プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
オリジナル小説(BL)書いてます。苦手な方は回れ右。
鶯太郎くんののんびり新生活「おやすみなさい、また明日。」17時にのんびり更新中。

****
20120404:樹海カップリング投票始めました。12時間置くと再び投票できます。10月5日までの半年間。コメント及び投票結果は今のところ私(管理人)しか見れません。遊んでやってくださいw
他、こここうしてほしいとかこれこうがいいとかご意見あればメールフォームよりお寄せください。よろしくお願いしますー

20120329:のんびりまったりやる気ない(そんなこともない)感じで新しいお話始めました。良ければー
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